芭蕉四態

地に触れて破芭蕉とはなりにけり
芭蕉葉の己が重みに耐へかねつ

大きな芭蕉の葉が垂れている。

自分の重みで先端が地面に突くほど折れ曲がり、それと同時に葉脈に沿って裂け目が入り、破れ始めているのだ。
葉の色が青々しているだけにその痛々しさは目に沁みる。

芭蕉と唐招提寺とは名句「若葉して御目の雫拭はばや」で有名だが、実は寺務所奥にある芭蕉の葉があって、毎回訪れるたびに人知れず自分だけの吟行コースに入れているのだ。「芭蕉」は秋の季題。傍題に「芭蕉葉」「芭蕉林」がある。青々と広がった風情のどこか脆弱な感じを詠むわけだが、それに裂け目が入って破れさらに哀れをますものを「破(やれ)芭蕉」で同じ秋の季題。蓮が破れたのを「敗荷(やれはす)」(破れ蓮)と言うが、これも晩秋の季題だ。
台風や雨が続いていたので、あの大きな葉が揺さぶられでもしたのだろうか、すでに何枚かは破れかかっていたのを詠んだもの。
初夏には「芭蕉巻葉」で玉を結んでいるもの、夏は「芭蕉の花」があるがこれは地味な花だし、タイミングがうまく合わないとなかなか見つけられないかもしれない。それとも南国の方へ行けばあちこちで見られるのだろうか。

手に取る

赤のまま今日はも少し遠くまで

犬蓼の花である。

昔懐かしい花を見つけたので、ちょっとしごいて手のひらに乗せてみる。
ちょっとほのぼのした元気をもらったので今日の散歩はもう少し遠くまで延ばそうと思った。

ただそれだけの意味しかないが。

秋急ぐ

飛鳥田の休む一枚虫の原
恋ふる歌それとも凱歌虫の原

飛鳥の田は穂がようやく立ってきたばかり。

八月後半の冷夏につづいてこれだけ長雨が続いているので、実入りがどうなるのかちょっと心配されるところだ。
秋が急速に進む一方で、虫たちも恋の成就を急いでいるかもしれない。休耕で立ち止まると、生い茂った雑草の中で、少々の雨にかまわず色んな虫たちの声が聞こえてくる。

飛鳥京跡苑池発掘現場へ

芋の露遠き峰には雨後の雲

雨だが、予定通り飛鳥京跡苑池説明会へ。

いつもなら行列を作るくらい見学者が多いのに、雨のせいか、それとも苑池発掘といってももう目新しくないせいか意外に人が少ない。スタッフの皆さんも拍子抜けされたんではないだろうか。10時のあとは11時、次は13時というふうにセッションも少なめ。おかげでゆっくり見学できた。
今回の発掘対象は飛鳥宮の北東のはずれ、飛鳥川沿いにある迎賓施設の苑池への入り口の建物跡らしい。
場所的には、先週だったか、20歳くらいの若者5人が乗った車がスピード出し過ぎで全員命を落とした現場からは徒歩5分くらい南に行ったところ。

飛鳥の芋畑。奥は多武峰。

車を降りて会場へ向かう頃には雨も止んだようで、放棄田では虫がしきりに鳴き青々とした狗尾草が揺れ、薄羽黄蜻蛉(精霊とんぼ)も群れ飛んでいる。板蓋宮跡から甘樫丘へなだらかな傾斜が続く一帯の田圃は、無農薬農業を実践しているためだろうか、田螺や蜷がいっぱい。小さなおたまじゃくしも泳いでいる。芋の葉も立派に育って雨露がきらきらと光っている。用水を流れる水も折しもの雨も加わって流れには勢いがある。
顔を上げると多武峰からは雲が湧きだしてきているのが見えた。
このようなロケーションなら句はいくつでも作れそうだ。問題は質だけど。

説明会が始まる頃また雨が降り出して、晴れ間にのぞいていた多武峰が雨雲に隠れてしまった。

負けてない布袋葵

頤を引いて蓮実の飛ぶ構へ

本薬師寺跡の蓮花も終盤期。

すでに実を飛ばしたものもあるが、今たいていはその準備段階のようだ。
その準備というのが面白い。
蕚の重みを支えきれなくなったのだろうか、どの蕚も上から15センチくらいのところから俯ぶいている。しかもどれもこれも南を向いているのだ。
まるで顎を引いて実を太陽に向かって飛ばすかのような姿勢なのである。

ぎっしり蓮に埋め尽くされた間から、負けじと首を伸ばしているホテイアオイも逞しい。蓮に負けない高さだから、50センチくらいはあったろうか。

白鳳伽藍跡のホテイアオイ

露けしや礎石ごろりと伽藍跡

ようやく探し当てた頃にまた雨が降り出した。

平城京の南にあった本薬師寺跡が今ホテイアオイの見頃だというので行ってみた。
金堂跡や東塔跡だけが周囲より高く残されていて、まわりはすべて水田。その水田も耕作調整せざるを得なかったところにホテイアオイを移植したものが、今や30万株ほどまでになったという。東側から西方に畝傍山が見えていかにも藤原京跡だということを実感する。

本薬師寺跡より畝傍を臨む

薬師寺は天武が皇后・鵜野讃良の病気平癒のために発願した寺で、工事は天武の死後持統が引き継いで最終的には文武2年に完成。平城京に移されてからも、伽藍は残されていたと言われる。通常、旧蹟というのは長い年月の間に土に埋もれてしまうもので、だから「発掘」によって遺構調査が行われるが、この寺は逆に今では礎石だけになり、しかもそれが根元から露わになってしまっている。それが折からの雨に光っている姿は単に濡れているを越して大いに哀れを誘うのであった。

本薬師寺跡の礎石

今週また、飛鳥の苑池の遺構とされる発掘調査結果が公表された。多分、この日曜日には一般公開されるだろうから渋滞を覚悟して見学しなければなるまい。

殺生するなと

大寺の奥まるほどに法師蝉

唐招提寺の和上廟は南大門から入ると一番奥の北東角にある。

手前が中秋の観月讚仏会が行われる御影堂で、ここいらからは木が鬱蒼と茂り小暗き森のようになる。和上はこの静けさのなかにお眠りになっているわけだ。
それまでは、蓮だ、小鳥だ、お釈迦様だと賑やかに歩いていたが、このしーんとした浄域に入れば蚊も多くなり法師蝉も降るように鳴いている。

殺生を戒しむ寺の秋蚊かな
不殺生の故事ある寺の秋蚊かな

この唐招提寺では5月19日、鎌倉時代の中興の祖・覚盛上人の命日に「うちわまき」が行われる。
不殺生の教えを守り、蚊も殺さなかったという上人をしのび、「せめて蚊をよけられるように」と奈良・法華寺の尼僧がうちわを供えたのが由来という。
そんなことを思い出して、もう一つ。

戒寺の打つをためらふ秋蚊かな