ゆかしい

木守ともならず実梅のごろごろと

採り忘れがあったようだ。

シロップにするために2キロ弱ほどの実梅を収穫したところ、残したつもりがないのにやはり見落としていたようで黄色く色づいた熟した梅が落ちていた。
柿の実というのは熟してもなかなか落ちるということはなく、冬には「木守柿」と言われるように翌年の豊作を願って意識して残す代表的な果実である。さらに、梅雨はじめの頃の柿の花は小さな実をつけたままぽろぽろ落ちてしまう風情さえも詠われて夏の季語となっている。
梅の実はいったん結べばほとんど青梅に育ってゆくのと好対照である。
柿の実は熟して樹上で長命、梅の実は短命。これもまた好対照。
梅は落梅が自然生えすることが多いが、柿は難しい。これもまた好対照。
それぞれおおいに特徴が異なるが、果実いろいろもまたゆかしい。

定位置

椅子ひとつ猫と取り合ふ梅雨籠

梅雨らしい日が続く。

ぴちぴちでもなく、ちびちびというそぼ降りである。
外でやることもないので、一日中を部屋で過ごす。立っているわけにはいかないのでソファや椅子で過ごすのが大半だが、食べちゃ寝るのが本性の猫どもにとってはこれがライバル。
ちょっとでも席を離れるとさっとやってきては席を占領する。空いている席はほかにいくつもあるのにである。
レストランなどでは窓際、壁際から埋まっていくが、猫も人間同様どうやら壁を背にする傾向があるようである。
椅子取りゲームの敗者は定位置を奪われて、あちこち居場所を転々とするばかりである。

腰赤

補植の手休むことなし夏燕

あっという間に苗で埋まってしまった。

週末を待たず田植があったようで、余り苗も風にさやいでいる。
いまどきはどこも機械植えだが、小さな田などはどうしても隅などに機械が入らないのであとで人の手で植え足すことになる。
今夜も雨らしく燕が田をすれすれに飛んでいる。補植の人がいようがおかまいなしに10羽くらいがしきりに飛んでいる。そのなかで、周りのものとちょっと違うのが混じっているのが目を引いた。
尻尾の近くが背中腹とも赤い。よく見るものよりちょっとだけ大きいような気もする。
帰って調べてみると、日本には何種類かのものが飛来するようで、そいつはずばり「コシアカツバメ」と言うらしい。初めて見るツバメである。

盛るということ

ブレーカー落ちて湯浴の夏の闇

昔の家ではよくブレーカーが落ちたものである。

今は十分に計算されたアンペア契約をしているので、少しくらい電力に負荷をかけたくらいでは落ちることはまずない。
実際のところを言うと、浴室の電球が切れてやや暗い入浴となっただけのことである。二個付いているランプの片方が切れただけだし、特殊な球とあって買置きもなく片肺飛行だからそのまま詠んでも句にはなるまい。
日常のことを句に詠もうとすれば、
球切れて風呂の野趣帯ぶ夏の闇
くらいと、何ともつまらない。
そこで、何とか句として形にならないかと工夫して句を盛るのである。これで、今夜のことでなく遠い昔の追憶の句ともなったのである。前句は、
ブレーカー落ちて野趣帯ぶ夏の闇
「野趣帯ぶ」と言った時点で句に間がなくなって、面白くない。そこでさらに手を加えることにした。
俳人はよく嘘をつく由縁である。
私小説と言いながらそのままでは小説にならないので、脚色を加える作家と同じである。

濁り田にて

軽二羽のけふもやすらぐ代田かな

昨日今日と軽のつがいと思われるのが畔にまったりとしている。

本来は一キロほど下った大和川にいるのだろうが、どういうわけかこんな棚田まで上がってくるのは珍しい。繁殖の時期はもう半ばを過ぎて、卵を抱くでなし雛を育てるでもなくて、この二羽の関係がちょっぴり気になるところだ。
この田は無農薬が自慢らしいので、鴨たちも動物的な勘で安心できる水場と認識しているのかもしれないが、兼業農家の田でもあるしこの週末にはもう田植えとなろう。そうなると、また帰ってくるのか帰らないのか。それも気になるところである。

半夏生明かり

半夏生映ゆる媼の畑の隅

畑の一角が半夏生に埋められている。

腰も少し曲がった翁の背丈を越すくらいに元気そうである。
いつも通る抜け道だが、今日までまさかそんなところにあるとは夢にも思わなかったので少なからず驚きである。広さにして2メートルかける5メートルくらいだから、10平米。3坪ほどが今まさに葉の半分を白くして田植時であることを教えている。
見渡せば、棚田の一番奥まったところから水が配られるようで、棚田のもう半分ほどが田植を終わっている。いつもの年に比べて二十日も早い。やはり、今年は例年になく雨に恵まれて溜池がもうあふれているのではあるまいか。
殘りの田もほとんど代掻きが終わり、早いところでは苗さえも配られて田の隅に仮植えされているところもある。この数日で見えるかぎりの棚田の田植は済んでしまうに違いない。
ところで、雑節のひとつである半夏生は夏至の11日目から七夕の日までの五日間を言い、今年は7月2日からとなる。関西では滋養ある蛸を食って英気を養う習慣があるとか。
もっとも、その蛸も昨今の高値ではパクパクとまではなかなか大変そうである。

清涼剤

ままならぬ雨の続いて落ち実梅

そろそろ採らねばと思っているうちにどんどん落ちる。

明日こそこの雨も止むらしいから、優先度をあげて朝からトライしてみようと思う。
梅ジュースだが、今朝の家人の話では酢を入れる方法もあるようである。なるほど、梅と同量の氷砂糖ではやはり大人には甘いところがあるのでいいかもしれない。風呂上がりなどはその酸味がいい清涼剤と化してくれるのではなかろうか。
それはともかく、もう採らねば量も確保できないので明日一番にやっつけることとしよう。