山里めいて

群れの数耳でかぞへる小鳥かな

今日は四十雀だと思われる声がいちだんと大きく聞こえた。

いったい何羽くらいいるのだろう。かなりの数が庭に来ているのは間違いない。猫たちもみんな窓際に寄って、彼らの動きに合わせて目で追っている。しばらく騒がせて去ったようだが、これからの季節毎日のようにやってきては楽しませてくれるにちがいない。

鵙は相変わらずこの住宅地をテリトリーにしているようで、電線の上などで標を名告る声が高い。

三回忌

竜胆の紫苑はなやぐ忌日かな

13日が母の2年目の祥月命日、三回忌である。

お寺さんの都合もあるのですでに三回忌供養はすませた。
今回の仏壇の供花には竜胆が加わっている。毎日小菊などの仏花に見慣れているので、竜胆のような紫色が混じっているのはいつもよりはちょっと華やかだ。

秋出水

秋の川裏葉柳に濁りゐる

秋出水のあとのささ濁りだといっても吉野川の水色は美しい。

宮滝の流れ

澄んだときならきっとエメラルドグリーンに近いものなんだろうと想像するにかたくない色である。裏葉柳色と言うのだろうか、やや白く濁った草色、それが柳の葉裏の色だというのである。雨後の宮滝のたぎりがそういう色であった。
あと数日もすればまたもとの清流の色に回帰するのだろう。

天武ゆかりの神社

露けしや象の小川の屋形橋

万葉に多く歌われた渓流・象の小川そばに桜木神社がある。

象の小川

大己貴命・少彦名命(つまり大国主)と天武天皇を祀った神社で、ごくせまい山あいに建てられているのでさして広くはない。
社名の由来は、天武が壬申の乱のとき大海人皇子として大津から逃れてきたとき討手から身を守るために、とっさに隠れたのがこの社にあった桜の木だったという伝説にちなむ。

桜木神社の屋形橋

屋形橋から桜木神社本殿へ

神社へのアプローチは象の小川を渡ることになるが、両岸に多くの木が覆うようにしているのでたいそう鬱蒼としていて、橋はいったん道路より数段低いところに降りて、渡ったらまた階段を登って境内にあがるようになっていて、屋形とよばれる屋根をかけた大変珍しい形をしている。
このあたりはしじゅう川霧がたちこめ、露にも濡れて湿っぽいうえ、杉など周りの木々から落ちる葉なども散り敷くので、それらから守られているかのようだ。
今年は何句か「露けし」の句を詠んでるが、この橋は文字通り露に濡れがちなのである。

万葉旧跡

紀ノ川となりゆく水の秋の暮

どうしても吉野宮滝離宮があったという跡を見たくて車を走らせた。

台風の後とあって吉野川はささ濁りで水量も多いようだった。
時間がなかったので今日は名所・宮滝だけを見て返ろうと思っていたが、両岸が山に囲まれたこんな狭い場所に家も並んで宮といっても跡形もないだろうに思うのだった。かつてはこの上流に「柴橋」と呼ばれる木の橋が架かっていたそうだが、今では正面に鉄橋ができているので対岸にわたると、象(きさ)山と三船山の間を流れて吉野川に注ぐ「象の小川」がある。この渓流は水も澄んでいかにも秋の水といった風情である。
その奥にそば畑があるよという看板があったので狭い道を上ってゆくと、桜木神社、そしていよいよ吉野山へ通じる東海自然歩道登り口で車は通行止めになっていた。結局、そば畑もみつからないまま引き返すことにした。
吉野川沿いの国道169号、吉野神宮あたりの川幅が随分広くなってきたあたりでは夕日を入れた川面がまぶしいほどで、河原の芒の穂がきらきらと光るのだった。

野分の忘れ物

かけあしの野分残せし日照雨かな

台風18号の奈良盆地は拍子抜けするものだった。

来るぞ来るぞというわりにちっとも雨は降らないし,風も吹かない。いったいどうなったんだと思いながら寝たわけだが、朝方5時頃強い北風の音で目が覚めた。雨の音はあまりしない。そのまま二度寝したら、7時にはもう風もしずまっているのは、いかにも雨の少ない奈良盆地らしい。
テレビをつけるとすでに浜松の近くに達していて、静岡や神奈川の方は雨も大変だと知る。

ただ、今回は台風一過の晴天どころか、霧雨のような日照雨(そばへ)、いわゆる狐の嫁入りが一日中続く、変な天気模様だ。

ここにもレッドリスト

ふじばかま叢としもなく名告り出で

この夏、雨が少なく気温も高かったせいだろうか。

白毫寺では九月の末になってようやく藤袴の蕾が膨らんできたが、その数が可哀想なくらい少ないと言う。もともと河原などで見られる植物なので、湿り気がほどほどあり、夜の気温も抑えられるような土地が適しているのだろう。
もはや自然に自生しているものが極端に減って準絶滅危惧種に指定されているうえ、異常気象などが続けばさらに危険にさらされることになる。

秋の七草に数えられていたのが、今では園芸店でくらいしか見られないというのは寂しい話である。