見飽きぬ変化

大地打ち弾けてをりぬ小米雪
降り初めし雪の大地に弾みをり

今日は久しぶりに雪になりました。

二時間ほどで雨になり積もるほどにはいきませんでしたが、それでも初めは粉雪で土の上に叩きつけられるように降ってきて「こりゃ積もるかな」と思った雪が、やがて大きな牡丹雪に変わり、それがまた霙になったり雨になったり、間断なくいろんな姿に変化するさまが眺められて飽きないものがありました。

東や北の方では荒れた天気が続いているようですが、あまり雪のない地方に住むものにとってはたまに降る雪に、ある意味で生活の彩りを感じるものなのです。

作句

冬帽子閉店セールで求めけり

閉店セールといいながら実際には閉店などしなかったり。

あげく改装オープンセールと銘打ってまたセールで客を呼ぼうとする。
そんな手口は見えているのだけど、いかにもワゴンなどに安そうな品物などを並べられるとつい手がでてしまう。そんなことはありませんか。

掲句は奈良町散策しているとき、仲間がたまたま帽子を忘れてしまって寒さしのぎに買ったときに浮かんだもの。出来不出来はともかくとして、作句というのはこんなふうに簡単に詠むのが一番だと思う。

賽銭箱

駐在の社立ち寄る年の暮

交番の不在がちなる年の暮

賽銭箱に何重もの鍵がつけられている。

神社にはふだん人があまり出入りしないので、人の目を盗み賽銭箱のわずかな浄財を失敬してゆく罰当たりが増えているそうである。鍵が壊されてないかとか、ただでさえ忙しいのに駐在さんも警邏せざるをえなくなって巡察のコースに入っている。

年も押し詰まってくると、お役所もなにかと気ぜわしいことになるようだ。

年賀状

住所録歳々薄し年の暮

宛先のメンテナンスなど年賀状の準備が完了した。

あとは印刷(ワープロ、パソコンが出現してもっぱら)するだけである。
ある年に宛先をだいぶ整理したのでかつてに比べれば随分少なくなったが、さらに加えて毎年数人ずつが鬼籍に入られるので数は減る一方である。
住所はパソコンで管理しているので、「印刷除外」のチェックをするだけでもう二度と印刷されることはないがデータは残っているので、この時期住所録の整理をするたびにいろいろな顔を思い出してはひとときを感慨に耽る。

文面は、初めて自作の俳句を添えてメッセージに換えることにしたのだが、句意がちゃんと伝わるかどうかは覚束ない。

探鳥

虫食いの葉牡丹並べ構ひとす

久しぶりに信貴山まで登ってみた。

いつもは百メートルほど標高を稼いでは下るコースを選ぶところ、今日は意外に風が弱かったので信貴山への道へ踏み込んでみた。目標は探鳥。
しかし、行けども行けども鳥の姿は見えない。見えないままに高度をあげていったあげくしまいには信貴山展望台に到達してしまった。さすがに展望台と言うだけあって眺望が開け、大和盆地の南半分がすべて手中にできる。

ちょっと休んだだけでも汗が冷えてくるので早々と戻ることにしたが、その下山の途中やっとのことで鳥に出会うことができた。メジロの群れが滝のように一斉に下に向かって降りてゆくのだ。もしかしたら、このまま麓の里へ向かう途中なのかもしれないと思った。

蹴鞠広場

槻の里八つ手の鞠の咲きにけり

槻の木の広場の蹴鞠?
飛鳥寺西方遺跡の現地説明会に行ってきた。

奥(東方向)に見えるのが飛鳥寺。百米くらいの距離か。
飛鳥寺西方遺跡の現場。奥(東方向)に見えるのが入鹿の首塚をはさんで飛鳥寺。百米くらいの距離か。

折しも寒波到来でピリッと空気がしまり吹く風も冷たい。そんなときテントの中の一杯150円の生姜湯がありがたい。

現地説明会場のテントで

生姜湯で掌温め指温め

ところで、この飛鳥寺西方というのは大きな槻、つまり欅がある広場があったとされ、日本書紀で何回も記述がある。
主なものでは、
1)乙巳の変の前、中大兄皇子と鎌足が出会った場所(例の蹴鞠)
2)斉明天皇三年(657)須弥山の像を飛鳥寺の西に作る
3)壬申の乱(672)の折、留守部隊がここに兵営した
4)天武・持統期 種子島の人々、隼人、蝦夷らをここで楽を奏して饗応したり、相撲を見物した
などがあり、この発掘の目的は「大槻の広場跡を確かめる」ことだそうだが、今までの調査ではまだ確証が得られておらず、次回は今回発見した柱跡の延長部分、隣接した北の部分を発掘して建物遺構の有無を調査する予定とのこと。

松の内

右に赤左に黒の松飾る

今日13日からが松の内だそうである。

松が開けるのはところによって7日、15日などいろいろあるようであるが、いずれにしても恒例の大神神社の大門松が飾られていよいよ大和の年末ムードが高まってきた。
高さ5メートルもあるので作業はクレーンの力を借りるが、これに3本の青竹、南天、葉牡丹と組み合わせ鉢部分をこれも青竹で巻く。