負担

車検受く代車の屋根の露しとど

高気圧がおおう日が続く。

目立って朝露がしっかり降りるようになった。
愛車を車検に出して代車に軽自動車を出してもらったが、屋根もボンネットもフロントウィンドウも露しとどの朝である。
露を払おうにもなれないスウィッチの位置などにとまどうことがある。
車検は一日で終わったが、請求書をみてその高さには毎度ためいきがでてしまう。どこへ行くにも車が必須なので、運転できるうちは出放すことなどできない。年金生活者にとっては車検や保険や税金の負担など、あらためて日本の車の維持費に泣かされているようにしか思えない。

アレルギー

晴多き日に妻生れし文化の日

明治節の日に生まれたので明子。

そういう由来らしい。
実に明快である。
今日文化の日は気象上では特異日と言って晴れの確率が七割だと聞く。言われてみればなるほど今年も晴れた。
そう言っていつも胸張る誕生日だが、今年はトーンが少々低い。
ここ一年アレルギーで大好きな鮨が食べられないうえに、後期高齢者の仲間入りが気にくわないようだ。
しばらく鮨屋に行けてない私も辛いのだが。

飢餓世代

昭和期の団地の庭の蜜柑の木

高齢者が中心の団地には、決まって柿や蜜柑などの柑橘類など果樹がシンボルツリーという家が多い。

かつてバブル期前後には各地でおおいに宅地造成が行われ、新築、建て売りの家が考どんどん広がっていた。オーナーの年代と言えば戦中派、あるいは戦後の団塊世代などがその中核である。
考えるにそういう年代層の幼少期というのは、食糧事情も貧弱で果物というのはまことに貴重なものであった。自分の家をようやく持てて、狭くて猫の額と言われるようとも飢餓の記憶が庭の樹木として果物を選んだとしても不思議ではない。
かくいう私も、幼少期もらってきたのか買ったのか定かではないが、父が葡萄の苗木を家の前に植えたのを今でも鮮明に覚えている。ところが、その葡萄の木が実を生らせるのを見ることなく引っ越さなくてはならないようになった。
三十代も半ばになってようやくマイホームを手に入れたとき、心の底に沈殿していた葡萄の木への執着の念がわいてきたのも自然なことであった。
ただ何年かしてその葡萄の棚がシロアリにやられて以来、うまく実がならなくなった。
当地に越してきても、葡萄は植えたし、柿の木も植えた。
花より団子。飢餓世代は果樹から離れられないのである。
ところが、東側、西側の古い団地に囲まれた当団地は比較的新しく、三十代、四十代が中心でまず果樹は見当たらない。それどころか庭の木さえほんとうに少ない。共稼ぎ世帯も多く、庭の手入れが敬遠されたのだろうか。

紅葉情報

身の震ふ雨に始まる十一月

冬が駆け足でやって来る。

週の前半は高めだが、週末には五度に冷え込む予報も出て、紅葉情報もスタートした。
例年そうだが、どうも冬のはじめは思い切り寒くて、年があらたまれば緩ぶというような傾向がある。
今年も年末寒波、師走寒波に注意した方がよさそうである。

豊の秋

カブで来て豆稲架組める日和かな

刈り終えた田の片付けは午前に済ませ、午後からは豆稲架を組む。

畔豆は順調に育ったようで、葉も茎もいい色に枯れつつある。
今週、明日の雨が止んで田が乾いてきたらいよいよ豆の採り入れであろうか。
豆稲架の杭は稲木用の流用とみえて太くてしっかりしている。
ご近所なのか、昼休みはホンダカブで家に帰られ、午後からはまたカブでご出勤である。
少々腰が曲がっているように見受けられるが、いかにもお百姓らしく頑健な体つきをしておられる。
他にもいくつかの田があるようで、今が一年でも一番忙しくかつ達成感を味わえるときなのである。
作付けは上々と聞いた。

黒焦げ

田仕舞の煙にまかれ秋深し

何本も煙がたっている。

おおむね稲刈りも済んだあちこちの畔や刈田がくすぶっていて、その一部が風に流れて道路まで漂っている。そのなかを抜ければ畔焼特有の匂いに包まれるとともに、目にも強い刺激がある。
コンバインで刈りとった田には稲藁の切りくずが散乱しているので、これらを燃やしているようである。
明日の刈田はきっと鮮やかに黒焦げとなった姿となるに違いない。

こまめ

肌寒し竹騒おこす沢の風

風が冷たい日だった。

さすがに午後四時をまわると冷えが募ってきて、もう一枚羽織りたくなるのは晩秋の趣を濃くしてきたということであろう。
あれだけ暑かった秋も十月も末近くとなれば二十度を超えたとしてもせいぜい一二度でくらいで、シャツ一枚で一日を過ごすことはできなくなっている。
寒暖差が大きいこの季節、とくに昼間の温かさで汗をかいたら冷えを呼ばないよう注意を要する。着るものの調整をこまめにしなければならない季節とも言える。