柔らかく受け止めて

一面の苔をしとねの木の実かな

苔の庭には紅葉の枝先だの、木の実だのが落ちている。

どれも、苔の柔らかいクッションに受け止められて留まるかのようだ。
言ってみれば、苔が褥となって、小さな木の実だったら埋まってしまいそうである。
現に、椎の仲間なのか、今年芽吹いたとみえる苗が所々に育っている。

自由の翼

小鳥来る華厳も律も隔てなく
律華厳好きに行き来の小鳥かな
小鳥来る律も華厳も自領にし

広い奈良公園に小鳥の声を聞くようになった。

東大寺(華厳宗)、興福寺(律宗)を含め、広いエリアすべてが小鳥たちの活動領域である。
人間たちは古くから寺領を定めて勢力を競ったが、鳥たちはそんなことには構いなく自由に各寺領を行き来している。

鳥の翼はまことに自由である。

侮るなかれ

腹一杯吸うて討たれし秋蚊かな

思わず我が腕を打った。

小さな痛みを感じたからである。
とたんに腕に自分の赤い血が散った。
たっぷり吸われるまで気がつかなかったようだ。

秋蚊といっても、このごろの秋蚊は決して侮ってはいけない。夏も秋も変わらない力を持ってるので、歳時記としては困った話だ。

九月下旬の香り

木犀の香のみ散らして高き塀
木犀の香の高塀の向こふより木犀の香は高塀の向かうより
高塀を越えて香りの金木犀

高塀に囲まれた路地を歩いていたら、ふいに木犀の香りがした。

振り返ってみたが、木犀の姿は見えない。時期といい、たとえ姿は見えなくても木犀の香りだと確信できるそれである。
どうやら、左右どちらかの塀の内にあるらしい。
いよいよ9月も末なんだなあと実感できるシーンであった。

精緻な手仕事

宮址とて四角に掘らる花野かな

藤原京で、701年の元日行事の跡とされる発掘現場が発表された。
朝日新聞ニュース

701年といえば大宝律令制定の年で、元日朝賀だから外国の大使も多く参加したろう。国家としての形も内容も名実ともに備わった、律令国家成立を高々と宣言する儀式だったのだろう。

藤原京はこの月の初めに吟行した場所(白鳳宮址の発掘現場)で、そのとき目にした発掘していたのがそうらしい。この現場を除けば、広い宮址は野の草や花ばかりの平地で、まさに「花野」そのものであった。
地を這うような小さな花がいっぱい咲く広い野の四角い一画が、深さ1メートルあまりに建物の跡らしい形に沿って精緻に削られているのが、何ともおかしくて詠んでみた。

すばしこい

来合はせた小鳥数へてみたりけり

いつの間にか小鳥が下りてきたようだ。

最初は、エナガとかシジュウカラの仲間だからみな小さい。
その小さなのが、葉の茂った枝から枝へせわしなく移動してゆく。
天敵に襲われないように用心しながらの採餌行動であろうが、何とも忙しいものだ。

ちなみに、一群れ何羽くらいいるのかと数えてみたが、それぞれじっとしてないのでとても正確にはとらえられそうもなかった。

バネ

ライバルの勝相撲見る負け残り

思いもしなかった豪栄道が優勝した。

しかも、全勝である。本当によくやったなあと思う。
新入幕での圧倒的なデビューの印象が強かっただけに、その後の相撲には落胆していたが、今は珍しくなった泣き言を言わない力士だったようで、怪我のこともひとつも聞こえてこなかった。
勝相撲と言っても、かつてはインタビューでも「はい」しか言わない無口な力士が多かったが、今は外国出身力士ですらスラスラとよくしゃべることが多い。豪栄道の優勝インタービューでは、喜びも控えめに昔タイプの受け答えに好感をもてたが、そのなかでも苦節の日々の悔しさをもらす言葉が印象的だった。また、「やっぱりダメ大関と言われないように」とは心からの言葉であろう。こういうお相撲さんは好きだ。
稽古をしっかり積んで来場所につなげてもらいたいものだ。

いっぽうの、半年にわたる大関候補であった稀勢の里の綱取りは白紙に戻ったようである。
千秋楽に敗れたあと、勝ち残りでライバルの晴れの全勝優勝を見届ける気分はどうだったのだろうか。
来場所では、まだまだ反発力が残っていることを証明してもらいたい。