戦友

涅槃西風応援団長召したまふ

2年前のほだかちゃんに続き午後ごまちゃんが死んだ。

半年以上にわたってリンパ腫(血液のがん)に苦しんだ末の往生だった。最後の4日間食欲があっても食料や水が喉を通らなく、ついに力尽きて命を全うしたのだが、心臓も胃腸も丈夫だったせいか最後の最後まで頑張り通したのが見るものの涙を誘うのであった。

この子は会社を辞めて起業した頃家にふらりとやってきて居着いた、元々野良なのでさすがに狩りの名人でもあった。トカゲなどは朝飯前、ネズミはもちろん小鳥やときには鳩や蛇だって捕まえてきたものだ。その都度庭の片隅に埋めるなど後始末をさせられ、ついには庭のかしこが小石の墓だらけになってもう埋めるスペースなどどこにも残ってないような状態になってしまった。
昼間は家にはいないで近所を巡回するのであるが、おとなしい性格だったので行く先々でかわいがられ、ちょっとしたものなども頂いていたようだ。当時新横浜の事務所に通っていたが、毎朝自分のテリトリーのところまで見送ってくれたり、家の近くに帰ってくるとどこからか走り寄って迎えてくれるような子だった。いわば、起業時代の戦友みたいなものでどれだけ癒やされたことか。

どうか、あちらの世界では一緒に遊んだほだかちゃんと再会を喜び合ってほしいと祈るばかりである。

合掌

ご詠歌

お遍路のご詠歌和する外陣かな

末寺からの巡礼姿の団参一行が登廊を登ってきた。

ご本尊にお詣りしたあと舞台側にまわり、全員が鈴を鳴らしながらご詠歌を唱和している。
巡礼とはいってもバスで日帰りのお詣りらしい。

まほろばの地平

青垣の霞みて大和はるかなる

昨日は4月の気温。

春霞が濃くて、いつも見える山々がかすんで見えない。いつも視野にあるものがないと、大和盆地というのはどこまでも広がる平原のように思えるのだった。

風止まる

白梅のそよりともなく花火照
白梅の花火照してしなだるる

時雨が通り過ぎ、まわりが一瞬ぱっと明るくなった。

長谷寺の登廊の両脇は芽が出かかった牡丹に埋め尽くされているが、日のよくあたった石垣に目をやると、垂れ下がった白の枝垂れ梅がいかにも重そうにぼってりと満開の様子を見せている。そして、メジロの群れがやって来てキリキリ鳴くのはコミュニケーションをとるのだろうか、蜜を吸うのにも余念がなさそうである。

風もない中、撓んだ枝にはまるで熱を帯びるかのように花びらがびっしりついている。時が止まったように枝も花もそよりともしないのであった。

味の春

蕗の薹撮ってその夜の卓にのり

この時期は山菜の天麩羅がうまい。

山独活の芽、もう少しすれば天然のタラやコシアブラの芽が出回る。どれも少し苦みがあっていわゆる大人の味。

春キャベツあり、筍あり。春は「味の春」であるとも言える。

白い片肌

高々と涅槃図掲げ総本山
三丈の本尊黙し涅槃の会
須弥壇の昏きに浮かぶ寝釈迦かな
涅槃図の落剥あるも月皓し
褪色の皓月照らす涅槃像
涅槃図の月落剥の古さかな
涅槃図の緑沈める沙羅双樹
片肌の額づく弟子や涅槃の図
学僧の導師に和する涅槃の会
内陣の裏よりあふぎ涅槃像
涅槃会の導師の指の能弁なる
促され涅槃の像に焼香す

仄暗い須弥壇に浮かび上がるような寝釈迦である。

旧暦2月15日に入滅されたので、涅槃図に描かれる月は満月である。涅槃図がどれだけ古いのかは分からないが、その月がまるで雲がかかったように落剥がはげしい。
全体に古びてはいるが、朱が使われた部分は時の経過にかかわらず鮮やかに浮かび、沙羅双樹の深い緑がさらに深く沈潜しているように見える。
五体を投げ出して嘆き悲しむ弟子の片肌が痛いほど白いのが印象的な図である。

涅槃会では、導師と学僧とが二部合唱しているかのような和讃が終始つづき、導師の低音部に和するような学僧たちの高い読誦が、まるで耳に心地いい音楽のようである。

以上の要素を句にするだけで6,7句程度は詠めそうな気がするのだが、これがなかなかそうは行かない。

涅槃会

団参の御詠歌和する牡丹寺

真言宗豊山派総本山・長谷寺。

花の寺と言われるだけあって、なごりの蝋梅、寒牡丹をはじめ梅、山茱萸が見頃である。有名な牡丹も一斉に芽を吹いてそれぞれ3センチほど伸び始めたばかり。
今日は涅槃会が行われるというので、地元檀家のお計らいで本堂に参列させていただくことができた。涅槃図は6畳ほどもあろうか、須弥壇の高いところに掲げられているので細かな部分までは見ることはできないが、弟子や、象や鶏ほか多くの動物たちの嘆きのシーンも描かれているようである。

末寺の檀家衆であろうか、愛知県からきたという上下とも白い装束に身を包んだ団参の一行が唱和する御詠歌が礼堂に響き渡るのを聞いて身が引き締まるような思いがした。