寒月の湖のどこまで観覧車
冴え冴えとした月が、寒天をわたってゆく。
蒼月を超えて,凄惨とも言えそうな月である。
今の時期は有り明けの月でもある。
早朝の月もどこまでも澄んで、輪郭もくっきりと見える。
この冴え冴えとした月に照らされた湖は、どこまで続くのか、果てしなく広い。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
寒月の湖のどこまで観覧車
冴え冴えとした月が、寒天をわたってゆく。
蒼月を超えて,凄惨とも言えそうな月である。
今の時期は有り明けの月でもある。
早朝の月もどこまでも澄んで、輪郭もくっきりと見える。
この冴え冴えとした月に照らされた湖は、どこまで続くのか、果てしなく広い。
起き抜けの腑にはすとんと寒の水
寒の水含むや臓腑悦びぬ
一口の水が一気に胃に達するのを感じる朝。
体も臓腑も目覚めるような起きがけの水である。
なんでも、人は寝ている間にコップ一杯分の汗をかいてるらしく、そのせいか、ビールではないが最初の一口の旨いこと。
寒の水と言ったところで、水道の水。寒に入ってしばらくしたら、一段と冷たくなってきて指が切れそうなくらいだ。この冷たい水が胃の中を通ると、さすがに胃も驚いていっぺんに目覚めてしまうのだろう。
道場の床を浄むも寒稽古
「寒」シリーズ、そろそろネタも尽きそうである。
が、歳時記を見ると「寒」のつく季題は数多く、溜息が出るほどだ。とにかく今月いっぱいはシリーズを継続していこうと思う。
今朝の奈良市は零下4.8度。外においてある、みぃーちゃんの飲水用の如雨露には分厚い氷が張った。
空の方は、昨日も今日も快晴で、各地の雪情報が嘘のようである。今日の昼は7度まで気温があがってきた。だが、相変わらず風は冷たく、寒中にあることを実感する日が続いている。
ところで、一昨日の若草山の山焼きは、小雨混じりの天気で不完全に終わったとのこと。残りの8割ほどはあらためて焼くらしい。
寒釣の晴れなばいつも同じ土堤
たいして広くない川に、いつも竿を出している人がいる。
川の規模から見て、ハヤくらいの小魚しか釣れないはずなのに、大振りの竿が三本。
それが何ともおかしくて、通りがかるたびに笑みを誘われる。
寒林に塒定まるしじまかな
寒林の闇がうごめく塒かな
「寒林」は「冬木立」の傍題。
冬木立というと、葉をすっかり落とした木々が寄り合った、比較的明るい林を想像するが、「寒林」はさらに、奥深かったり、鬱蒼として寒々とした佇まいを思い浮かべる。
中からはときどき鳥の声や、葉擦れの音などが聞こえてきそうである。
烏などのコロニーなどにもなれそうである。
故郷の土産持ちより初句会
新年のまほろば句会には参加できなかったので、今日が初句会。
メンバーの皆さんに会うのは一ト月振りなので、遅ればせながら新年のご挨拶。
今年また新参の参加もあって会はまず盛況である。
休憩には各地のお菓子をいただきながら、それぞれの土産話に座が和む。
まずは、穏やかなスタートである。
寒紅をさして見舞いの客を待つ
男が女の病室に入るのは、どこかためらうものがある。
同部屋の人への気遣いも必要なのは無論だが、全くの無防備の女人に会うこと自体はばかれるのだ。
普通であれば、化粧もし、それなりの衣服をまとった姿しか見たことがない人の、一番見てはならない部分を見てしまうような申し訳なさを伴うのだ。
女の人だって、少しでも恥じらいを忘れていなければ、他人には病室の姿なんて見られたくないだろう。
だから、女の人の見舞には行かぬことに決めているのだが、家人などが入院した場合はやむをえず病室に入ることにある。
そんなときでも、なるべく他の人とは目を合わさぬようにしているが、それにも限度がある。
見ようとしなくても、痛々しい姿が目に入ってくることもあるのだ。
家人には冷たいと叱られるが、早々と病室を出るしかないのである。