覚醒

隠れ里しのばせ雑木紅葉山

この二、三日背後の山が見事な変貌ぶりである。

信貴の山からなだらかに尾根が里につづくが、普段は何の変哲もない雑木の尾根である。これが秋が深まり冬に入る頃には全山がみごとに黄葉し、さまざまな種類の木がそれぞれの色を競うように全体を染め上げあたかも全山が覚醒したかの様となる。
家を出て少し行くと全体が見渡せるコーナーに出るとそれが眼前にばあーっと広がるのである。信貴の天辺から尾根の末端は小学校まで、180度のパノラマである。
尾根の途中には木立に囲まれて麓からは見えないが古くから信貴畑という集落があり、ここは土地の地蔵講の人たちによって毎年勧請縄が掛け替えられてハイキングコースの目玉地でもある。
尾根の中腹にはこれも裾からはうかがい知れない大きな溜池があって古くから平群の田をうるおしている。
見かけは何の特徴もない尾根であるが、隠れ里的な集落を護る尾根でもある。

矜持

捨案山子誰が見んとて見得を切る

とっくに稲刈り、稲架掛けも終わった田に立っている。

妙にリアルっぽい案山子三体がある。
最初のうちこそ色鮮やかな衣装を着ていたが、それも近ごろは色あせが目立ってきてますます貧弱に見えてくる。
田主にしてみれば、目の前にある学校の児童たちに見せたいのであろうが、集団下校で隊列を組んで帰る子供たちには視線さえもらえないでいるのがいよいよ哀れである。
役割を終えたものたちに、引き際という矜持をもたせてやりたいものだ。

軽食

藷づくし膳にくちたる茶粥かな

昼食に藷天のうどん。

デザートは焼藷。
そりゃあ腹がいっぱいになるな。しかも藷は腹保ちがいいのでなかなか腹が空かない。
ということで、夜はあっさり系の茶粥となった。
水が大半を占めるから腹が重たくならない。茶漬けよりも軽いくらいで、疲れた胃には具合がいい。
畑で穫れたものの小鉢がいくつか並び、腹くちてる割には食がすすむ。いかん、いかん。

半減

じやがいものコロッケころころほくほくと

好物はと聞かれればいの一番のもの。

コロッケ、つぎはトンカツか。
コロッケの具はなんでもいいが、やはり基本はじゃがいもにビーフだろう。これに加えてコーン、ツナがベストスリー。
クリームコロッケもいい。
いろんな具のものがあっていいが、やっぱりこの三つに戻る。
コロッケが出る夜はご飯もよくすすむ。
ただ、かつては五つ、六つと食べられたのに最近はせいぜいが三つくらいというのがさびしい。
じやがいもこと馬鈴薯は秋の季語だが、秋の新じゃがはやはり初冬だろう。とくに近年は秋が暑いので植え付けもおそくなり、霜が降りるころ収穫となってしまうのは仕方がない。
季感とずれてきた季語の代表選手かもしれない。
補)北海道は年一回の収穫だから初秋。それが季語の元かもしれない。本州では年二回穫れるから季感のずれが生じる。

季節外れ

鼻をつく雨のいきれの暮の秋

やたら生溫かい匂いがする。

この時期にすれば場違いの暖かい雨である。十一月そうそう季節外れの陽気がつづき、そのフィナーレが今日の雨だという。
明日からは徐々に気温が下がると言うし、気温の乱高下にはたして体がついていけるかどうか。
ここ数日の暖かさで予定は順調に進んだが、これからは風やお日さま、気温と相談して進めることが多くなるに違いない。
ともすればズルを決め込もうとする自らに鞭打ってたゆまずにリズムをきざみたいと思う。

穭田に

屑藁に鳩群れ落ちて冬近し

最近田の近くで鳩の群をよく見るようになった。

今日も電線の鳩たちを見ていると、二三羽の先兵がまず田に降りたって屑藁に嘴を突っ込む。安全とみた他のものもつづいて降りたってくる。
刈田は穭穂の緑が目立つようになっていよいよ秋の深まりの感を濃くしてきた。
鳩たちも冬に備えて落穂を探っているのであろう。ひと月もすれば野は枯れ餌を得るのも難しかろう。
鳩たちは秋の一と日を急いでいるのである。

ピアノがあれば

赤バイエル聞こえる窓に小鳥来る

ヒッヒッと鳴く鳥声が聞こえた。

あれは間違いなくジョウビタキである。
もうそんな季節かと晩秋の感慨に浸っていると、どこかのお宅からピアノ練習の音がもれてくる。
単純な音がたどたどしく聞こえるので、あれは初心者用バイエルであろうか。
調べてみると、子供の入門用は赤表紙と言って、片手で弾くことから始まる単純な音の連続である。初心者の域を脱すると黄表紙となって、両手で弾かねばならないのでだんだん難しくなる。
わが子も黄表紙までは進んでいたということだが、いつの間にかやめてしまった。
だがしかし、基礎が出来ていたので幼稚園では重宝されているらしい。
この稿を書いていたらたまたまニューヨークの街角ピアノの放送をやっていて、ピアノひとつできればいろんな国の人とも寸時に仲良くなれるのが楽しそうだった。引っ越しのときに古いピアノを廃棄してきたのだが、もし残してあれば呆け防止にピアノ練習できたのにと今さらながら悔やまれる。