法華寺御流

御物展慶し御流の黄菊かな

いささか時機を外している話。

先月終わってしまっている正倉院展会場での話である。
見終わって階上の展示会場から階下に降りるとそこはミュージアムショップ。見学記念にお土産品を買う人たちで混み合っている。庭に出て抹茶もいただけるコーナーもあって、紅葉が始まっている庭園を眺めるながら休息で疲れを癒やすこともできる。

その受け付け場所に目がとまったのが「法華寺御流」とある上品な黄菊の盛花だった。
嵯峨の大覚寺を訪れたときにも、門前に立派な嵯峨御流の生け花があって、そのとき初めて「御流」という言葉を知ったのであるが、奈良の法華寺も同じく門跡寺院であり、それぞれに自派の作法を確立しているのだろう。

雑踏のなかの生花はちょっと気の毒だったが、しばらく鑑賞させていただいた。

住吉さんの太鼓橋

反橋を袴からげて七五三

本来は11月15日が七五三。

実際には11月に入ればいつでも神社は受け入れている。
訪れた住吉さんはあいにくの雨だが、日曜日でそれも日柄がいいのか爺婆、父母を引き連れてこの日ばかりは神妙の子供たちであふれていた。
住吉さんの反橋の傾斜は相当なもので、大人であっても登りはいいとしても下りなどは最新の注意を要する。
3歳、5歳と小さく、まして着慣れない着物とあっては子供たちも大変だ。
大人に両手を引き上げてもらう子、千歳飴の袋を濡れた橋に引きづりながら渡る子、袴や着物の裾をからげる子、いずれも傘を差しながらのことだから端で見てもはらはらしてしまう。

それでも、誰もむずかることなく渡りきるのは、このあとさらに楽しいことでも待っているのだろう。

大阪名物「粟おこし」

本復の筆のびやかに菊日和

恩師の個展が心斎橋で開かれている。

同期生も集合する日に合わせて、会場へ出かけた。
先年大きな病気をされた後リハビリに頑張ってこられた甲斐あってか、今回は30点近くも展示されていて先生の体力気力がいささかも衰えないばかりか、さらにパワーを増しているのではないかとさえ思える。

作風も随分変化があるように感じるものがあり、景色を描くなかにそこに息づく「生命」を謳歌しているよう風に思えるし、題だってどこか「俳味」さえ感じる軽快な調子がある。
短い時間でしかお話しできなかったのは残念だが、来年もまた素晴らしい作品にお目にかかれますように。

ご挨拶にお持ちしたちょっとした昔からの大阪名物。チャレンジしていただけでしょうか。

クリーンデー中止

柔らかな雨の手触り今朝の冬

予報通りの雨となった。

だが、冬の雨ではない。
温かい雨だ。

暦は今日から冬だという。
歳時記は今日の朝を「今朝の冬」と。

冬は雨から始まると気象予報士が言っていた。
手始めは優しいようだが、一ト雨ごとに冬を実感していくことだろう。

月例の地区クリーンデーが雨で休みとなった朝。

観光地の日常空間

大鴟尾に烏睦める秋日かな

大仏殿大屋根に烏が群れている。

それも、賑やかにだ。追ったり追われたりしながら、まるでカップルや兄弟姉妹が睦み合うようにしてあの大きな鴟尾のある屋根で秋の日を楽しんでいるかのように。

南大門から大仏殿入り口にかけては観光客でごったがやしているが、ちょっと横に廻れば小春日の、短い日が傾く前の、ゆったりした時間が流れていて、大屋根のこんな光景もゆっくり眺めることができる。
ここから戒壇院へと下るエリアは、外国人や日本人観光客も少なく、東大寺幼稚園の迎えに保護者が来るときなどは日常の空気が流れているようにも思える。

東大寺を別の角度から楽しめるコースでお奨めである。

木の実降る径

石佛の御名をたどりて秋惜む

以前にも書いたことだが、白毫寺境内の奥には石仏の路と称する一画がある。

古い石佛が並ぶ径は山懐に続くので、この時期は木の実がしきりに斜面に降ってきてその転がる音が楽しめる。

露けしや御身欠けたる石不動

石佛の径は10メートルほど行くとすぐに尽きて、そこに不動明王さんが祀られている。
雷にでも打たれたのか、頭部の天辺部分が鋭角に欠けてちょっと可哀想。
御利益があるというので、寄らせてもらって頭を下げてみた。

奈良三銘椿

実のひとつ二つばかりに名の椿

樹齢四百年とされる白毫寺の「五色椿」。

天然記念物にも指定されている木は高さおよそ5メートル、樹冠も約5メートルで柵で保護されている。
花の時期は桜より幾分早い3月下旬からで、いろいろな色の八重咲きを見せてくれるところからの命名だ。
東大寺開山堂「糊こぼし」、伝香寺「散り椿」と並び奈良三銘椿の一つとされているそうである。

晩秋の境内にはいろいろな鳥がひっきりなしに訪れてくれるが、この椿にも寄ってくれて花のない時期を賑やかにしてくれる。また、椿には秋に実から油を採ることから季題になっているので、その実がついてないかどうか確かめたところ、わずか一つ二つばかりが枝の間から見えている。古い木だけに負担がかからないように枝や葉数も抑え、花の数も抑えているようだ。だからか、すっきりした樹形で奥の方まで見透かすことができるようになっており、もう他には実は見当たらないようだった。

根元の苔には小春と言える柔らかい日差しが届いていた。