野分だつ湖に島影見あたらず
国原に畝傍望める野分前
当地には珍しく本格的な台風だ。
小型台風というのは、急に雨風が強くなるから用心しろとテレビで言っていたが、ほんとうにそうだと思えるくらい急な変化だった。
朝に家人を病院に送ったときは静かな雨で、振り返ったら畝傍のシルエットだけが低い雲間にはっきり見えるほどだった。一時間ほどして迎えに行ったときには、もう雨がウィンドウに叩きつけてきて、降りてから玄関までのほんのわずかな距離にもずぶ濡れになってしまった。
ピークであるらしい今は、雨が北側の壁を叩く音がますます激しくなり、隣の植木が我が家の壁にもたれるように風に吹かれたり引かれたりしている。
猫たちも少しは怯えたようにうかがう気配を見せていたが、いまは少しは慣れたようで背中をまるめて寝ている。
朝の送迎のときに、図書館に寄って石牟礼道子さんの著作をいくつか借りてきた。
Eテレの「100分で名著 苦界浄土」に刺激されてのことだが、今まではこの本のことを水俣の企業汚染の告発本のたぐいだとばかり思っていたのが、どうやらそうではなくて、文学性の高いものであること、そしてなにより魂を言葉に置き換えた「詩」であるとの本人の言葉を聞いたからだった。
相当な日本語の使い手らしい。
手許が薄暗いなか、久しぶりにわくわくしながら一頁目を開いた。
いつも早くても午後五時公開としていたが、今日は外が騒がしくてならないのでフライイング気味の投句だ。