おんべまつり

宮川の鮎宣はす神事かな
宮川の鮎の宣託受く神事
鮎占の神事に凶の出たるなし
祓はれて吉凶占ふ鮎となる
祓はれて神さび勝る鮎となり
宮川の鮎の神託申しけり
大吉と出でて歓声鮎占ひ
宣託の鮎放たれて神事果つ

三重県大紀町水戸神神社の鮎占神事である。

毎年7月第一日曜日に行われ、一年の商売繁盛や家内安全、または豊作や大漁を占う。正式には「おんべまつり」と言う。
あらかじめお祓いを受けた鮎を宮川上流の大内川の渓谷の洞に投げ込んで、うまく入れば「大吉」、岩にバウンドして入れば「中吉」、外れても「小吉」という託宣がくだる。これを月の数だけ行って何月は大吉、何月は中吉というふうに決まって行く。

この神事が行われるのは伊勢神宮の別宮・瀧原宮のある瀧原である。南紀方面へは今は高速道路もできて、名古屋から尾鷲へ行くにも何時間もかからずに済むようになったが、若い頃は国道42号線を延々南へ走らせたものだ。
しかし、昭和40年代前半に整備された当時から、国道はこの瀧原宮があるところだけは珍しくストレートな道になっており、なにやら立派なお宮があるなあという程度の認識しかなかった。だから古代史などをかじるようになってこの神社の由緒を知るようになってからというものは、大杉が覆っていた厳かで立派な神域にいつか立ち寄って見たいと思うようになった。

そんな折りに、言葉だけは聞いたことのある「鮎占神事」が実はこの近くを流れる宮川の渓谷で行われていることをテレビで知った。それが「おんべまつり」だった。
澄んだ渓流の鮎も味わいたいし、一度は拝観したい行事である。

峠の牧

夏燕四角に牛舎くぐりけり
黒南風や牧の泥濘ただならず

今日は三重県境にある里山に吟行した。

九十九折の山道をたどると、峠近くからは露湿りの風に牧の匂いが混じってくる。
やがて売られる運命にある牛たちの牛舎に近づくと、その匂いがさらに強くなった。

見渡してみると、雨が近いせいか燕が数羽しきりに低く飛ぶ。
開け放たれた牛舎のなかに飛び込んだかと思うと、そのまま直線にではなく直角に曲がってくぐって行った。

行基さん

御像の噴水に立ち托鉢す

近鉄奈良駅頭の行基菩薩像の噴水である。

近鉄奈良駅頭の行基菩薩像噴水

行基さんは広く民衆に仏の教えを説いたり、社会慈善事業などをおこなったほか、東大寺大仏建立の責任者として広く慕われていて、呼び捨てにするのは地元の人ではないと言われるほどの人気である。行基さんの視線に先にあるのは大仏殿。今も見守っていられるというわけだ。
この噴水像は待ち合わせには格好のポイントで、吟行時にもよく利用させていただいている。
ささゆり祭の前日、大神神社豊年講の皆さんによる奉献行列も途中ここで一服を入れておられた。

豊年講によるささゆり奉献行列

また、地元小学校の4年生くらいの一団も来て、先生から行基さんの解説を受けたあとしばらくは写生の時間のようだ。ここでも無論「さん」づけで呼ぶように先生が教えているのが印象的だった。

様々な国からさまざまな人たちがここを通るが、この日は噴水を背にして托鉢に立つ僧がいた。ときどき片足重心になったりして長時間の托鉢に耐えておられる。通りがかった人もお布施して、そのあと行基さんに向かって深々とおまいりするごく自然な姿を見るとどうやら地元の人であろうか。

見たくない光景

那智石を選りゐて女の浜に灼け
那智石を選るがほまちの浜灼けて
灼石を熊野女のひた拾ふ
石拾ふ熊野女の灼けにけり
那智石の七里御浜の灼けに灼け

熊野の七里御浜は、熊野・木本から紀宝町に続く砂利浜である。

弓なりに弧を描く浜は大変美しく、日本の渚百選、日本の白砂青松百選、21世紀に残したい日本の自然百選の一つに選ばれているのもうべなるかなである。
果ての紀宝町・井田地区は赤ウミガメの産卵上陸地としても有名だ。

