ご奉仕

長尺のはたきに寺の煤払

興福寺、薬師寺など御身拭のニュースが相次ぐ季節となった。

歳時記にある「御身拭」は、4月19日京都嵯峨の清涼寺で本尊の釈迦如来の仏身を浄める儀式をさすが、一般には春や年末など諸物を浄める行事をさす。
実際に見たことはないのだが、ニュースでは大仏さんなどはまずおごそかに魂抜をしてから作業に入るようである。
重文クラスの仏など相当に気を配らなければならず、見ているよりは大変なご奉仕とも言える。

五割増

四本のタイヤ換えては日短

来週は一月の寒さだというので、冬タイヤに交換した。

夏タイヤを外し冬タイヤに交換するにはステップがいくつもあって、重いものを都合八本運んでは外し持ち上げ、はめて取り付けと腰の痛みとの戦いの時間でもある。
若い頃でも結構重労働だったが、古稀を超えた今となっては相当ハードである。時間も五割くらい多くかかっているかもしれない。

しわ寄せ

年忘一人と欠けることもなく

世の中はほとんど忘年会どころではないだろう。

身近なところでコロナ禍に合われた人もなく、もし忘年会をやるとしたら全員が出席となるはずである。
このひと月で稼ぎの多くを期待していたお店にとっては大打撃。飲食業には廃業に追い込まれたり、従業員やアルバイトが多く解雇されるなど、立場の弱い人がますます困窮度を増してきている。
分科会ももはやクラスターを追えずお手上げ、白旗をあげてしまった。医療現場にそのしわ寄せが一気に迫って、この先どこまで行ってしまうのか。

青い炎

牡蠣鍋やカセット焜炉侮れず

ボンベの使用期限が切れている。

ここ何年かは電気のものを使っていたので戸棚の奥で眠っていたボンベを調べると、どこも錆びてないし「問題なしオーケー」ということでテストしても問題なくバーナーが青い炎をあげる。
ガスそのものには変化ないだろうし、容器の問題さえなければ使えるはずと判断したわけだ。
それにしても焜炉は新しく、火力も安定しているし、昔の焜炉に比べるとパワーも増しているように感じたのは意外であった。
鍋が好きな夫婦には、この冬は何度も卓上にのぼることであろう。

食感

ラ・フランス追熟させて到来す

洋梨はいままで苦手であった。

が、最近毎年この時期になると飯田のものを贈ってくださる方がいて、これが今までのイメージを覆すほど匂いが気にならなくてうまいこと。
甘さと酸っぱさの絶妙なコンビネーションで、これは収穫後10日ほど成熟させて生まれる味のものらしい。
コロナに頭を押さえつけられている鬱憤を晴らしては、またひと口。すこし舌にざらついた感触があるのもまた独特の食感。一個がまたたく間になくなってしまって、あとはまた朝のお楽しみ。

時代劇そして歌謡曲

歌番組かけて蜜柑に手の伸びる

蜜柑がおいしい季節となった。

どうも走りの青蜜柑というのは酸っぱかったりしてあまり手が伸びないが、これから正月にかけて甘味を増した蜜柑が多く出回ると一度に二三個はぺろりといける。
蜜柑といえばテレビ、それも家族みんなで楽しむ歌番組というのがかつての典型的な家庭団欒の姿。
NHK/BSを見ていて時代劇が歌謡曲番組に変わり、今日の一句を思案していると自然に蜜柑の皮をむいている自分に気づいての一句となった。秋の季語であるが、自分には正月を中心に食うものとして冬のものというイメージが強い。

厚い雲

初雪のあるやもしれぬけふの空

当地独特の黒くて厚い雲が覆うと気持ちまでもが暗くなる。

となりの大阪もそうなのだろうが、日本海側のような食う気の重ささえ感じるのだ。
長い間関東南部に住んでいると殊更その印象が強い。
今年は幸いにして比較的明るい日が続くので助かるのだが、黒い雲が流れる日はこれからいよいよ本番となる。
明日は3度の予報。この冬一番の冷え込みとか。