散りはじめ

花筏組初む堰の汀かな

桜が散り始めたばかりである。

佐保川にはらはらかかる花屑だが、いまだ花筏と呼べるほどの量はない。
ただ、両岸の岸、堰の溜まりなどには花びら集まってきている。これがさらに溜まってくるようになると、下流に押しだして筏の体をなしてゆくことだろう。
今は汀の花びらは筏を組み始めたばかりのように見える。

今日は平群の山裾の桜が遠目にも見事だったので、近くまで回り道してみた。
桜にすっぽり包まれたような小学校だった。
この時さあっと風が吹いたようで、見事な花吹雪。
やはり、学校には桜がよく似合う。

桜は人を若くする

飛石を苦もなく跳びし桜人

佐保川の両岸は万朶の桜。

川面にも映えて、天地すべてが桜色に染まる一日だった。
水際に降りて遊べる区域もあって、そこに腰掛けていたら対岸から呼ぶ声がする。
飛び石伝いに渡った句友である。
決してお若くはないのに、もしかすると桜は人を若くするのかもしれない。

鼻をつく

山葵田の抜いてたちまち澄みにけり

そろそろ山葵の芽が出回る頃か。

信州を旅していて、花芽のついたもののお浸しをいただいたことがある。
花が咲いては味が落ちるので、芽のうちに摘んでしまわなければならないそうだ。
ただ、葉だけならまだしも、芽つきとなると特定の季節にかぎられ、しかも少量しか採れないので、地元にご縁がないとなかなか手には入るものではない。

わさび漬などはよくお土産にいただいたり、自分でも買って帰ることが多くて好きな食べ物だが、山葵の花の季節は特別で、やけに山葵菜のお浸しが食べたくなる。
ほんの少量でもいいので、あのツンと鼻に来るお浸しを味わえればいいなあ。

南国の色

みずき咲く土佐も日向も分ちなく
蕾にして南国の色土佐みずき
逆打ちの難所越えたり土佐水木

公園などでよく見かける。

土佐ミズキ、日向ミズキ。
その判別はしかねるが、いずれも南国、黒潮流れる土地によく見られることから名づけられたそうである。
丸い粒のような蕾で、鈴のようである。その蕾からしてすでに南国の柑橘類のようなレモンイェロー色しているが、ある朝気づくと一斉に釣鐘の可愛い花を咲かせたのには驚く。釣鐘はやや長細い形をしていてスズランより細め。

春には黄色い花が数多いが、この釣鐘形ということ、緑がかった色が特色である。

海鮮食いたい

紀に入るや右岸左岸の桃の花

今日は隣の和歌山まで行ってきた。

終点は和歌山築港としてナビにセット。
ところが経路はいったん大阪に入るという。
冗談じゃない。港でうまい魚を食うのも目的だが、紀ノ川沿いの桃の花が見たいのだ。
途中の桜も満開だろうし、ミーハーながら途中九度山にも立ち寄って完成したばかりの真田ミュージアムにも行きたい。

ナビを無視して京奈和道路を進む。
五条を過ぎたと思ったらすぐに橋本市。和歌山県である。両岸の山は柿。そして麓は桃の畑が散在する。
桃はもう少し下ったところかと思っていたので、この光景には驚いた。
矢も楯もたまらず高野口ICで降り、一般道に入って桃と桜を楽しむことになった。

猫の昼飯やりのため出発が遅かったので、ここで昼食タイム。
家人は最近歯がよくなくて魚は食べられないと言い出したせいもある。
久しぶりの新鮮な海鮮を食い損なったのは残念だが、おかげでゆっくりと九度山散策とあいなった。

柿山の麓ふもとの桜かな

五条から橋本にかけては両岸の山はほとんど柿畑のようである。規模としては、和歌山側の方に分がありそうだ。柿畑と柿畑の間、柿畑と桃畑の間、桜は最高のコンディションだった。

パンよサーカスよ

絵に描いたやうな小咄四月馬鹿

世の中にはサービス精神旺盛な人もいるものだ。

四月一日だからと言っては人を喜ばせる噺をメールや電話でよこすタイプ。
ネタを考えるだけでも大変だと思うが、毎年毎年律儀に送りつけてくる。
諧謔精神を著しく欠く身にはとても思いつかず舌をまいてしまうが、毎度ばかばかしいと思いつつ今年もまたどんな噺を聞かせてくれるのか楽しみにするようになった。

花見は気持ちよく

社名入りテントを組んで花の幕

さして広くない花見の名所で、某エンジニアリング会社の傍若無人の場所取りが批判を浴びたそうだ。

公共の桜は皆で楽しむもの。
それが開花期間を通して連日、相当なスペースを占拠し続けたとあっては顰蹙を買うのは当然だ。
会社は一部の人間が個人的にやったこととして謝罪したそうだが、大企業としてはお粗末すぎる話。

お互いマナーを守って、気持ちよく花見を楽しみたいものだ。