この浜の美しさははるかに続く松林もさることながら、浜全体が石の浜であることにも依っている。石ははるか熊野川上流から運ばれてきた石が新宮から海に出て、角がすっかり丸くなるほど太平洋の荒波にもまれて打ち返された果てにたどり着いたものである。
中には硯などでも有名な那智黒石も混じっていて、大ぶりなものは庭の撒石に、これのやや扁平になった丸石は高級な碁石の材料として採集する業者がいた。実際に石を拾うのは浜の女たちで、わずかなカネを目当てに、夏でも深い帽子をかぶり手甲その他で全身を熱さから守るようにして日がな一日浜に出たものだ。

悪ガキどももあわよくば小遣いになるかもと浜に出てみるが、夏の暑さにはひとたまりもないうえに、拾ってきた石が選別所ではほとんどが不合格なのではとても続けることはできない。ただ「拾う」と言うより「選る」仕事だと言った方がいいかもしれない。親孝行な女の子のなかには黙々と手伝う子がいたが、目利きできるようになるまでにはガキ大将たちの辛抱がついてゆけないのである。

おそらく、今ではこのような過酷な条件で浜に出る女もいまいが、七里御浜というと石を拾う女たちが点々と渚に沿って並んでいる遠い景色を今でも思い浮かべることができる。
近年は上流にダムができたおかげでだんだん石が運ばれなくなり、浜が痩せていくばかりだと聞いている。あのきれいな浜にテトラポットが立ち並ぶ光景だけは決して見たくないと思うのだが果たしてどうだろうか。

霊気さえ

白南風の大台ヶ原霧消せる
黒南風の荒れて休漁熊野灘
黒南風の荒れて休漁ぜひもなく
黒南風の大台ヶ原吹き上ぐる
黒南風の湿りに霊気はらみゐて
黒南風の修験者まろぶ峰を吹く
黒南風の南都の領巾を重たうす
黒南風や御紋の領巾の打ち返り
黒南風の浜吹きたらず峡渡るく

黒南風は梅雨のうち吹く南風を言う。

この風が吹く頃空が暗くなるところから名づけられた。
対して、梅雨が明ける頃南風が吹いて空が明るくなるのを白南風と呼ぶ。
少々理屈っぽくはあるが、言われてみるとなるほどそうかもしれないと思えてくる。

周りを山に囲まれたヤマト、とりわけ南には熊野・大峯の重畳たる峰みねがつづく。
これら険しい峰を吹き越えてくる風にはどこか山の霊気が漂う。

絵になるか

俥上なるホットパンツの氷菓かな

奈良町、奈良公園を日に灼けた車夫が引く。

観光用人力車だ。
冬の毛布の膝掛けは絵になるが、夏のアイスクリーム舐めはどうだろうか。
かわいい女の子なら許されるか。

三枝祭

うすら紅させる笹百合まばらにて
三輪山の豊年講の百合まばら
ささゆりの三輪のうま酒もる樽に

「ささゆり」という。

大神神社の笹百合

6月17日奈良市の率川(いさがわ)神社の例祭「三枝(さいぐさ)祭(別名ゆり祭)」に捧げる百合である。
名前の通り、葉が細く笹の葉のようであることから名づけられた。花は小振りで、全体に薄紅色をしておりやや俯き加減に咲く。
祭神の「媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」はかつて三輪山の麓の狭井川(さいがわ)のほとりに住まいしていたので、酒樽に三輪の笹百合を飾って届けるお祭りが行われるようになったと言われている。
前日には祭に用いられる笹百合を三輪山から奈良市の率川神社へ届けられる神事があり、「大神神社豊年講」の農家が育てた笹百合が用いられる。
笹百合は一時絶滅しかけたが、こうした有志の努力もあって途絶えることなく育てられ、大神神社の一画の「ささゆり園」では時期になると一般に無料公開される。

梅雨の晴れ間を利用して見学してきたが、神社の斜面を利用した周遊回路を巡りながら身近に見ることができた。ただ、いくぶん最盛期を過ぎたせいだろうか一面すべてが百合というわけではなく、梅雨湿りした斜面は露を含んだ十薬などの草も広がっている。
祭の本番に使われる百合は農家が別に育てたものを献納するのだろう。