女子大の緑陰で

校舎から校舎へ渡る日傘かな

今年最高気温の奈良を吟行。

お目当てが伝統ある奈良女子大だったので、木立が深く、緑の影も多くて助かった。
キャンパスに着いた頃は学生が見えず、もう夏休みかと思っていたら、授業が終わった校舎からどっとあふれるように学生が出てきた。学食へ向かうもの、次の教室に移るもの様々だが、半分くらいが跣足にサンダル履き、少しの移動距離でも日傘をかざすあたりはさすがに女子大かと思わせる。

重文になっている旧本館を案内いただくも、参加者が多くてクーラーにも限界。汗が引くどころか、ますます吹き出してくるには閉口した。
この大学のシンボルツリーとも言えるメタセコイアの大緑陰にしばらく身を置いたら、ようやく体の火照りも治まってきた。

閻魔堂特別開扉

閻王や絵解の刀自の比丘尼めき

今月限りの特別開帳の閻魔堂では五分ほどの解説がついた。

お賽銭を投げる間もないほど、立て板に水のごとく老婆の解説が始まったかと思うとこれがなかなか終わらない。平板なトーンのせいか、中身にもなかなかついて行けずじまいのありさまで、とうとう後半はほとんどの話が空の上へ飛んで行く。
もう少しじっくりと閻魔さんを拝見したかったところ、早々と退散することにした。

かつてこの国には「絵解比丘尼」という尼僧がいて、熊野勧進のため地獄・極楽など六道の絵解きをしながら歌や物乞いをして諸国を歩いたそうである。これが、のちには遊女同然となり売色を業とするようになったとも。閻魔堂の絵解き刀自にはそのような妖艶な趣はなく、むしろ能面のように無表情だったが、長くこの閻魔堂をお守りしてきた年輪の趣だけははっきりと感じ取れるのであった。

誰がものにするか

遠鳴けば近けたたまし雨蛙

紫陽花苑に入ると雨粒が落ち始めてきた。

順路は青竹の垣にそって行くわけだが、鎌倉・明月院の階段よりずっと狭くて腰や袖の辺りが衣服を濡らす。順路を設けた理由はどうやらそんなことにあるらしいとは吟行が終わってから気づいたことだ。
この順路は山の中腹を巡るように設えてあるが、ちょうどいい具合の谷筋に入ると、石の階段は滑りやすく足下ばかり見る紫陽花狩りとなった。
それでも、下から上ってくる順路に目を落とすと、とりどりの色の傘が紫陽花に見え隠れしながら上ってくるのが見える。こういう場合、地味な傘というのは絵にならなくて、やはり思い切り派手なものを選んで持ってくるほうが似合うと思う。しばらくそういう構図を待ったが、なかなかチャンスは訪れず吟行の途中でもありあきらめることにした。
また、この谷には大きな山法師の木があって、おりしもの満開は辺りを灯すようにも思えた。

紫陽花苑の山法師

順路巡りも一段落し、さてどうしたもんじゃろうの〜う、なんて句作の構想に耽っていると、谷筋の向こう側から蛙の声が聞こえてくる。聞こえたかと思ったら、すぐ目の前の辺りで大きな声で応えるものがいて。そうすると、まるで示し合わせたかのように、あちらこちらから代わり番こに輪唱が始まって、一同目を合わせて、「やるか?」という顔である。
ここで「やるか」というのは、これを句にするということであり、さても午後の披講が楽しみとなった。

舌仕舞いつつ

下闇に暗む眼の閻魔堂

天武天皇ゆかりの矢田寺へ。

山門から200余の急な石段を登ってようやく諸堂にたどり着く。
着くやいなや、ホトトギスが迎えてくれるは、開花したばかりの沙羅、泰山木の花、そして一万本の紫陽花。
紫陽花の咲き満つ谷筋に入ると、折から降り出した雨に紫陽花たちも生気を取り戻したかのようだ。
後ろに控える丘陵をめぐれば西国八十八カ所を模した遍路道もある。行程1時間半だというので、八十八番目、すなわち結願の薬師如来さんだけお参りして御利益を願うという厚かましさ。

この六月だけ開帳されるという閻魔大王さんの前では、脇侍もまじえたあの世の裁判を詳しく解説していただく、いわば絵解サービスもあって、ひたすら腰を低くして聞くばかり。閻王の黒い眼の底知れなさに思わず身震いするのであった。

寸足らず

蒲公英の全き球の絮透けて
蒲公英の絮の真円全けく

写真に撮ってないのが残念だ。撮ってきた。

蒲公英の絮

それくらい、見事な球で、絮を通して向こうが透けて見えるという、今まさに飛びゆこうという寸前の状態である。
これを句会当日に詠みたかったのだが、思うようにものにできなかった。
今日も試してみたが、寸足らずの説明に終わっているのが悔しい。

手練れならこれをどう詠むだろうか、聞いてみたいものである。
明日は立夏。
これまで夏を待たずに夏の季語ばかりを詠んでいたので、たまには春の季語も詠んでみた。

ときの熟成を待つ

手に取りてなんじゃもんじゃの香に咽ぶ
園薄暑見るべきほどのものは見し

なんじゃもんじゃ(ひとつばたご)

ホームグラウンドの馬見丘陵公園へ吟行。

すっかり初夏の装いで、行くところ句材の山で、ひとところに落ち着いて詠むゆとりもないくらい。
締め切り時間ぎりぎりに何とか五句投句。
互選にはずいぶん拾っていただいたとは言え、満足度としては低いのが困ったもの。
自分のうちにおさめて時間をかけて熟成できればいいが。

古木の風格

樹脂埋めし洞の古木に蘖ゆる

佐保川堤の桜というのは大変古い歴史があって、幕末に奈良奉行が植えたのが始まりだとされる。

そのうちの数本がまだ健在で、多くの支柱に支えられて堤に覆いかぶさるように咲いているものがある。
なかには、樹脂の修復跡がなまなましい古木もあって、その根元からは若い枝が伸びたり、蘖さえ吹き出している。
その蘖にも、枝に咲くものとなんら遜色ない形や色の花がびっしりついている。
老いてなお蘖を伸ばそうとする生命力。古木の風格、ここにあり。