丹波の黒豆

枝豆の薄皮黒し丹波もの

丹波の黒豆を夏至の頃播種したものが、ちょうど収穫時期を迎えた。

とりあえず枝豆用にと2本ばかり抜いてきたが、やや黒味がかった薄皮に包まれて大きな粒が鞘におさまっている。食べ頃を過ぎたかと心配していたが思ったよりは柔らかい。この分だとあと1週間ほどずらしても問題ないだろう。
ただ、残りは煮物用にとっておく予定だ。

黄色い鏡

雨のみち黄色く染める銀杏かな

雨に濡れた舗装路が歩道の銀杏の黄葉色に染まっている。

1キロくらい続く銀杏の並木道はまるで鏡となって銀杏色の光を反射している。先月にも詠んだ住宅地の道路なのだが、その黄色が一段と深まるとともにところどころの木の下にはギンナンの実がびっしり落ちている。なかなか大きな実なのに近所の人は誰も拾わないのだろうか。

雲がたなびく

霊のぼる峰に聞かまし秋の声

雨が上がったら、三輪山から雲が湧いているのが見えた。

今頃はあの上空をゆっくりと昇っているのだろうか、母の魂は。

登校の声

朝露や制服似合う登校かな

ここ数日は高気圧が覆っているせいか、毎朝車の屋根・ボンネットには露が降りてびっしょりだ。

いつものように起きて、いつもよりぼおーっとしていると元気な子供たちの声でようやく頭が覚醒し始める。集団登校の時間だ。黄色い帽子に茶色の制服、空気が閉まっているせいか、みんなちゃんと身に着けている。

母の回向をお願いしたお寺さんが三輪山と密接に関係しているのを今朝になってインターネットで初めて知った。両親の宗旨は曹洞宗なのでたまたま「三輪山平等寺」さんにお世話になったのだが、境内があの三輪山の山中にあるというからびっくりしてしまった。
家の地鎮祭にお世話になった神さんといい、今回のお寺さんといい、当地の寺社の縁起には古い歴史があって当たり前なのだが、それにしても一気に神代や古代王朝に戻るというのはさすがというべきか。少し落ち着いたらお参りすることにして、またいろいろ勉強してみよう。

渇き

青みかん喪主の勤めを果たし終へ

初七日法要まで一気に済ませる長丁場。

無事済ませたら急に喉の渇きを覚え、盛ったかごの中から青みかんを次々取り出しては口に放り込んでいた。初期のみかんの淡白なみずみずしさが喉に心地よい。

真一文字

菊の香や遺影の母は微笑みり

参観日の母は誰よりも美しかったのが自慢だった。

死化粧を施してもらって久しぶりに紅みがさした頬を見ながら小学生時代の一コマを思い出した。ただ、真一文字に結んだ唇はその後の厳しい人生の証であるかのようであり、容易に人を寄せ付けない意志の強さを示しているようでもあるのに驚かされた。
享年89歳。