入園料免除の集団

高塀に石榴しだるる公舎かな

今月のまほろば句会は登大路の「吉城園」。

南大門前を流れてきた吉城川をはさんで、名園二つ。「依水園」と「吉城園」だが、吉城園は県営で65歳以上は入園無料である。30人も押しかけて誰も入園料を払わぬという、園にとっては災難の客。
元は興福寺の塔頭の一つであったらしいが、その後個人のものとなったり、企業の迎賓施設として使われたりしただけに、大正時代の手作りガラスをはめ込んだ広縁のある豪勢な座敷や離れの大きな茶会ができそうな茶室があるほか、池の庭、苔の庭、茶花の庭が築山などによってうまく配置された立派な庭園である。
広い庭園だけに、季題だらけで他に探す必要もなく、二時間はいただろうか。
いくつか詠めたが、やっぱり植物を詠むのはむずかしいものだとつくづく思わされた一日であった。

掲句は、公園の隣にある県知事公舎のそばを通ったときに見かけた光景。色のコントラストを強調する「白塀」にするか、高さを強調する「高塀」にするか迷ったが、石榴の古木を想像させるにはやはり「高塀」のほうが相応しいと思ったので。

パロディ句

天高し奈良にふたつの大宮趾

パロディである。

原典はご存じ芭蕉さんの「菊の香や奈良には古き仏たち」。
だだっ広い草原となった藤原京では、虫だの限られた素材に絞られた句ばかりになるだろうと予想して、奈良盆地全体を俯瞰するような気分で作ってみた。
当然選はもらえないものと思っていたが、なかには酔狂な人もいたもので一票いただいた。

ほんとに、平城京といい、藤原京といい、なんにもないスペースをこれだけ確保したのは、外の県ではどこにもないだろう。

白鳳宮址の発掘現場

秋暑なほ発掘の手の休むなき

藤原京、本薬師寺吟行の日。

台風の影響だろうか、非常に蒸し暑いなかを、あの広大な宮址を北から南へ抜け、休田を利用した布袋葵に囲まれる本薬師寺を経由し句会場まで徒歩で通すわけだから、誰にもきつい吟行である。
90歳を含む高齢化集団にもかかわらず、誰一人落伍者なく無事句会が終了できたのは奇跡かもしれない。吟行で鍛えた健脚がものを言ったわけである。

草原だけがのこるだだっ広い宮址の大極殿南側の一画で、この暑さにもかかわらず黙々と背の高さほどにまで掘り下げて発掘作業を続けている一団がいた。
奈良文化財研究所の人たちである。汗みどろになりながらも、その手は止まらない。

大きな供物

大師堂真中に座して大西瓜

西瓜というのは夏の食べ物というイメージが強い。

しかしながら、秋の季語だとされている。
「瓜」が夏の季語であるので、いったいその違いはどこから来るのであろうか。
歳時記によれば、昔から七夕などに供えられるものであるからとしているが、西瓜提灯などが盆のイメージに沿っているからかもしれない。
いずれにせよ、昼灯なき暗い本堂に目をこらしていて発見した光景である。大師への信仰に厚い檀家からの篤志であろうか。

放生池

山清水引いて放生池の深く

やはり、ここも峰寺と言うのだろうか。

山の水が境内を縦横に走り、その一部が池を形成している。
関西花の寺札所だが、この時期は楼門前の百日紅一本あるだけで、池の菖蒲もとっくに終わって静かな水面が広がるばかりである。ただ、放生池と名づけられているだけあって鯉が泳ぎ、水面を蜻蛉、蝶が舞う。ときに牛蛙のぼうぼうという鳴き声が方々におこるなど、生き物たちの楽園でもあるかのようだ。

釜の口山長岳寺

勸請縄懸かる巨木の蝉時雨

長岳寺の門前に立つと大きな縄が頭上に掛かっている。

勸請縄というのだろうか。それにしても、寺に結界を示す勸請縄とは珍しい。
縄の一方は大楠に懸けられて、頭上からの蝉時雨が煩いほどだ。
大和神社の神宮寺であったという通り、今でも大寺である。
山門から奥へ進んでもあらゆるところ全山蝉時雨。
落ち蝉、蝉の抜け殻もあちこちに見られる。

大師堂のど真ん中には大西瓜がどんと供えられていた。
本堂には釈迦三尊像。いずれも玉眼の像としては最古のものらしい。
有名なのは地獄絵だが、秋にしか公開されない。
こんな暑い日ではなく、好天の秋日にこそ来るべきであろう。

元気の証

廃業の軒に朝顔登りゆく

奈良町吟行とくると昼は蕎麦屋が定番だった。

それが、後継者不足らしく店をたたんでしまわれて、今では放浪の飯屋探しだ。
昨日もその前を通りかかったら、店頭に朝顔の鉢を並べて通りがかりの人を楽しませていた。
どうやら、主あるいは女将さんはまだ健在らしい。