予定の綻び

新蕎麦を打ってくるると誓ひしに

定年になったら蕎麦打って食わせてやるよという友がいた。

生涯学習センターかなにかで蕎麦打ちを習い始めたばかりだと笑いながら。
高価な道具も買い揃えて張り切っていたようだ。
書や水泳、山歩きなど他にもいろいろ目標があったらしい。

その彼も還暦を前に儚くなってしまった。

「新蕎麦」で創作してみた。

走り蕎麦此処と定めて十余年
路ひとつ入った店の走り蕎麦
此処だけはテレビも知らず走り蕎麦
限定の新蕎麦打って早仕舞
新蕎麦の催促メール電話でも
顔見せを兼ねて相伴走り蕎麦

サラブレッドの余生

競走馬余生の馬場の秋うらら
競走馬終の住処の秋高し
ギャロップもしてみせ手綱爽やかに
大鋸屑を替へて厩舎の爽やかに
馬銜解かれ鹿毛は厩舎へ秋深し
冷ややかに乗り手見切りし牝馬かな
桜紅葉かつ散るダムのビューホテル

榛原句会の今月は吟行だ。

場所は名張も過ぎて青山高原手前の乗馬倶楽部。
第一線のレースを引退したサラブレッドばかり20頭以上はいようかという立派な倶楽部である。
ここの馬は生涯死ぬまで乗馬用現役を務めるとか。競走馬としてはあまり結果を残せなかったが、気性に問題なさそうなものが選ばれているのだという。最高齢で27歳。平均年齢16,7歳。人間で言えば4を掛けて、我らと大差ないご老体であるが、さすがサラブレッドにしてケアも行き届き、贅肉もなく均整の取れたボディに我らは似るべくもない。

この倶楽部、目に見える句材はと言えば青い秋空、名も知らぬ木の黄葉くらいしかない。
乗馬のレッスン、調教、厩舎の手入れや蹄鉄装蹄の様子など約一時間程度しか取れず青蓮寺湖を見下ろす句会場へと向かうのだが、句帖は真っ白のまま。会場で頭を抱え込んだが、何とか六句が滑り込みセーフで間に合った。
上手い下手は置いといて出句したものの、今日のように季語の斡旋すら及びもつかないときは句友の句が一番の薬になる。
こんな句が好きだ。

すぐ前に馬の顔ある秋日和

深山に眠る

地図になき洞の僥倖ましら酒
コンパスの狂ふ異界のましら酒
猿酒に徐福の帰心失せしとぞ
猿酒は人知れず酌むべかりけり
猿酒のついぞ聞かざる酌み交わし
姨捨の山に猿酒眠るとや
猿酒の洞は死んでも言えぬなり
猿酒の親にも言へぬ在処かな
養老の滝の正体ましら酒
猿酒に仙人通を失くしけり

何ともファンタジーな季語である。

今月の例会の兼題に「猿酒」がとりあげられた。
猿が木の洞などに集めておいた木の実が自然発酵した酒を言う。リスだったらそういうこともあるかもしれないが、ときに歳時記はこのような空想上のものまで季題に仕立て上げるところが面白い。

だったら詠み手は存分に遊び心を発揮したいところだが、とりかかってみると意外に難しい。

スローライフ

隠遁の畑はコスモス半ばして

隠遁というのにはちょっとオーバーかもしれない。

現役引退ということだろうか。
子供も巣立って二人だけの畑では多くを作る必要もないし、何より体力的に多くを作ることもかなわなくなる。だからであろう、畑の大部分は作物ではなく花なのである。
花に囲まれて、必要なものだけを必要な量だけつくる。まさにスローライフ。

畑に入ってから夕暮れまでの時間を過ごしている農婦の姿を見かける。
ときどき、屑などを焼く畑仕舞いの煙が家の方に向かってくるのには閉口するが。

新興住宅地の周囲は昔通りの時間が流れているのである。

新藁の匂い

藁砧みぃーの寝床の安らけく

北信州には「ねこちぐら」という民芸品がある。

以前にも取り上げたが、雪の深い地方ならではの藁で編んだ猫の寝床である。
大切な食料を鼠から守ってくれる猫をよほど大事にしているのだろう。
夜なべ仕事で作られていたそうだが、出来映えもなかなか精緻で見事なものだ。いまでは作れる人も少なくなり値段も相当なものだと聞く。

話は飛ぶが、久しぶりのみぃーちゃん(本名:みやこ)ネタである。
三年半くらいたつが未だに家の子になってくれないが、朝昼晩の三回のご飯は欠かさずもらいに来る。
夜はどこかの納屋で過ごしているようだが、これから冬になると庭においたビニール温室の寝床がお気に入りとみえて、昼寝とか夜を過ごすことが多くなる。
段ボール箱の底に藁を敷き、壁も天井も藁で覆うようにしてやっているのだが、今日は新しいのに交換だ。藁はホームセンターで買ったものだが新藁とみえて青みも残っている。
去年は寝床がやや固かったので、今年は砧ならぬハンマーで叩き、手で揉みほぐしながら、安直版猫ちぐらの完成である。ちょっと獣臭のしみたビニール温室に新藁の匂いが広がった。
さて、みぃーちゃんは新しい寝床を気に入ってくれるだろうか。

御酒を勧められる

在祭鎮守の森の昼灯し
山車倉は絵馬殿の端在祭
早々と長老の宴在祭
絵馬殿に酒宴となりて在祭
山の上に山車を曳き上げ在祭
見学子御酒勧められ在祭

再び村祭り。

八幡さんは集落の一段高いところにあるので、山車を担ぎ上げるのは大変だ。
いまは隣接の山林が住宅地に開発されて道路が広くなった分いくらかはましかもしれないが、高度自体は変わらないのだから、若い曳き手がいないとつとまらない。
本宮祭が終わって、子供たちは菓子袋をもらって帰宅となるが、大人たちは山車倉へ格納したり、祭幟をしまったり片付け仕事は多い。その一方で、長老たちは境内に敷かれたブルーシートの宴席に早ばやと座り込み乾杯の合図を待たずに宴席が始まった。

見学子も席にと招かれたが、何のお手伝いもしてないので面はゆく丁重にお断りした。

貞享四年とは

水船は江戸期と伝へ水澄める

八幡さんの祭は今日が本宮祭なので、句材を拾いに出かけてみた。

17世紀の創建という神社には何度か散歩の途中に寄っているが、手水舎の水船の銘は間違いなく貞享と刻んである。同4年(1687)には生類憐みの令が出された。その5年前には八百屋お七の起こした江戸大火、翌年は元禄元年という頃である。
普段は水も流されてないはずだが、祈願祭の今だけは竹の樋からとろとろと澄んだ水が流れ込み、あふれた水は地面にそのまま吸い取られるように染み込んでいく。

この水船は当町で一番古いものだと教育委員会の折り紙付きだから、あの龍田大社のものより古いことになる。自然石をそのまま穿っただけの素朴な細工だが、氏子たちが綿々と大切に守ってきたのがうかがえる味わいのあるものだ。