冬うらら

寒晴や双耳著けし二上山

三月の陽気とか。

大神神社吟行は冬うららで厚い上着も要らぬほど。
十日になるので参拝客も少ないだろうと予測していたが、意外にまだまだ。二の鳥居前の駐車場には長い列ができている。
登拝入り口となる狭井神社からは、次々と善男善女が鈴を鳴らして登っては降りてくる。
一通りコースを巡って、やはり最後は盆地を見渡せる小高い丘に登る。
真東から見る二上山の双峰は遠目にもくっきりと晴れた空に突きだしている。

手向山冬紅葉

管公の腰掛石の散紅葉

ただの石や木なのに、有名人が座ったり、掛けたりすると、いかにもそれらしくなる。

腰掛け石だの鞍掛、笠掛松というわけだが、奈良手向山八幡にも管公腰掛け石なるものがあって、脇に管公歌碑が建立されている。実際には小さな鳥居とともに正面に祀られているのが歌碑で、腰掛け石は脇にある小さな石だ。
管公と言えば梅だが、ここには頭上は立派な山紅葉だ。勿論管公歌碑にある、

このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに

からきているわけだが、ここは半日陰とあって長く紅葉が楽しめるが、誰となく賽銭を置いていく人があるのか、その賽銭にも紅葉が降っているのだった。

奈良町の蔵元

うかと出て師走の街は定休日
蔵元とあつて酒粕完売す

奈良町の名だたる観光名所が定休の月曜、ある路地に小さな酒蔵が営業していた。

奈良町のど真ん中ゆえ、まさかここで酒を造っているとは思わなかったのだが、路地に面した格子には「新酒出来ました」だの「酒粕年内分の予約完了」の貼り紙がしてある。
酒造りというのは注文を受けてから始めるのではないので、あらかじめ決めていた計画に従って仕込んでいくのだろうから、人気があるからといって急な増産には応じられないのは当たり前だが、その酒粕が予約販売されていて、しかもそれがひと月も前に完売というのだから、よほどここの酒粕を気に入っている客が多いのだろう。

酒が飲めず、どちらかと言えば苦手な家人なので、滅多に粕汁や酒粕鍋にお目にかかることがないが、冬ともなると焼いてほくほくのこいつを、砂糖をまぶしておやつ代わりに食べた昔が懐かしく思い出された。

補)あとで調べたら醸造元は春鹿というものらしい。
ホームページにある醸造元がオーナーの「今西家書院」というのが隣地にあって、室町初期の書院造りという重文らしいが、ここも月曜日は定休。
急ぎ句会場へ向かう途中でゆっくり拝見できなかった蔵元や書院は、また別の機会に再訪してみよう。

The last leaf

本坊の一葉残れる紅葉かな

今日は久しぶりに随分歩いた。

十二月恒例の奈良町吟行は、興福寺を経て浮見堂で鴨、かいつぶりを観察。ここで一時間費やしてUターンし奈良町を下る。JR奈良駅近くの会場まで、万歩計にしたら1万はおそらく歩いたろう。
いつものように材料はいくらでも転がってはいるが、なかなか句の形にはなってこずイライラは募るばかり、会場についても苦吟悶々して締め切り時間ギリギリの投句。

幸いにも評を頂いたもののうちの一つが掲句である。
吟行とはいえ、今日は必ず一つは「冬紅葉」を詠もうと自分に課していて、通りかかった興福寺本坊とある意外に小さな坊に見つけたものである。
しかも、桜古木の文字通り「最後の一葉」で、高校の文化祭にオーヘンリーの「The last leaf」の英語劇をやったことが急に蘇ってきて、妙に去り難く一句絞り出すことができた。

ことり塚のある庭

小式部の葉先ぷるぷる風の道

小式部の実がちょうどいい頃合いだ。

風が全く感じられない茶花の庭園には、秋の七草であるフジバカマも薄紫の花をびっしりつけているが、ただその脇にある小式部の葉先だけがこそりとゆれている。どうやらそこが庭でのわずかな風の通り道になっているらしい。小さな実をつけた枝そのものはぴくりともしないのにだ。
目を転じると、「ことり塚」をとりまく一画は白秋海棠の花がほとんど散りかけて、三枚の羽のような実が重たげにぶら下がっている。替わって、白の秋明菊の蕾が開き始めていた。
吉城園のことり塚というのは、全国にもあまり例がなく大変珍しいので、管理人さんに聞いてみたところ、個人所有の頃この庭で鳥の鳴き合わせがさかんに行われ、亡くなった鳥たちの供養のために建てたものだという。鶯とかメジロなどでも鳴かせたのだろうか。
今は塚の上を大きな木が覆い、地続きの東大寺や隣の依水園からやって来る小鳥たちの楽園でもあろうか。

ガラス戸のえくぼ

波打てる玻璃に蟻つく秋日かな
大正の玻璃に蟻つく秋日和

再度、吉城園の話。

受付を通ると最初に顔を見せるのは池の庭園と、その西にあって東に向かうように建つ本座敷からは池やその背後の築山がながめられ、そしてその築山の向こうに若草山、三笠山を借景とした贅沢な構えになっている。
この本座敷の三面は、濡縁で庭園につながり、それぞれ大きなガラス戸の内に広縁があって光をあまねく取り入れるような設えになっている。目玉はガラス戸で、これがすべて手作りの一枚ガラスなのだ。
大正の頃の作だと聞いたが、まずガラスの円筒をつくり、それを縦に割いて、再び接合して作るのだという。大変手のかかったものだが、当然どのガラスも均質ではなくて縦の波があり一つとして同じものはない。なかには製作の過程で生じた「えくぼ」みたいなものが所々あってさらに微妙な変化をつけている。
磨き上げられたガラスとはいえ、わずかに波打った表面は虫でもすべり落ちることなく大きな黒蟻が這い登っていた。

ガラス戸の内は外から丸見えだが、ガラスの微妙な凹凸により見る角度によって、これまた微妙に揺れて透ける。
庇は深いが、この時期ともなると濡れ縁はもちろん、中の広縁にまで木洩れ日が届くようになっていて、その影にもまた微妙な揺れが生じているようだ。

蟻は夏の季語だが、この場合は季重なりではないだろう。

古色蒼然の四阿

四阿の檜皮しとどに露宿す

吉城園には要所要所に四阿が設けられている。

特に、離れ茶室の四阿は本格的なもので、檜皮を葺いた屋根には苔が生え、杉や竹の枯葉なども散っているという、いかにも古色を漂わせた佇まい。
苔には朝露がびっしりついて、いまにも雫となって落ちてきそうであるところを詠んでみた。
五票いただいので割合受けた句だったが、主宰の選は後日となるので、さてどうなるか。

自分ではいけるんじゃないかと思った句が外れたり、逆にこんなのがというのが特選になったりで、がっかりさせられたり、喜んだりだり、毎回楽しみでもあるが。