ほんわか

耳遠き人におらぶる刈田道

御年卒寿、くらいと思われる。

暑い夏も毎日のように鍬を振るっておられる。
歳にしては高い方に属する御大はいたって健康体であられる。ただ難は耳が少々遠いこと。
コロナ全盛の頃は大声で話しかけることははばかられたが、いまでは近くまで寄って雑談もしたりできるようになった。
今日は昔からのお馴染みさんとおぼしき人が遠くから声をかける。が、本人には届かない。
そこで、杖を頼らなければ足許が怪しいところを畔沿いに近づいてようやく気づいてもらったようである。
旧交をあたためることしばらく。掘りたてのサツモイモの幾ばくかを土産にお戻りになった。
コロナなどもあって近所でもなかなか出会えない日が続くが、こうして長いおつきあいの仲の会話など聞いているとほんわかとした気分が漂っていいものである。

藷日和

掘り出して灰汁のぬるりの甘藷かな

植え付けから五ヶ月弱。

夏の高温と水不足に育ちがもう一つだったが、なんとか藷の収穫にたどりついた。
サイズがまちまちで腕はまだまだだが、そこそこ楽しめる程度には穫れた。
品種は昔から「紅あづま」にこだわっており、それは粉質がきわだって天麩羅が最高にうまいからである。
最近はこれに加えて「紅はるか」。紅あづまよりやや粘質で、かと言ってべちゃべちゃするわけでもなく焼藷にぴったりである。
大人になっても穫れても穫れなくても藷掘りは楽しいものだが、困ったことは掘りたての藷からしみ出す白いミルク。見たところまるで木工ボンドのようだが、指につくと黒く固まって、とくに爪先など風呂で洗ってもなかなか取れない。しかし、思うに、濃いミルクが出るということは澱粉が多いということであろうし、数週間追熟させるとこれが糖に変わって旨味、甘味が増すらしい。
天日に数日干してから室内に保存すれば半年はもつというので、晴天が続きそうな今週あたりは藷掘り、藷干し日和となるにちがいない。

稲架解いて

三俵ほど稻扱終えて稲架も解け

昨日まであった稲架の杭が縄でくくられている。

何人かで来ていたから、稻こきと同時に稲架も解いたのであろう。
道端に停めた軽トラには稻扱の終わった籾俵が三つほど。一と家族の一年分くらいの主食が確保できたろうか。
通りかかった時には大方の作業は終わったようで、みんな道端に座り込んで雑談に耽っているらしい。

のびのび

てらひなき児らの斉唱秋うらら

トトロの歌が教室よりこぼれる。

音楽の授業らしく教室から斉唱の声がもれてくる。
思わず聞くともなく見上げると、空はまたとない青空。
それだけでこの日一日幸せな気分が持続する。
自分たちの時代の教科書と言えば童謡、小学校唱歌が中心で、今のようなアニメなどポピュラーな曲は見られなかったと記憶している。
子供たちの声ものびのびとしていて、いかにも楽しげで、歌が苦手な児、上手な児関係なく、それぞれ自由に歌っているように思えた。
画一的な教育の弊害が言われるなか、授業が嫌いにならないことがまず第一であるように思える。

音頭取り

宮入のかしられたる里祭

町のあちこちで通行規制がかかる。

今日は龍田大社の例大祭で、町内各地区のお宮から練りだした太鼓台を中心とした楽車だんじりが大社に勢揃いする。
それが終わると、今度は大人子供勢揃いで楽車を曳きながらもとのお宮に戻る。午後三時頃から各楽車が四方八方に練るので午後五時頃までは通行規制が続く。
ただお宮に戻るだけではなくて、地区をくまなく練るので坂の多い地区では思い楽車を曳くのは大変である。ハンドマイクを持って大声で進行を仕切る頭の声はもうがらがらで、宮入する頃には息も絶え絶えといった風情。挨拶も何を言ってるのか分からないくらいしわがれている。
無事にお宮に戻って無事庫入りする頃には辺りはもう暗くなろうとしている。すると世話役の音頭で乾杯のあと盛大な打ち上げ式で産土の宵は更けてゆく。

冬の田へ

屑藁の濃きうすきをく刈田かな

稲刈りが終わって急に寂しくなった田。

コンバインに切り刻まれた藁やら、早いところでは籾殻さえも置かれているところがある。これらはいずれ冬耕、荒起こしによって鋤込まれるのであろうが、水鳥も来ない刈田となっては冬は長い。
この辺りは二期作もなくこのまま冬を越すので、静かなしずかな棚田の景色が広がるのみである。

日暮れまで

道の泥掃いて収穫とりいれ仕舞ひけり

棚田は第二弾の採り入れ日だったようである。

棚田の各田を廻るごとにコンバインの音が響き、今日だけでいったい何枚の田を刈ったろうか。一台のコンバインが棚田を順繰りに採り入れていくということは、レンタルあるいは委託の稲刈りであろう。
午後五時を過ぎるとさすがにうす暗くなってようやく終了したようで、最後は各田を巡るたびに一般道を走るコンバインが落としていった泥を丁寧に掃いて今日一日が暮れていった。