思い入れ

二児を得しころの団地の杜鵑花はも

どうも我が家のは晩生のようである。

杜鵑花というのは四月の躑躅が終わってゴールデンウィーク頃の花だとばかり思っていたが、生垣代わりのsa杜鵑花が年々咲くのが遅くなっているような気がしてならない。もう五月も終わろうかという頃に申し訳なそうに小さな花をつけている。
手入れが悪いのが主原因だろうとは言え、不思議でならない。
というのも、杜鵑花というのは子供たちが生まれたころ、団地の生垣という生垣に咲き満ちていた記憶がいまだに鮮明に残っており、思い入れの強い花なのである。
すでに半世紀がたとうとしているが、今でもあの杜鵑花は健在だろうか。庭の杜鵑花が咲くたびにそんなことが頭を過ぎるのである。

パネルの浮田

金魚田を縫ふことしばしナビのまま

大和郡山の金魚田が集中しているあたり。

グーグルのナビは実に芸が細かくて、地元の人しか通らないような道を実に的確に教えてくれる。車載のナビは大道しかしめさないので、自然に信号の多いルートとなりがちだ。また、盆地は大和川支流が縦横に走っているのでそれをかわすようにあまたの道がある。地図を見ただけでは走りやすい道なのかどうか分からないので、ナビの示すルートは安心して進むことができる。現に勘で走ろうとした道は、路地のように入り組んだ集落に突っ込んでしまって、にっちもさっちもいかなかったことが何回もある。
金魚養殖も昔のような全盛期は過ぎたようで、今日など金魚田に何枚もの発電パネルを浮かべた休み田を発見した。埋め立てるのではコストがかかるので、池に浮かべてしまえという発想はたくましい。
ほどなく見慣れた道に出てナビのお役御免となった。

ひねもす

緒を引くやフリーサイズの麦藁帽

サイズFながら実際には3Lくらいあるのではないか。

安物の麦稈帽子を買ったはいいが、ぶかぶかでちょっとした風にもすぐに飛ばされてしまうのは困りもの。
西日があまりも強いので、いつもはカンカン帽のところを麦わら帽子に替えていざ菜園となったのだが、ツバが広い分いろいろものに当たって作業しにくいのだった。よかれと思ったが麦藁帽は作業には向かないものだと分かった。
あれは海浜などでひねもす太陽浴を楽しんだり、鮒釣りでもしてじっと浮子の動きをみているようにできているのではなかろうか。などと文句言いながら今日も日射病で倒れることなく無事に帰宅できたのであった。

聞き逃し

空海の秘話聞くラヂヲ風薫る

窓を開けて走る快適な朝。

カーラジオのスウィッチを入れると空海の話しが流れてきた。聞き慣れた声だったのは、元奈良国博館長西山さん。今も帝塚山教授として、新聞連載やNHKのローカル番組でも「仏教よもやま話」などで奈良県民にはよく知られた先生である。
カーラジオの局は最近はもっぱらNHK第二放送と決まっていて、語学番組やら外国語ニュースやらを聞くともなく聞き流しながらハンドルを握っているので注意力が散漫になることもなく安全なのである。
今朝の場合はたまたま「カルチャーラジオ歴史再発見」シリーズだったようで、運転中だけではすべてを聞けなかったので聞き逃し配信で再聴取。車を降りても殘りをラジルラジルで聞き続けたり、なにかと便利である。
今日明日と暑さも抑え気味のようで、むしろ風などは涼しくて肌にもやさしい。明日あたりは庭の草取りなどの最後のチャンスかもしれない。

黒い土

老の手に塩吹く汗のありにけり

塩になるほど汗をかいたのは久しぶりだ。

恒例のZOOM句会が早く終了したので、夕方の二時間ばかり菜園に出て西瓜などを植えた。
農作業というのはなにごとも午前中の方がいいのだが、八時を過ぎるととても暑さには耐えられそうもない、かと言って早朝というのはいろいろやることもあって、その二時間の確保をしようと思えば4時頃から始めねばならずちと難しい。
そこで午後、それも夕方の二時間ほどとなるとやはり4時ごろからということになる。これなら暑さもだんだん和らいでくる時間帯なので意外にはかどることになる。
とは言え、今日などはスコップを持ったので汗が流れた。皺だらけの腕に塩が浮き、さらに濡れて黒い土にまみれて我ながら満足の帰宅であったと言える。

転ばぬ先の杖

野良夫へ冷ました麦湯もたせけり

外出には飲み物が必需品の季節である。

とくに熱射病、日射病でひんぱんに救急車のお世話になるニュースが、毎日のように流される近年の暑さは尋常ではない。休憩と水。外で活動するにはこの二つは欠かせない。
身近なところでもこうした事故に遭遇したことがあり、外で倒れて誰にも気づかれない恐ろしさをまざまざと感じた。
人に迷惑をかけないためにも、転ばぬ先の杖。準備怠らずに外出を楽しみたい。

古都華

ミルクなどまして砂糖を苺には

最近の苺は甘い。

素人の菜園苺でもそこそこの味が楽しめるようになっている。品種改良の成果だろう。
子供時分には苺など滅多に口に入らなかったが、練乳あるいはミルクに砂糖をぶっかけて、さらに丁寧にも平たいスプーンで実をつぶして食べたり。今考えるとちっとも甘いものではなかったが、それなりにちょっとした贅沢を味わったものだった。
さいわい、当地には自慢の飛鳥ルビーがながく人気があったが、最近は古都華というニューブランドが実も大きくて甘く主流になっている。
お隣の平群はその古都華の産地。町の道の駅には午前中から大変な賑わいで、県外ナンバーも多く見られる。コロナ禍の制限が解けて一気に多くの人が動き出した。