内輪

在祭氏子にあらぬ身にありし
在祭団地住民縁うすき
団地には太鼓の遠く在祭
招待のされざる団地在祭

近在を歩くと、それぞれの集落の氏神さまの名を染め抜いた祭幟が辻つじ、あるいは門かどに翻っている。

刈り入れも終わり、秋祭りたけなわである。
お隣の八尾などもそうらしいが、近在では龍田大社をはじめ、太鼓台と呼ばれる立派な山車を中心に町を練り歩く。
今日は近くの八幡さんの祭で、子供たち中心の太鼓台がアップダウンの多い町内を触れ回っていた。
ただ、氏子でもなく自治会のお付き合いがない新興地は蚊帳の外のようで、練り太鼓や鉦などの音だけが聞こえてくるだけというのはやや寂しい。

新興地にはすでに数百世帯が住んでいるというのに、首都圏のような在も新もすぐ混じり合うような土地柄との違いと言えようか。

風の楯

屋敷林背負ふ芒の籬かな

屋敷林は富山の砺波平野のものが有名だが、調べると日本海側の各地にあるようだ。

日本海側に多いのは雪を含んだ季節風を直接に受けるからだが、山形だったか、この時期になると屋敷林に加えて芒を組んで籬とする作業に追われる集落がある。
いわば家の前にも後ろにも風の楯を設えるわけだから、この地域での風がいかに手強いかが分かる。

地吹雪ツアーで地域の弱点を逆手に町興しをはかる自治体もある一方で、集落の者どうし互いに助け合ってじっと冬に耐える風土を守り続けているところもある。

早生は渋か

透けるかと紛ふ熟柿の濃赤錆

急に冷え込んできた。

斑鳩の里などを歩くと、木に成ったままで収穫されない柿が多く見られる。
鳥にも食われないのか、傷一つとない柿がまるまる熟れてもう溶けそうなくらいに色を濃くしている。しかも、向こうが見えるのではないかと思うほど透けるような色である。これを和菓子の水饅頭や水羊羹みたいだと言ったらオーバーか。

この深い赤色を何と呼べばいいのだろうか考えてみたが、なかなかいい名前が浮かばない。それこそ「熟柿色」なのである。
有田焼の柿右衛門の「柿」だって、その元は独特な赤の色合いが熟柿に近いところから取ったのではないだろうかと思えるほどだ。

今は、天理の辺りの「刀根早生」の東京、大阪方面への出荷がピークだそうである。これも渋柿だが炭酸ガスにくぐらせて渋を抜いてあると言う。先日、飛鳥の道端で買った柿の半分以上は渋柿だったので、あれはきっと手抜きして売っていたに違いない。

植生の効用

溝蕎麦の大河に注ぐところまで

信貴川というと大変立派な川のように聞こえるが、実際には小さな流れである。

信貴山の麓から大和川に注ぐまで、距離にするとわずか2,3キロ程度であるうえ、途中灌漑用にも溜められているので流れも細い。

大和川と言えばかつて汚染度全国ワーストワンだったが、生駒や奈良方面の住民の努力などで多少は改善されているがそれでもワーストファイブには入るだろう。原因は下水道普及率の低さである。
新しい住宅地では下水道も整備されてきてはいるが、いまだに汚水を直接川に流す家もあり、この信貴川も例外ではない。そのような一帯には悪臭も漂うが、大和川に注ぐ寸前にビオトープに誘導してこの水を濾過しているのが救いである。

さて、その信貴川であるが、決してきれいとは言えない川の両岸に、昨日の散歩で溝蕎麦が満開であるのを発見した。コンクリートで護岸された川にも土砂の堆積などがあると植生が芽生え、このような群落を形成するようになったのだろう。この群落も一種のビオトープと言え、何とか維持してもらいたいものだ。
こうした、ちょっとした工夫などが大和川の水質改善、保持に貢献するにちがいない。

稲刈り始まる

初鴨の動くともなき中洲かな

大和川にようやく鴨がやってきた。

足首の痛みもだいぶ引いたので久しぶりに近所の散歩に。
大和川の鳥たちのたまり場に沿って注意深く見てきたが、JR関西線大和川鉄橋付近に4羽の小鴨が休んでいるのを発見した。いつものように餌をしきりに取るのでもなく、流れの速いところを避けてじっとしている。
中洲にあがって動かないのは、まるで長い旅の疲れを癒やしているかのようだ。

この先、上流500メートルのあたりに100羽ほどのヒドリガモが飛来し、つぎに大和川鉄橋付近に真鴨が来るといよいよ冬の始まりだ。

稲刈りが始まったようだし、駅前の桜もきれいに紅葉し始めた。
久しぶりに秋を惜しんで近所を歩いたらいいレフレッシュとなった。

テレビで吟行

取り分けの菊を地蔵に白川女

実際に見たわけではなく、BS3のシーンからいただいた句である。

今どきの白川女は軽自動車だ。かつてのように頭上の簑に花などを盛って一軒一軒得意先を訪ね回った姿は、さすがにもう見ることはない。伝統の出で立ちは地元保存会の努力によって辛うじて受け継げられているというが。
ある白川女は、行商に出るたびに家に置いてきた乳幼児の無事を祈って京の子安地蔵に花を供えた習慣を今も忘れず、行商が終わると必ず地蔵様に立ち寄って新しい花を手向ける。

これは石仏や地蔵さんが辻つじにある京都の風景を描いた番組だったが、最近はこのような番組はなるべく録画して、あとで句帖を手にじっくり見ることが楽しみになっている。言ってみればテレビ画面を通した吟行みたいなものである。遠くにいても句材には困らない。いい時代になったものである。

NHKはCMを流さないかわりに番組宣伝をさかんにやってくれるので、こうした日本人とその生活、地域の風土などを流してくれる番組を拾いやすい。
つい最近だが、毎週月曜日から土曜日の朝7時から毎日10分間、過去に放送した番組の中から里山の暮らしを抜き出した番組があってファンになった。番組の最後に象徴的な意味合いで季語も紹介されるのがまるで映像歳時記のようでもある。
いつ頃から始まった番組かも分からないしいつ終了されるかも分からないが、続く限りは取り続けたいと思う。

今後こうした番組からヒントを得た句が増えるのは間違いないだろう。

短髪に

鯉口の業平模様松手入
親方も施主も二代目松手入
二代目の紺足袋さまに松手入
紺足袋に葉屑こぼれて松手入

法隆寺の立派な松は手入れを待つばかりに伸びている。

その伸びた枝葉には新松子(しんちじり)と呼ばれる青い松毬もすっくと立っている。
松手入れというのは、あの混み合った枝を剪定し、葉をむしる「もみあげ」と呼ばれる作業であるが、こうするとちょうど散髪屋で短めにカットしてもらった頭のように、さっぱりとした姿になって下から見ても空が透けて見えるようになる。

松の寺だけあって、すべての松の手入れを終えるにも時間がかかりそうだが、果たしてそれはいつ頃着手するのだろうか。「松手入」は秋の季語なので、近いのは間違いない。