出汁をすする

自家製のおでんのつゆの冷めやすき

おでんがおいしい季節になった。

ネタはやはり大根が一番。おおぶりの三浦大根を出汁の中でじっくり煮込んだものなら最高だろう。
自宅でもけっこううまく食えるおでんだが、おでん屋では食べたいものをその都度おやじに注文することができるので、いつでも「ふっはっ」言いながら熱いものが食べられるのがいい。
ただし、出汁を最後まで飲むには自家製のものに限る。塩分控えめだからである。旨さではもちろんおでん屋のほうに軍配があがるだろうが。

と、我が家のおでんはいつ食卓にのぼるのだろうか。

寒空に

木立とはいへどダリアの支柱かな

この支柱にてこの木立ダリアかな

名ばかりに木立ダリアの蒲柳かな

いかにも頭が重そうである。

3メートルくらいの背がある皇帝ダリアは、どこもしっかり支柱で支えられている。茎を見るといかにも細い。春からの芽がひょろひょろと伸びるのに忙しく、自分自身を支える駆体の形成が間に合わないのであろう。

最近よく見られるようになった花だが、あの大ぶりの図体と花はこの寒い時期にはそぐわないような気がしてどうにも好きにはなれないのだが。

図書館の行き来に

駅頭掃いても掃いても落葉ふる

近鉄・信貴山口駅前の紅葉がすばらしい。

桜紅葉はすべて散ったが、もみじの葉が落ちるのはこれからだ。紅葉が終わると、今度はもっと小さい葉が散るのだとは管理人の話だ。

お祓い

南天や神職はらふかぐら鈴

大神さんでマイカーのお祓いをしてもらった。

別に神様仏様に深く信心しているわけではないけど、何年お世話になるかもしれない車なので交通安全を期しての一種の儀式のようなものかもしれない。祝詞をあげてもらった後、「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまへ さきはへたまえ)」を三唱。頭をさげて鈴祓いを受けたときは、神職が頭上でふるった鈴の音があまりに大きいので驚いてしまった。

紅葉ばかりでなく、南天の実もまた美しい季節だ。

紅葉且散る

浄瑠璃寺浄土三昧散紅葉

須弥壇の黒光りして冬日和

奈良の北隣、木津川市の浄瑠璃寺の紅葉は素晴らしかった。

浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂

池を挟んで東に浄瑠璃浄土の薬師如来、西には極楽浄土の阿弥陀如来九体をまつった、平安時代の寺である。薬師如来を安置した三重の塔は京の都より移設されたので戦火から免れて国宝、九体阿弥陀如来像、それをおさめた九体阿弥陀堂も国宝という堂々たるお寺であった。平安時代は貴族により阿弥陀信仰が広まり九体阿弥陀堂も数多く建てられたが、現存するのはここ浄瑠璃寺だけだそうである。

紅葉のピークは過ぎたものの、それでも浄土世界をもした見事な建物の配置もあいまってしばらくは声も出ないまま池を一周した。そのあと九体阿弥陀堂を拝観させていただいたが、阿弥陀如来さんが手を伸ばせばすぐに届きそうな場所におわす。また、ちょっと底冷えのする暗いお堂の中でも、結界ともなる須弥壇は長い年月人の手で磨かれたのであろう、黒光りしているのがはっきりと認められた。

英語で読む村上春樹

木枯やイヤフォンの音かき消され

木枯や耳のますます遠くなり

散歩の時はダウンロードした英語講座を聴くことが多い。

ありがたいことにNHKの語学講座をパソコンで聞けるストリーミング放送が毎週月曜日に更新されるので、その中から「英語で読む村上春樹」などいくつか選んでおいたのをiPodやiPhone などに仕込んでおくわけだ。
1時間も歩くと30分番組なら2回分聴けるのはいいのだが、困ったことに音楽とか英会話とかを聴いてると句作の方がさっぱりなのである。散歩というのは筆者にとってはある意味でデイリーの吟行であるわけで、神経が耳にとられ、また内容を理解しようとする脳がイヤフォンから流れる放送にとられてしまうと、まったく五感が俳句のために働いてくれないのである。

さらにである。今日などは木枯らしが強くよく聞き取れなくてボリュームを上げるとますます作句に五感が働かなくなるという始末になる。

近場の名所

古道ゆき背を過ぐ雨の落葉かな

土器の道落葉の雨に打たれけり

一言さんの石階段で

一言さん(一言主神社)の銀杏を見たくて葛城古道まで。

境内の紅葉は小規模ながら見事なものだった。たまたま、夕方ニュースで京都の紅葉スポットが報じられたが、文字通り芋を洗うような雑踏でとてもじゃないが静かに紅葉を楽しむことはできない、ひどいものだった。紅葉シーズン真っ盛りにわざわざ大枚をはたいて出かけるところではないと覚った。
あまつさえ、ライトアップの紅葉というのもどうかと思う。紅葉はやはり日の光に透かしたり、照らされたりしているのを楽しむものだと思う。桜とちがって光の当たり具合でいかようにも見えるのを楽しむものなのだ。人工的な光ではねえ。
一言さんの紅葉
で、肝心の樹齢約1,200年と言われる御神木の銀杏だが、どういうわけか黄葉にはちと早いようでようやく黄緑色がかってきたところという感じ。
一言さんの銀杏

このあと葛城市立歴史博物館でこのまちの歴史を確かめてから帰途についたが、背中を押すような南からの強い風とともに時雨模様となり街路樹の葉がばらばらと散ってゆくのだった。