平和の祭典に

夕蛙聞いたきかぬの雨二日

菜種梅雨というのだろうか。

コロナに加え二日続きの雨に連休スタートも湿りがち。
大阪では今日44人が亡くなったという。もはや数字には麻痺してしまっているが、さすがに死者44という数字は重い。
災害レベルと言っていい医療崩壊の前には声も出ない。「出るな」「動くな」の対策だけでは今のインドの映像も他所の国のこととは思えなくなる。
よその県から看護師さんを借りているような状態でどこも人材が払底しているなか、今度は平和の祭典のために500人の看護師を寄こせと言う。正気の沙汰ではない。いい加減に目を覚まして欲しい。

主役

紫蘭もて雨のとば口明るうす

年々株がふえているようだ。

群生とは言えないが、ツツジも終わりかけの門まわりを賑わせるには十分な量がある。
最初にやってきたときはほんの二三株にすぎなかったのだが、アマドコロなどライバルを抑えて主役になったようだ。
朝から降ったり止んだりの一日だったが、重苦しい空模様を吹き消すには十分であった。

つぶやく

鋭敏になる嗅覚の木の芽晴

山椒も柚子も若葉が香ばしい。

指に移った香りを楽しみつつ、家にいながらにして行く春を満喫。
蝶の卵をいくつ落としたろうか。
蝶も命をかけているんだが、せっかくの新芽が丸裸にされるのもつらいのだ。勘弁しろやとつぶやきつつ。

夏の色

左よし右よし平群懸り藤

藤もほぼ終わりかけ。

つい先日までは桜のあとを追いかけるように山藤が平群の里にアクセントをつけて、なかなかの眺めを楽しめた。
今日通りかかると、藤に絡まれていた木がいよいよ茂りはじめ、褪せてきた藤を飲み込むように日々山容がうつろいでゆく。
遠くを見れば常緑樹と落葉樹の高いコントラストに彩られていた二上山も三輪山も、コントラストがあせてきて濃い緑一色になろうとしている。こうなるとまだ生えそろわない若草山の褐色の山膚が遠目にも際だってわかる。
盆地は夏の色に染まろうとしている。

繰り返し

県道が古墳切り割る竹の秋

今年の竹林の黄金色はどうだ。

これほど見事に枯れることは珍しい。今にも全部の葉が落ちるようである。
現に少しの風にも竹落葉が降ってくる。盆地を広く見渡せばあちこちにこんもりとした黄金の森が点在している。古墳である。
竹秋は春、竹落葉は夏の、それぞれ季語である。
竹林を黄金にそめて、そして落葉すれば竹落葉が敷かれる。
毎年の変わりない繰り返しである。

自然循環

炭を焼く生計の株の蘖ゆる

櫟というのは成長が早くて、10年もすれば炭焼きの材料として使うことができるそうである。

さらにまた切株から何本も若い芽が吹き出して、それが8〜10年すればまた炭焼きの材料となる。
こうして10年分くらいの山を持っていれば炭焼きの材料には事欠かないわけである。
櫟はまた腐葉土のいい材料となる。一年も寝かせれば混ぜ物のない安心な腐葉土が手に入る。
サツモイモが特産の川越では畑の近くに櫟の林をもうけ、その落ち葉から腐葉土をつくり、火山灰土の関東ローム層を豊かな藷畑に仕立て上げている。
炭といい、腐葉土といい、SDGsの鏡のような自然循環にかなったサイクルである。

施設が賴り

堰きとめて川水細る夏近し

柑橘類の害虫と言えば蝶々の青虫。

さらにもうひとつ「葉もぐり蛾」。蛾といってもその幼虫だが、これが葉っぱの薄い皮一枚下を這い回り木を弱らせる。蚯蚓のはったような跡は一目で分かるので虫を見つけては潰す。農薬を使わないのでこれしか方法はない。ひどい場合は葉っぱをむしるだけ。
これと同じような跡を初めてチャレンジしているエンドウの葉っぱに見つけた。冬も無事過ごし順調に来たので、好事魔多しといったところだが、蚤くらいの大きさの幼虫をひとつひとつ爪でつぶしてゆく。
雑草と虫を敵としない方針だが、実際に作物に被害が出ればそうはいっておれない。
このゴールデンウィークは日用品以外の商業施設も休業要請だとか。われら家庭菜園族には苗などの入手にホームセンターが必須。もしこれらが休業となれば素人ファーマー族より怨嗟の声が響こう。
水の乏しい盆地は溜池に水を溜める時期。平群川(正式には竜田川というが)も途中せき止めて川自体がダムとなる。堰の下流は水が細っていよいよ夏が近い。