地中だって暑い?

旱とて迷い出にける鼬鼠かな

朝、畑に入ると慌てたように逃げ去る小動物を見た。

どうやら鼬鼠のようだ。菜園仲間によると野ウサギなどもやって来るという話なので、べつに鼬鼠が居たって全然おかしくない。ただ、本来は夜行性であるのに陽がのぼってからも畑にいたということは、日照り続きで田の水も少なかったりして好物の蛙などが少なく行動範囲を広げているのかもしれない。
あるいは、土中に連絡路などを掘って隠れているのが、この暑さでトンネル内の温度が上がり、むしろ地上のほうが涼しくて快適だったのかもしれないが。

ところで、鼬鼠は冬の季語である。おそらく、あの毛皮ゆえのことだろうと思うのだが。

ここにも

夏の蝶低みに卵産みにけり

庭にアゲハチョウがふらふら飛んできた。

飛んできて、柚やレモンの木のまわりをやはりゆらゆら舞っている。夕方調べてみると、去年より古い葉にもいっぱい卵を産みつけているようだ。
普通なら孵化した幼虫が食べやすいように、今年芽吹いた柔らかい葉に産みつけるはずなのに。よほど葉を選んでられないくらい弱っていたのかもしれない。ここにも早い真夏の到来の犠牲者がいたのだ。

朽ちる

梅の実の知らず成りたる三つ四つ

梅の実の採られざるまま落ちにけり

ひとの手の触れざるままに梅実朽つ

先日気がついたのだが、庭の花梅の根元に実が三つほど落ちていた。

2個ほどは成ってるなとは思っていたが、実際に落ちていたのが三つだったし、今朝はさらに一個落ちていた。つごう四個も成っていたなんて全く気がつかなかったのである。
もともと実がなることを期待したわけではなくても、いざ成ってみると愛しいものでときどきは眺めてはいたが、それでも収穫するほどの量でもないし放置していたのだが。じっさいに旱が半月以上つずき、しかも連日熱暑だったせいか、自然に落ちたものと思うが、すでに最初に落ちた3個はだんだんと青梅の色を失いつつある。

立ち話

緑陰や何につけても長話

梅雨を通り越して夏のような日が続く。

こんな日は大きな木の陰にはいって風を受けているとほっとするものだ。
奈良市内で垣間見たのだが絵に描いたようなそんな光景に出会った。今しがた子供を送り届けてきたと思われる母親ふたりが、幼稚園前の立派な藤棚の緑陰で立ち話に余念がないのだ。30分あとにも通りかかったが話はまだ続いていた。

下野の花

下野草やまとの古墳に咲きにけり

花しょうぶが満開だという馬見丘陵を訪ねた。

馬見丘陵公園の下野草

古墳群のある丘陵地帯を県が整備して立派な公園になっており、四季折々の花が咲くことで訪れるファンは多い。
下野の花は花しょうぶをめでたあと公園内を散策しているときに目に止まったものだ。万葉集に歌はないかと探したが、さすがに国の名を花の名とした歌は見つからなかった。そのかわりに、東歌で下野の国を歌った歌:

下野の三毳(みかも)の山の小楢のす まぐはし児ろは誰が笥(け)か持たむ 作者不詳 巻14-3424

歌の意は「下野の三毳山のコナラの木のようにかわいらしい娘は、だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな)」。
なんとも素朴な歌ですね。

ニュースに誘われて

菖蒲田の名札たしかめ巡りけり

菖蒲田の一雨ほしき滾りかな

馬見丘陵公園の菖蒲田

柳生の花しょうぶ園とは比較にならない規模だが、馬見丘陵の花しょうぶも手入れがよくいきとどいている。

馬見丘陵公園一帯は4世紀末から5世紀にかけての古墳が集中しているエリアで、葛城氏など初期大和王権を支えた豪族たちの墓ではないかと思われるが詳しいことは依然謎のままである。いずれにしてもどれも相当な規模の古墳なので有力者の墓であることは間違いないだろう。

散策路もよく整備され近所の人たちのみならず、車でわざわざやってきてウオーキングをしている人も多い。四季折々の花も咲くので、NHKローカルニュースでもたびたび取り上げられ、それにつられてやって来る人も多い。小子もニュースで誘われたくちであった。
ただ、梅雨に入っても雨が降らないせいか田の水量もわずかで、田水は熱い日差しに泡を吹くほどたぎっている。紫陽花とおなじく花しょうぶもやはり雨が似合うのではないだろうか。

甲羅干し

猿沢の池の午鐘や夏柳

もうそこが猿沢の池のはずだと思うあたりで、正午を告げる乾いたような大きな鐘の音が興福寺から聞こえてきた。

猿沢の池

池の周囲にはあまり大きくない若い木だがすっかり葉を伸ばした柳が垂れ、池では亀たちが甲羅干しするのんびりとした昼下がりである。
木陰で涼んでいたら福岡から3日かけてヒッチハイクしてきたという米人の若いカップルと知り合い雑談するうち、あやうく句会前の腹ごしらえの時間が無くなりそうで急いで飯屋を探すことになった。