収用地変はりはてたり花薺
完成は5月だという。
昨夏は向日葵畑だったところがシニア用公園になるそうだ。
地ならしが終わり少しずつ姿を現してきたが、まだ基礎部分を固めている段階でどんな施設が出来るのか楽しみではある。
斜面にはもう薺が咲いたというか、すでに花がバチになって三味線草の名に負けないものもある。下萌えの時期にはちと早いのだが、ホトケノザ、ハコベなどはもう顔を出し始めている。
すかんぽ、ギシギシの芽も出始めて、野にはもう春が動き出している。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
収用地変はりはてたり花薺
完成は5月だという。
昨夏は向日葵畑だったところがシニア用公園になるそうだ。
地ならしが終わり少しずつ姿を現してきたが、まだ基礎部分を固めている段階でどんな施設が出来るのか楽しみではある。
斜面にはもう薺が咲いたというか、すでに花がバチになって三味線草の名に負けないものもある。下萌えの時期にはちと早いのだが、ホトケノザ、ハコベなどはもう顔を出し始めている。
すかんぽ、ギシギシの芽も出始めて、野にはもう春が動き出している。
当てあるがごとき寄り道蕗の薹
蕗の薹の報が入った。
はやくも盆地に春の便りがあって、自分も探しに出かけなければと思う。
去年見つけておいた土筆の宝庫も内緒にしているのだけれど、もしかしたら蕗の薹もそのあたりにあるかもしれないとひそかに期待しているのである。
今日にも探検に出ようと思ったが、雨があって空も何やら怪しく明日以降に順延である。
それにしても今週の天気予報は雨模様が多そうで、今のうちにやっておかなければならないことが片付かない。
冬から春への変わり目、季節の変わり目と言うのは安定しないものであるのを肌で感じるのである。
首の皮一重の熟柿冴返る
とうとう最後の熟柿となった。
農道の脇に立派な柿の木があり、毎年実をいっぱいつけるのだが収穫しているところを見たことはない。
自分の身を支えきれなくなった熟柿が、落ちては下の径におびただしく散っていて足の踏み場もないくらいである。
この下を通るときはいつも早足で抜けるようにしているのだが、鳥が啄んでいる時に出くわすとおこぼれをもらいそうで、去って行くまで足を止めて待つ時間となる。
風はまだ冷たいが鳥たちの動きを見ていると飽きないものがある。
どこからも焼山見ゆる盆地かな
三年ぶりの本格的な山焼きであったようだ。
盆地を走らせていると。どこからでも黒々とした若草山を見ることができる。
ただ、大阪への出口である大和川に向かってゆるやかな傾斜を描く盆地なので、盆地の西からは大変低い山のように見える。しかし、内奥部へ入るにつれてだんだんと高く大きく見えてくる。
奈良への観光客も徐々に戻りつつあるようだが、次の観光イベントのお水取りは見学者を制限するとともにハイライトとなる行事の日程を非公開としている。
コロナで毎日死者が出ているほどまだまだ油断できない奈良である。
薄氷やからんくるくる空回り
如雨露に張った水に薄く氷が張った。
指で突けば崩れるていどの、厚さにはむらがあるようで、均一でないところが春の氷らしい。
いっぽうで外水栓は今年何度目かの凍結となった。
昼間は風もなく気温も上がったようであるが、春まだ浅し、ということだろうか。
出そびれたる梅にも春の立ちにけり
梅の第二弾が続かない。
先月下旬の寒波である。
続こうとしていた蕾もすっかり萎縮したようで、固いままである。梅は半月ほどのあいだ時間が止まったかのように動き出す気配もない。
日中は10度になるという予報だったが、今朝もマイナス三度、昼も暗い雲が覆って気温が上がらなく風が冷たい。
外水栓が凍る、そんな日でも暦ではもう春。
梅にはがんばって春を取り戻してほしいものである。
柏木の古葉さやさやと寒木立
久しぶりに飛鳥へ足を延ばした。
橿原に用件があるついでに回り道しただけだが、それでも久の飛鳥の冬は身がきりりと締まるような寒さだった。
冬木立はいよいよ春に備へて冬芽もしかと確かめられたし、古木の凜とした佇まいには多武峰にのぼった真っ青な昼空の下弦の月が冴え冴えとして趣を添えていた。
老梅はあまねき光まとひゐて
飛鳥に寄った目的は梅の探索であったが、意外に梅は少なかった。かぎられた時間のせいもあるが万葉文化館ならまずあるに違いないとふんでようやく二、三本見つけることができた。
プロの養生もあってなかなかの枝振りである。どの枝にもうまく光が行き渡るように手入れされている。