県内一の紅葉

老の手を引いて迂回路冬紅葉

談山神社の紅葉はもう終いに近いらしい。

先日行ったときもやや遅かったかなと思ったくらいだから、昨日今日の雨でずいぶん葉を落としたことだろう。
談山神社の正面は見事なくらい一本の急な石段で登り切ったところが本殿、拝殿の脇となっている。
膝が悪かったりして、この石段を一気に登るのが辛い向きにはなだらかな坂を行く迂回路にまわったり、階段の途中で横道にそれて蹴鞠の広場や十三重塔、鎌足の津まである鏡女王を祀った摂社(恋神社)などを楽しみながら行くのもよい。

境内のどこを歩こうが紅葉が素晴らしく、三大山城の一つとされる高取城のも有名だが、県内ではそれを上回り一番の名所だろう。

それにしても雨が続くので外で詠む機会がない。しばらくは回復しないというので机上の作句が増えるのも止むを得ない。

肩身を広くするもの

萩刈つて狭庭いよいよ空しうす

萩のおかげで肩身の狭い思いをしているものがいる。

萩の隣に植えられているギンモクセイが葉を延ばそうにも、萩の勢いが勝るものだから窮屈で仕方がない。
毎年根元まで刈っているのだけど、年々大きくなってしまうようだ。今年は途中で切り詰めもしてみたが、よほど成長力があるのだろう。

これだけ大きくなると、いざ刈ってみればおおきな空間が空いて文字通り空しいような寂しさが漂う。

浄土宗

柿供養併せ大和の十夜かな

「十夜」という題が出された。

浄土宗寺院で行われる十夜念仏法会のことであるが、見学の経験がないとなかなか難しい題である。
関東では鎌倉光明寺、関西では真如堂がよく知られているが、近くでないか調べてみたら奈良市内に厄除け観音としても知られる慈眼寺というところで一昨日の14日に行われたとある。
この慈眼寺では樹齢四百年の柿があって、十夜と併せて柿供養も行われるのが珍しいというかいかにも奈良らしいなと思わせる。

ところで、十夜と言いながら、このように短縮して一日で済ませてしまうこともあるのも不思議で、浄土宗ホームページに当たってみると合点がいく。

歳時記の例や普通詠まれる十夜の句というのは、やはり夜おそくまで続けられる法要の一場面を切りとるものが大半なので、ちょっと毛色の違った十夜句と言えるかも知れない。

紅葉より餅か

御破裂の紅葉且散り檜皮屋根

午後からは談山神社紅葉狩り。

盆地の雨は早くに止んだが遠くから見る御破裂のお山は雲の中なのでどうかと心配したが杞憂だった。
ただ、上がってみると雨は降り止んでいたが、十三重塔や本殿など檜皮葺の屋根からの滴りが止まないし、濡落葉が散り敷いた階段も滑りやすそうだ。
見事に紅葉した樹林に囲まれた境内をそぞろに進み、蹴鞠の庭から拝殿へ。
ここで多分模写とは思うが、鎌足の生涯を描いた「多武峰絵巻」の展示があった。英傑の出遭いとなった蹴鞠、大極殿での生々しい乙巳の変の場面にしばらく釘付けとなる。

参道の土産店で焼いた橡餅が珍しく、帰途車内でぱくついだが餡が甘すぎて橡の風味は今ひとつだった。

憎しみから希望が生まれるか

初冬の週末ニュースのおぞましき

朝起きてテレビをつけたら九州で津波がどうのと言っていた。

パリでは背筋が凍り付くような無差別大量殺人。
自然には勝てないにしてもうまくつきあう方法は見つかるに違いない。
しかし、突然で一方的な暴力には弱い市民は逃れるすべはない。

極度な憎しみを抱えて今日も地球は回っている。

仲良きことは美しい

時雨忌の暗峠雲の内
芭蕉忌やそぞろ手の伸ぶ時刻表

今月15日が陰暦10月12日、芭蕉忌である。

芭蕉が眠る大津・義仲寺のほかゆかりの伊賀、深川などでは毎年法要や句会が行われる。

芭蕉が亡くなったのは元禄7年(1694年)で、伊賀滞在中に奈良、暗峠を越えて大阪に入ったが病を得てしまいあれよあれよの間だったという。
そうなると、有名な「旅に病で」は辞世の句というよりは、本人としては思わぬ病を得たものだなあと言う程度だったのではなかろうか。
仲違いした弟子たちの取り持ちのために大阪入りした背景があるそうだが、だとすると俳聖の早い死は弟子たちの罪であるとも言えるだろう。
まことに仲が良いというのはいいことなのである。

今日は夕方から雨。生駒山地は低い雲が垂れ込めている。

訂正)芭蕉没年に間違いがありましたので訂正しました。thx to キヨノリさん。

初冬の作務

落葉掻く作務に大樹の容赦なく

掃いても掃いても降り止まない。

広い境内を掃く時間も伸びるだろう。
落葉掃きは今この時期が一番忙しい。
掃くそばから樹齢四百年の大欅から降ってくるのだから。

掃き寄せた落ち葉の処理も大変だ。
条例で落ち葉焚きもだんだん難しくなってきているし。
何より寂しいのは、昔のように子供たちも集まってきて焚き火を囲むという光景をとんと見かけなくなったことだ。