国原は真っ白

野分だつ湖に島影見あたらず
国原に畝傍望める野分前

当地には珍しく本格的な台風だ。

小型台風というのは、急に雨風が強くなるから用心しろとテレビで言っていたが、ほんとうにそうだと思えるくらい急な変化だった。
朝に家人を病院に送ったときは静かな雨で、振り返ったら畝傍のシルエットだけが低い雲間にはっきり見えるほどだった。一時間ほどして迎えに行ったときには、もう雨がウィンドウに叩きつけてきて、降りてから玄関までのほんのわずかな距離にもずぶ濡れになってしまった。
ピークであるらしい今は、雨が北側の壁を叩く音がますます激しくなり、隣の植木が我が家の壁にもたれるように風に吹かれたり引かれたりしている。

猫たちも少しは怯えたようにうかがう気配を見せていたが、いまは少しは慣れたようで背中をまるめて寝ている。

朝の送迎のときに、図書館に寄って石牟礼道子さんの著作をいくつか借りてきた。
Eテレの「100分で名著 苦界浄土」に刺激されてのことだが、今まではこの本のことを水俣の企業汚染の告発本のたぐいだとばかり思っていたのが、どうやらそうではなくて、文学性の高いものであること、そしてなにより魂を言葉に置き換えた「詩」であるとの本人の言葉を聞いたからだった。
相当な日本語の使い手らしい。
手許が薄暗いなか、久しぶりにわくわくしながら一頁目を開いた。

いつも早くても午後五時公開としていたが、今日は外が騒がしくてならないのでフライイング気味の投句だ。

紅蓮が命

幾筋の出逢ふデルタや曼珠沙華
幾筋と出会ひ大河に曼珠沙華

例年なら曼珠沙華の群生が見事な時期、その堤防は雑草に覆われていた。

草刈り作業が遅れていたとみえ、今年はもう見られないかと思っていたところ、数日前に除草されたと思ったら、あっという間に曼珠沙華が顔を出してきたのだ。
何と言う生命力であろうか。雑草が覆っているときはじっと伏せていたに違いない。この生命力があればこそ、飢餓のときの「救荒食」たりえるわけだ。今ではこれを食べようなどと考える人はいないはずで、薬用に使うこともなくなったようである。そのかわりかどうか、品種改良もされているようで、黄色だの、白いのが赤いのに混じってさいているところを見かけるようになった。
曼珠沙華と言えばあの「紅蓮」が強烈なイメージの中心にあり、白を見てもぴんとくるものはないが、これも世の流れ。
ただ、俳句の世界ではまだ認知されてないようで、「曼珠沙華」と言えばやはり「紅蓮」なのである。

首肯く

芋の露零れ一山静まれり

雨の日の芋を観察するのは面白い。

雨露が葉の中央に溜まっては零れ落ち、また溜まっては零れ落ちるたびに、葉が大きくお辞儀するように上下し、その零れを受けた葉もまた連鎖するように露を零しては深くお辞儀しながら次の葉に零してゆく。こうして、あの大きな葉の揺れ戻しが畑のあちこちで展開されて、まるでオルゴールの鍵が弾かれるような運動が切れ間なく続くのだ。

塒入り

大極殿灯り秋燕寝まるべく
大極殿灯り秋燕塒入る
大極殿灯り塒の秋つばめ
秋燕大極殿に日の落ちて

平城京の葦原が燕の渡りの集結基地になっている。

今年生まれたものも、子育てを終えた親もともに南方に帰って行く前に、多いときで数万も集まってくるのだ。
日が沈み始まるとどこからか現れて、数万羽が乱舞しながら葦原に降りてゆく。野鳥の会の報告では十階建てビルの高さにまで達するというから壮観だ。これを、燕の塒入りというそうだ。大極殿がライトアップされて大平原にくっきり浮かぶ頃には燕たちは床に入っている。
ピークは八月から九月初めにかけてで、九月半ばとなればそろそろ終盤にさしかかっている。

この塒入りは大淀の葦原でも見られるそうだから、平城京を発ったものが生駒を越えて淀川に向かうものがいるのかもしれない。

高原の赤とんぼ

シャッターに夢中になりて草虱

盆地を国ン中というのに対して、東側の山岳地域を東山中(さんちゅう)といいます。

今日はその東山中の桜井市笠地区の蕎麦畑の花が盛りだというので行ってきました。
近年になって高原地帯を切り開いて開墾した畑が広がっていて、その半ばほどを蕎麦が占めています。
いろいろ散策しましたが、なかなかいい句を授からないまま山を降りてきました。

家に着いてはじめて気づいたのですが、はやくも盗人萩が実を結んでそれをズボンの裾に持ち帰ってきてしまいました。
盆地ではまだ花盛りですが、400メートルほどと高度がちょっとあるせいか幾分早いようです。

葛の花も盛りを過ぎ、秋が一歩早く進んでいるようです。

蕎麦畑の赤とんぼ

赤とんぼはまだ里に降りる前らしく、目の前にさかんにとまってはポーズをとってくれました。

不気味な週末

ゆきあひの雲を水面に風は秋

秋雨前線ということでぐずついた天気が続いている。

そのせいもあって、気温も上がらずにすんでるのはありがたいことだ。
とこどき太陽が顔を出すこともあるが、吹く風にもどこか秋の気配が感じられるこのごろだ。
週末の台風の進路が案じられるが、台風の本番の季節だけに油断はできない。

「まさか」という言い訳はもう通用しないので自治体、とりわけ首長さんにはリスク管理能力あるところを見せてもらいたいものだ。

忍者の風情

触れるものすべて絡めて烏瓜

そろそろ色づいてくる頃である。

表で堂々と咲くというより、夏の間雑草に紛れて街路樹やフェンスなどに蔓を絡ませるので、色づくまで気づかないことが多い。
葛ほど目立って茂らないことが特徴で、やすやすと進出を許してしまうようなところがある。まるで忍者みたいな草ともいえるだろうか。
真夏に咲く花も目立つものではなく、小さな泡のようで、まるで生き残る術を心得ているようなところがある。

烏が好む実ということでこの名がついたということであるが、その現場を見ることはなかなかない。