雨樋のつかへ卯の花腐しかな
壁面にひと筋の跡がある。
どうやら雨樋の継ぎ目から洩れているようである。
そこは二階バルコニーの雨水を引くところであり、排水口をのぞいてみたがとくに問題は見つからなかった。
間もなく梅雨がやってくる。すでにその前触れの長雨である。
その前に、下水の詰まりをワイヤでぐりぐり回すもの、名前は分からないがあれを雨樋にもさし込んでみる必要がありそうである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
雨樋のつかへ卯の花腐しかな
壁面にひと筋の跡がある。
どうやら雨樋の継ぎ目から洩れているようである。
そこは二階バルコニーの雨水を引くところであり、排水口をのぞいてみたがとくに問題は見つからなかった。
間もなく梅雨がやってくる。すでにその前触れの長雨である。
その前に、下水の詰まりをワイヤでぐりぐり回すもの、名前は分からないがあれを雨樋にもさし込んでみる必要がありそうである。
傘たたむ梅雨の走りの日の目かな
こういうのを走り梅雨というのだろうか。
降る降ると言われて予定を組んだが、結局寸の間ぱらついただけ。
昼過ぎには碧空さえものぞいて、おおいに当てが外れてしまった。
雨の少ない当地ではそういうことはよくあることで、浮いた時間はありがたく昼寝に使わせてもらった。
やつがれの見えぬ不安は冷夏です
夏寒しとも言う。
走りの梅雨というのだろうか。今週はずっと傘マークがでて、おまけに初日の今日はえらく寒い。
お昼頃は15度いくかいかないかの温度で、雨の降り出した午後もほとんど上がらない。
真夏日があったかと思うと三月四月の寒さ。
為替や物価の乱高下も困ったことだが、気候気温の乱高下も食料生産に直結するだけに大きな問題になりそうで不安が募る。
上流へみなの口開け五月鯉
今日は北風だったようだ。
というのは、平群谷を南北に流れる竜田川(私は平群川だと言っている)の堤防沿いに毎年何旒もの鯉幟がひるがえるのであるが、それがみな見事に北の生駒方向、つまり上流に向いていたからだ。
それは、まるで上流から何かいいものが流れてくるのを待つ鯉の群みたいで滑稽さを誘ったのである。
毎年少しずつ本数を増やしているようで、平群谷に年々華やかさをもたらしているようだが、このように北へ向いているのを見るには珍しいことである。
空気もまた北の風だったせいか、気温は25度くらいまで上がったがどこかからっとしていた。
冷奴ごときに疼く臼歯かな
3ヶ月ごとの歯の検診。
3月に受けたころから冷たいものが沁みるようになった。
最近は噛むと痛いことも。
次回は6月。それまで待てるか。
この季節冷たい喉ごしはいいが、冷え切った麦茶もこわごわ飲んでいる。
胡瓜棚ぴんと張るのも苗の世話
この二三日は農繁期。
今日は今日はで午前、午後とも外の作業でちと灼けたかもしれない。この時期の紫外線は曇だと油断しているとえらいことになる。帽子、それも麦わら帽子がいい。風がぬけて火照りも覚めようというものだ。
トマトに始まって南瓜ときたが今日は茄子、ピーマン、シシトウ。家に戻ってからは胡瓜用の支柱にネットを張る。何回か経験すると一番しっくりする仕立て方というものが分かるようになる。
これまでは合掌型に組んでネットを張っていたが、今年はより高くするため一面を垂直にたてネットを張る方法に変えた。胡瓜をしっかり植えたあと、余った畝やプランターにはこれまた余ったトマトの苗。トマトだけで15本!
保険をかけるにしても家庭菜園には多すぎると笑われそう。
失敗作のエンドウだが、数少ないものを収穫したら実がまるまると太って、しかも甘くてうまい。甘さもそうだがふっくらした噛み心地はまるでサツモイモのようである。久留米豊という品種だが、これは是非来年のために種をとっておこうと思うほどである。
樫若葉彼れに見ゆるが信貴参道
稜線がむっくりと膨らんでいる。
膨らんで見えるというほうが正しいか。
新緑でお山自体がふっくらしているのに、さらにそれを膨らましたような黄金色の樫若葉が点々と続いている。
平群方面から信貴山につづく稜線が遠見にも美しい。
今日は立夏。
いよいよお山に夏が来た。