目は泪

看護婦のうるみ眼の春マスク

今日は家にいても目がしょぼしょぼしてくる。

この二、三年何だかおかしいなあと思っていたが、やっぱり花粉アレルギーにやられたみたいだ。
外へ出るとなるとマスクは必需品だが、マスクは息苦しくなるし、外出はどうしても二の足を踏むことになる。
先週薬をもらいに行ったら、クリニックのスタッフ全員がマスク(いまどき当然だが)していて、そのうちの一人が泪目をしている。この人も花粉症らしいが、さすが医院スタッフと会って対策を怠らないのか、それほど鼻をすすっている様子はない。
今日ちょっとガソリンスタンドまで行っただけで、車の中でくしゃみ連発。
猫トイレの掃除の砂埃でもくしゃみ連発。
この時期のアレルギー籠にもつらいものがある。

土に触れる

啓蟄や如雨露に水をあふれしめ
啓蟄や如雨露の錆の浮きしまま

久しぶりに如雨露を使う。

日射しがだんだんと強くなって、暖かく感じると言っても、鉢物の霜除けはまだ外せない。
だが、いくらか芽が動き出したようなので、水をほしがってるに違いないと思い灌水することにした。
土が乾ききっているから、少々ではまだ足らないとみえて鉢底からこぼれる量も少ない。そこでたっぷりとやると、土に精気がもどってきたように、土独特の強くて、しかも春のような匂いを発しはじめた。
しばらく様子を見ていると、赤い虫が飛び出したようで、止まったところを見ると、ナナホシテントウである。
鉢の底に隠れていたらしいのをどうやら驚かせてしまったようだ。
さらにもう一匹出てきたが、こちらは飛ぶ元気はないようで地面を這っている。
明日は高いところでは20度にもなるという。
ものの芽が動き出せば、虫だって動き出す。
土と関わる時間がいよいよ増えてきたようだ。

広重の渚

貝寄風やコンビナートの炎吐き

かつての白砂青松の渚が何キロも沖に引いている。

海岸がどんどん埋められて、その埋め立て地には工業団地が広がり、日夜を問わず発電所の煙突が炎を、製鉄所や石油コンビナートが煙を吐いている。そこで、人の生活圏との間にはクッションとして広い緩衝地帯が設けられ、新幹線が通ったり、高架の高速道路やモノレールが走り、渚はますます人から遠くなった。
なかには、レジャーランド、ビジネスゾーンとして海外含めて多くの人がやってくるエリアやマンション群もあるが、人の生活圏としては実感が薄いかもしれない。
東海道五十三次に描かれた渚のほとんどはコンクリートに固められ、いまや自然のまま残された海岸線というのはどれだけ残っているだろうか。

遠望

大和川越しにどこでも末黒山
目の端に末黒山ある大和かな

若草山は盆地中央から見ると小さな山に過ぎない。

ただ、中腹が黒く焦げた様子はどこからでもよく見える。
盆地中央は視界を遮るような高いものはなく四方に青垣を望めるが、大和川に向かって盆地全体が流れ来むように傾斜しているせいか、小さな山であっても遠くからよく見える。
逆に、盆地東縁、南縁、北縁側からみると西の生駒、信貴山などは随分低く見え、とても800メートルはあるように思えないのが不思議である。

汗ばむ

春めくや腰には脱ぎしもの巻いて
春めくや携行ボトル手に持ちて

もう本格的な春である。

考えてみれば、もう二月も終わり。当たり前の話だが、この冬の寒さがあまりに長く続いたので、気持ちには急に春めいてきたのについていけない感覚をともなっている。
今日は、冬のかっこうで出てきたものの、歩いているうちに汗ばんできたのだろう、上着一枚腰に巻いて歩く人が見られた。
真冬にくらべたら確実に上着二枚は必要でなくなって、身も心も軽い。水分もペットボトル小瓶でよかったのが、今日などは600mlサイズでも足らないくらいだ。

吉報続く

内奥の空たかだかと初燕

久しぶりに大和川沿いを歩いた。

やはり歩くとはいいもので、さっそく棒に当たって、今年の初燕が空高々と円を描きながら飛んでいるのを見ることができた。河内から大和川沿いに遡上してきたのであろう。我が町はその玄関口である。ここから支流にわかれてそれぞれの故郷へ向かうのかもしれない。
大和川は古代から大陸文化到来ルートである。渡り鳥たちにとってもそのルートの一つになっているに違いない。

先週の万作、そして初雲雀に続いての吉報である。
あんなに寒かった冬なのに、この数日はまるで遅れていた分を取り戻すかのように、一気に春の気配につつまれてきたのが嬉しい。