見ようと思う者にしか見えない

天空のわたの原なる鰯雲

鰯雲かうろこ雲か。

その区別について今まであんまり考えたことがなかったが、やはり俳句をやるようになって気になり始めた。と言うのも、歳時記には鰯雲があっても鱗雲がないのだ。
しかし、雲をよく観察してみると、実は同じ雲の形なんだが、見立てによって呼び方が違ってるのに過ぎないことが昨夜寝床のなかで気づいたのだ。

雲片を一匹の鰯とみなしてその群れている様子が鰯雲。
逆に、雲片を鱗とみれば雲全体が一匹の魚に見えるうろこ雲。

分かってみれば単純なことだが、今さら気づくというのは今まで物事をいかに散漫に見てきたかと言うことだ。俳句がちっともうまくならない理由の一つがこれだったのにちがいない。
ちょっとでも上達したければ、人の倍あるいはそれ以上の努力で物事に向かい合うこと。そして気づくこと。これに尽きるのではないか。

その気づいたこと、驚いたことを言葉で言い得れば詩が生まれる。
何事もそうだろうが、散漫からは新しく得られるものはない。逆に、見ようとして対すれば新たな面が見える可能性があるということだ。

津軽海峡定期便

海峡は親潮日和鳥渡る
渡り鳥津軽海峡定期便
海峡の沖つ白波鳥渡る
うさぎ飛ぶ海は寒流鳥渡る

鵯は津軽海峡を渡るという。

それを知ったのはほんの数年前のテレビだが、それまではてっきり留鳥だと思っていた。というのも、一年を通して身近な存在で、どこへ行ってもその姿を見ない日はないからだ。
どういう機をみて渡るタイミングを決するのかは分からないが、天敵に襲われにくいように海面近くを命がけで飛ぶ姿は見ていても感動する場面だった。

それを親潮日和だとは俳人はまことに暢気なものである。

天空散歩

小屋泊り明日の目当ての草紅葉
草紅葉この日と定め小屋泊り
三叉路のいずれ選ぶも草紅葉
木道に色を列ねて草紅葉

一度は尾瀬を歩いてみたかった。

これはこの歳になって今さら思うことだが、若い頃は山や坂を登るのが苦手で、入社後富士山二合目までの新人研修とか、職場の奥多摩や大山ハイキングなど苦しいだけだった。
どこへ行くにも車頼みであったので、筋力なども衰える一方であったろう。

考えてみれば、目的地へ行くのが優先のあまり行程の面白さに気づけなかったと言えるかも知れない。
遅くなって自転車に乗り始めたり、俳句を始めたりして初めてそのことに目覚めたのかもしれない。
とくに草紅葉などというものは、俳句をやるまでは価値があるものだという意識すらなかった自分が恥ずかしいくらいだ。

せめて、俳句の中でも天空散歩といこうじゃないか。

予定の綻び

新蕎麦を打ってくるると誓ひしに

定年になったら蕎麦打って食わせてやるよという友がいた。

生涯学習センターかなにかで蕎麦打ちを習い始めたばかりだと笑いながら。
高価な道具も買い揃えて張り切っていたようだ。
書や水泳、山歩きなど他にもいろいろ目標があったらしい。

その彼も還暦を前に儚くなってしまった。

「新蕎麦」で創作してみた。

走り蕎麦此処と定めて十余年
路ひとつ入った店の走り蕎麦
此処だけはテレビも知らず走り蕎麦
限定の新蕎麦打って早仕舞
新蕎麦の催促メール電話でも
顔見せを兼ねて相伴走り蕎麦

サラブレッドの余生

競走馬余生の馬場の秋うらら
競走馬終の住処の秋高し
ギャロップもしてみせ手綱爽やかに
大鋸屑を替へて厩舎の爽やかに
馬銜解かれ鹿毛は厩舎へ秋深し
冷ややかに乗り手見切りし牝馬かな
桜紅葉かつ散るダムのビューホテル

榛原句会の今月は吟行だ。

場所は名張も過ぎて青山高原手前の乗馬倶楽部。
第一線のレースを引退したサラブレッドばかり20頭以上はいようかという立派な倶楽部である。
ここの馬は生涯死ぬまで乗馬用現役を務めるとか。競走馬としてはあまり結果を残せなかったが、気性に問題なさそうなものが選ばれているのだという。最高齢で27歳。平均年齢16,7歳。人間で言えば4を掛けて、我らと大差ないご老体であるが、さすがサラブレッドにしてケアも行き届き、贅肉もなく均整の取れたボディに我らは似るべくもない。

この倶楽部、目に見える句材はと言えば青い秋空、名も知らぬ木の黄葉くらいしかない。
乗馬のレッスン、調教、厩舎の手入れや蹄鉄装蹄の様子など約一時間程度しか取れず青蓮寺湖を見下ろす句会場へと向かうのだが、句帖は真っ白のまま。会場で頭を抱え込んだが、何とか六句が滑り込みセーフで間に合った。
上手い下手は置いといて出句したものの、今日のように季語の斡旋すら及びもつかないときは句友の句が一番の薬になる。
こんな句が好きだ。

すぐ前に馬の顔ある秋日和

深山に眠る

地図になき洞の僥倖ましら酒
コンパスの狂ふ異界のましら酒
猿酒に徐福の帰心失せしとぞ
猿酒は人知れず酌むべかりけり
猿酒のついぞ聞かざる酌み交わし
姨捨の山に猿酒眠るとや
猿酒の洞は死んでも言えぬなり
猿酒の親にも言へぬ在処かな
養老の滝の正体ましら酒
猿酒に仙人通を失くしけり

何ともファンタジーな季語である。

今月の例会の兼題に「猿酒」がとりあげられた。
猿が木の洞などに集めておいた木の実が自然発酵した酒を言う。リスだったらそういうこともあるかもしれないが、ときに歳時記はこのような空想上のものまで季題に仕立て上げるところが面白い。

だったら詠み手は存分に遊び心を発揮したいところだが、とりかかってみると意外に難しい。

スローライフ

隠遁の畑はコスモス半ばして

隠遁というのにはちょっとオーバーかもしれない。

現役引退ということだろうか。
子供も巣立って二人だけの畑では多くを作る必要もないし、何より体力的に多くを作ることもかなわなくなる。だからであろう、畑の大部分は作物ではなく花なのである。
花に囲まれて、必要なものだけを必要な量だけつくる。まさにスローライフ。

畑に入ってから夕暮れまでの時間を過ごしている農婦の姿を見かける。
ときどき、屑などを焼く畑仕舞いの煙が家の方に向かってくるのには閉口するが。

新興住宅地の周囲は昔通りの時間が流れているのである。