八幡さんの参道

踏む音を聞くものひとり新落葉

図書館への近道に八幡さんがある。

大きな斜面をトラバースする形で、ちょっと上ってから下る道なんだけどその頂点にある。まわりは西に3,40年ほど前に開発されたと思われる住宅地、南に昔からの在、そして東に僕が住む10年ほど前からの住宅地に囲まれている。
この八幡さんは、10月に秋留秋祭りといって太鼓台の練が地区内をめぐる祭があって、その時だけは賑わうのだが普段は閑散としている。ただ、氏子が掃除など面倒をみているようで、いつ訪れてもきれに掃き清められている。

最近では、椎葉だろうか、裏参道にはまだ落ちたばかりで形がはっきり残っている落ち葉が嵩高く積もっていて、歩くと靴の踵あたりにまとわりついてきて歩いた跡がはっきり分かるように残る。落ち葉がまだ湿度を含んでいるせいだろうか、あのカサカサという乾いた音ではない。

元伊勢

千木高き元伊勢たたく時雨かな

元伊勢の破風板たたく時雨かな

元伊勢のみるまに烟る宇陀時雨

野舞台を吹きぬけてゆく時雨かな

朝目を覚ますと日の出前の東南の空がみるみる赤く輝いてきてそれは美しい。

これが「かぎろひ」というのかもしれないと思うと、むしょうに宇陀の「かぎろひの丘」に出かけたくなった。
ただ、きれいな朝焼けでてっきり今日はいい天気になるかと思ったがそうではないらしい。家を出た昼過ぎには吉野大峯の遠嶺がみるみる時雨でかすみ、宇陀の空もなんだか暗い。
おまけに気温はもう真冬かと思われるように寒いし、別の日でもいいかと思うのだが朝から行くと決めていたので敢行だ。

柿本人麻呂のかぎろひの歌が詠まれたのが旧暦11月19日だというので、その日に当たる今月19日には「第四二回かぎろひを観る会」があるのだが、なにせ日の出前のかぎろひを観るというので当然未明のイベントなのだ。国ン中よりさらに底冷えのする宇陀とあっては寒さも半端ではないだろうと思うと最初から腰がひけてしまう。そこでせめて場所だけでもこの目で確かめるべく、家人を誘って出かけたのであるが。

案の定、宇陀にふみこんだとたん道路には雨が降った跡がありいやな予感がする。駐車場に着いた頃には北の方角を時雨が通過している模様。「かぎろひの丘」は無事にすんだが、すぐ近くにある元伊勢のひとつ「阿紀神社」に着いてしばらくしたらとうとうぱらぱらと霙模様の雨が降ってきて、銅葺き神明造りの社殿をさらに黒く濡らすのだった。

この阿紀神社には立派な能舞台があるが、これは一時この地を治めた織田の末裔が設えたもので能楽の奉納が大正まで続いていたというが、最近また「あきの蛍能」として装いもあらたに再開されているという。そばを流れる川に蛍を飼っていて能楽の途中で灯りを消して楽しむというが、さぞ幻想的な光景にちがいない。

線路脇で

単線に電車来るらし枇杷の花

全うの覚束なしや枇杷の花

枇杷の花が咲く頃になってきた。

去年の今頃は正暦寺の紅葉見物の帰りに見た記憶があるので、紅葉とは行き会いのような形で咲くのだろう。枇杷の実は初夏の頃の食べ物だから、こんな時期に交配してこれからずんずん寒くなる時期に実を太らせていくと考えると通常の果物とは随分性格が異なると言える。
冬を通して実をつけているものといえば他に夏みかんなどがあるが、あれは他の柑橘類同様初夏に花を付け実をつけさせたものを、酸味を抜くために冬のあいだも木の上で過ごさせて翌年の春先から初夏まで、いわゆる木成りさせたものを収穫するものだから、枇杷の生育サイクルとは基本的に違う。

むかし、鹿児島の錦江湾に沿った日当たりの良さそうな斜面一面に袋掛けされた枇杷を見たことがあり特産だと聞かされたことがあるので、以来枇杷とは暖かい地方のものかと思っていた。だから、当地のような昼と夜の寒暖差が大きくて底冷えのするようなところでも見られるというのは意外に思ったりする。

散歩道の線路脇で隣の藪椿と空を奪うようにして大きく枝を伸ばした枇杷の木があるのを見つけた。ここでもすでに花が開き始めていた。

町内マラソン大会

マラソンのコース備ふる師走かな

見慣れた散歩道の景色が今日はどこか違う。

よく見ると、ついこの間まで見事に紅葉していた街路樹がきれいに短く切りそろえられている。さらに、街路樹の下生えのツツジの垣もきれいに刈られていて見通しがいい。
この八日には鳴り物入りの奈良マラソンが終わったばかりだが、今度はこの町の町民マラソン、駅伝大会が行われるらしい。そのことを告知する看板が電柱にくくりつけられていて、コース予定となるこの道路を整理清掃する町の配慮だと思われる。

八幡さん

木の葉落つ伊勢さししめす遙拝所

遙拝所見通しひらけ木の葉散る

遙拝所木の葉衣に標結へる

近所に由緒ある八幡さんが二カ所ある。

それぞれ東の方向に開けた小高い斜面にあるのだが、どちらにもお伊勢さんへの遙拝所がある。というより当地の神社はおしなべて伊勢への遙拝所がしつらえてあるのが多い。いずれも大和と伊勢の浅からぬ関わりを示すものと考えていいだろう。

もともと見晴らしがいい場所が、この時期落葉樹が葉を落とすようになってさらに見通しがよくなった。

利き手文化

左箸おでんつまむも世界遺産

和食文化が無形世界遺産に登録決定したそうな。

食の文化ということだろうから、箸遣いもその中に含まれているのだろう。となると、古来から「箸は右手で持つもの」という美意識に裏打ちされてきたものが今では廃れかけているのも肯定されるのであろうか。
箸はもちろん文字にしても右手で書かれることが前提とされている。利き手を問わず、この右手文化は昔から合理的であり所作としての美しさが約束されてきたものだ。

左手に持った包丁でいくら器用にさばいていたとしても、危なっかしく見えるのは私だけだろうか。

遊廓跡で

霜の菊廓格子の塞がれて

ならまちの外れにかつて遊廓があったというので寄ってみた。

もちろん、現在では遊女宿の多くが個人の家やアパートに立て替わっていて、なかには昔のままの建物に手を入れて現在も住宅として使われていたりするものもあるのだが、教えられなければそれがかつて遊女宿であったということは分からない。

廓格子というのは遊女の逃亡を防ぐために細かい格子がはめられているのが特徴なのだが、掲句は、通りに面したある部分だけが塗り壁などで塞がれているものがあり、かえってそれが廓格子の跡であり遊女宿であったことを教えるのに十分であったことを詠んだものである。
売られてきた遊女の出身というのは五条や十津川など奈良の奥深い所であったりしたのだろうか、そんな古い昔のことを考えているうちに、そこは早く立ち去るほうがいいよと言う声がするように思えて長居することはできなかった。

なお、格子と言えばいろいろなものがあり、奈良町にも「なら格子」と呼ばれる独特のものがあるのだが、それはまた別の機会に紹介したい。