ベビーブーム

建売の軒という軒つばくらめ
鎌使ふ背に聞こゆるつばくらめ

どうやら、雛が孵ったらしい。

親鳥が巣の近くに来ると、いちだんと賑やかな声が聞こえてくる。今が燕のベビーブーム第一波らしい。あと、一二度繰り返しては初秋に帰ってゆくのだろう。
そう言えば、今朝隣の空き地に雲雀の番が遊んでいた。何日か前に、雲雀たちがよく降りる、数軒離れた畑にシャベルカーが入って工事が始まったので、もういなくなるのかとがっかりしていたので嬉しい光景だ。もともと住宅街の真ん中に雲雀が出没すること自体無理があるので、いずれ頭の上で揚げひばりの声を聞くことは望めないとは思うが。

腹空かぬとき

手の届くものを枕に春眠し

ちょっと油断するといつの間にか眠っている。

30分程度の軽い眠りならいいそうだが、それよりも深く長くというのは認知症につながるそうである。しかし、眠いものは眠い。あれこれと済ませて、ちょっとソファにもたれているうちに今日も1時間以上は気持ちよく寝ていた。
きがつけば、いつの間にかクッションなどを枕に横にもなっている。冬ならとてもこうは行かないが、これが春というものである。
ただ、年齢とともに、昼寝してしまったら腹も空かなくなって夕食の量をこなすのも重くなってきた。
こうして、確実に体は老いを深めていくのだろう。

平群谷の青

藤垂れていまに戸窓を叩かんか

ご近所の藤が満開である。

よほど手入れがいいと見えて、窓辺の藤棚に見事な房がぶらさがっている。さながら窓の庇といった感じである。幹が相当太いのも、樹齢にして数十年はあろうかと思われる。ただ、惜しむらくは、道路拡幅予定区画にかかっていて、これがあと何年見られるかどうか。
買い物につきあって平群谷に向かう道筋にあるので、あと何回かみるチャンスはあるだろう。その平群谷は左右から新緑がわっと覆いかぶさるようだ。

季節先行

御身代わり像瑞々し花は葉に

四年前に御身代わり像が完成していつでもお目にかかれるようになった。

とは言え、安置された開山堂のガラス戸には新緑が映りこみ、顔を近づけなければ中の様子は見えない。
芭蕉翁が「若葉して御目の雫拭はばや」と詠んだ鑑真和上の像は御影堂に安置され、毎年6月の三日間だけしか開扉されない。そこで、「脱活乾漆技法」と呼ばれる当時の技法によって忠実に模造した像を毎日参拝できるようになった。
四季を通じて参拝できるわけだが、翁の句が頭にあるせいか、新緑の時期がいちばん似つかわしく感じてしまう。

例年よりずいぶん早く夏の気配である。目に映るのは初夏のものばかり。俳句は季節を先取りというが、今年は季節のほうが先に行く感が強い。

時間もったいない

春昼の乗継駅のダイヤかな
乗継の刻持て余し春の昼
乗換の屋根なきホーム春の昼

都会ではそうでもなかろうが、田舎では一時間に一本というダイヤも珍しくはない。

車がメインの移動手段となる地域など、バスならなお本数は少なくなるし、通勤通学の時間をのぞくと間引き運転は覚悟しなければならない。
こういうところを旅するには、よほど事前にダイヤをちゃんと調べておかないと、移動に大半の時間をとられてしまいかねない。都会で暮らしていて、電車が次から次へと来るのに馴れていると、乗り継ぎに15分以上もかかるとおそらくイライラしてくるにちがいない。逆に、この時間こそが至福のときだとする御仁もあろうが、えてして旅の目的はそうでない場合が多いのでやはり「ロス」につながることになる。
私の居るところから盆地の反対側に行くには、JR、私鉄含めて最低2,3回の乗り継ぎは必須となるので、どうしてもクルマに頼ることが多くなる。時間も半分とまでいかなくても、三分の一くらいは節約できるので、クルマはどうしてもやめられない。
ブレーキとアクセルを間違わないうちは、免許など返上してられないのだ。

水無田

紫雲英田の闌けて矮種の犬ばかり

パッチワークのような紫雲英田が目を引く。

ここは、田植えが遅い当分水を張ることもない地域で、紫雲英の丈もずいぶん伸びてしまっている。
最近は子供も遊ばないし、せいぜいが散歩の犬を放つくらいだろう。
その犬だって、小型犬ばやりで、遊ばせようにも足に絡みつきそうで、走り回るには不自由なほどだ。
鋤込むまでには当分間がありそうなので、まだまだこの景色は楽しめそうだ。

行儀

ガイドには行儀よろしく遠足子

法隆寺あたりはシーズン。

遠足、修学旅行入り乱れ、次々とバスが乗り込んでくる。
すこぶる行儀のいい学校もあれば、やりたい放題好き放題の学校もあって、生徒たちを眺めていると世の中の縮図のようだなと思ったりする。
平均的には、先生やガイドの話にはわりと耳を傾けているようで捨てたものじゃないと安心もできる。先生にとっては事故があってはいけないし、えらく気の張る行事だと思うが、生徒をガイドに委ねたときなどはどこか緊張がほぐれた様子なども垣間見できる。

ひるがえって、自分たちの頃はどうだったかはよく覚えてはいないが、記憶にあるのは弁当の中身だったり、行き帰りのバスのきれいなガイドさんだったりして、肝心の遠足先のことはまるで覚えていない。