雲の峰くずれ流れて昼の月
じっと観察することはまずない。
しかし、また顔を上げてみると意外に入道雲はいろいろ姿形そして位置を変えていることにきづく。
今日はその入道雲が流れた跡に上弦の月がこうこうと輝いているのを発見。
どんどん変化してゆく雲に対して月は揺るぎもせず東の空に浮かんでいる。
しばらくしてまた顔を上げると、さっきの入道雲はすっかりくずれて姿を消し、代わって二本の入道雲がもくもくと立ち上がってきた。月はその間にあって、暮れなずもうとする空に存在感を増すように輝いていた。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
雲の峰くずれ流れて昼の月
じっと観察することはまずない。
しかし、また顔を上げてみると意外に入道雲はいろいろ姿形そして位置を変えていることにきづく。
今日はその入道雲が流れた跡に上弦の月がこうこうと輝いているのを発見。
どんどん変化してゆく雲に対して月は揺るぎもせず東の空に浮かんでいる。
しばらくしてまた顔を上げると、さっきの入道雲はすっかりくずれて姿を消し、代わって二本の入道雲がもくもくと立ち上がってきた。月はその間にあって、暮れなずもうとする空に存在感を増すように輝いていた。
衛星で雨なきを知る油照
精細な情報が得られるのは嬉しいが。
気象衛星のおかげで、雨雲レーダーの動きも詠め素人でもそこそこの予想はできるようになった。
レーダー情報がなくてもおおまかな気圧配置をみるだけでも、当分涼しい日はやってくることはなさそうだ。
来月の展望も出て、上中下旬とも平年より高気温だそうである。まったく、そうであろう。
下手すれば台風が来ないかぎり雨も降らなかったり、旱の夏を怖れる。
大阪北部では40度寸前まで気温が上がったそうである。観測の気温は白く塗られた百葉箱の日射があたらない内部の気温のことだから、実際に感じる体感温度とは数度の違いが出る。ということは、大阪北部では最低でも42度近く、長くは野外で立っていられないレベルである。
命にかかわる夏の暑さ。これが今後も常態化するかと思うと、子世代、孫世代の苛酷さを考えずにはいられなくなる。
甜瓜はみて遠き日生ぬるし
西瓜が秋で、真桑瓜が夏。
感覚的にはどちらも夏だと思うが、歳時記ではそうなっている。
想像だが、西瓜は盆や七夕の供物として珍重されていたからではないかと思われる。
今年は大小の西瓜に加えて真桑瓜も育てたが、真桑というのは食べ時の見極めが難しく、気づいたら熟しすぎて溶けそうになるほどずるずるになってしまうことがある。今回も十個近く生ったが、西瓜に比べてありがたみが少ないわけかなおざりにしてしまった。辛うじて食べられるものだけを持ち帰ったが、やはり歯ごたえのないものだった。
その昔たいして冷えてないものを食べたことを思い出して、記憶は遠い過去をさまようのだった。
冷汁の常より多き味噌加減
毎日大量の汗をかいている。
そんなときいつもよりちょっと味噌の濃い冷し汁が体に沁みるようにうまい。
今日も恒例の健診を受けたが、いつものように塩分控え目を仰せつかったものの、よく考えたら汗でいつもより塩分が失われているわけで、今日は味噌をプラスしてもらった。オクラだの胡瓜だの豆腐だの、どれもよく冷えてしかも味を失っていない。
冷し汁の相手は熱々の肉丼。
暑い夏を乗りきるには滋味たっぷりのメニューが嬉しい。
中干しの空を精霊蜻蛉充つ
薄羽黄蜻蛉とも言うらしい。
盆の頃に群れて飛ぶ姿をよく見る。
毎日暑い暑いと言いながらも、秋の兆しがもう見られるということである。
中干しとは稲田の土用干しのことで、穂が出る前にいったん田の水を抜いて根をしっかり深く張らせ丈夫な株に仕上げるためである。この時期にひび割れした田を見ることがあるのはその土用干しの途中にあるのを見かけたためだ。連日の猛暑で湯のように沸いた田水を抜くことで土深く空気をいれるためでもある。
こうして強くなった株は二百十日にも耐えて収穫を迎えることになるのである。
向日葵の迷路をなぞる橋の上
向日葵にカメラを向ける人もいる。
高い位置から見ると、こちらが太陽かと錯覚を覚えるほどみなこちらを向いて壮観でもある。
向日葵畑は町が支援してNPOが育てたもの。
散歩途中の人、あるいはSNSなどで知った人たちが炎天にやってきてスマホをかざしている。
あと一週間ほどは楽しめそうだ。
蚊を連れて帰還の後の阿鼻叫喚
玄関戸を閉めた瞬間気づいた。
藪蚊を呼び込んでしまったことを。
おまけに蟻も袖にもぐり込んでいたようで腕がちくちくする。
どうやら花の終わった紫陽花を剪定していたときに乗り移ったらしいのである。
それからしばらくは蚊と蟻との戦いとなった。蟻は何とかつぶせたが、問題は蚊である。元気なうちは捕まらないので弱まるのを待つ作戦。飛ぶ力が弱まったところで掃除機のバキュームで吸い込む予定だ。これ案外使えるのである。