消え方

捩り花刈られし芝にうながされ

年々あちこちに飛んでいる。

花が終わればいつの間にかほかの草に紛れて消えてしまうが、宿根草だけに根だけはしっかり残っているようで、次の年になるとしっかり顔をだしてくれていつものように人の気を引くのである。
終わった花をよく見ると、大きな種なのか種袋なのかしっかりつけていてこれが弾ければ他にもつぎつぎ飛ぶのであろう。
駐車場の雑草を始末するのに捩花も抜いてしまうにはしのびず、曇り模様のなかを移植することにした。
単独で植えてみたのは、花期が終わったあとどんな風に消えてゆくのか確かめたいこともある。さて。

間をおく

ぎっちょんのちょんの休止符昼涼し

この二三日キリギリスと思われる声が響く。

「響く」がよく似合うほど大きい声である。
二三匹いるようで、相手をうかがうのか我関せずなのか知らないが、それぞれ「ぎぃーっ、、、ちょん」ときっちりと休止符を打つのが面白い。
7月そうそう早くも虫が鳴き出した。その一号なのかもしれない。いわば初虫ということか。

田植え終えたか

半夏生咲いて尼寺の門の閑か

今日が半夏生。

夏至から数えて11日目、もしくはそのあと5日間を言う。
この半夏生までにはすべて田植を終えるのが目安とされてきた。
いまの盆地はこの雑節がしっかり守られていて、ようやく植田が広がる季節となった。
歳時記に取り上げられるのはこの雑節でのことである。

一方、半夏生は植物の名でもある。
葉の半分が白化するので半化粧からきた命名のようである。
当県では規模において御杖村のものが有名であるが、案外知られていない名所が奈良市内の「興福院(こんぶいん)」。一条通からちょっと入ったところにある尼寺である。
事前に予約必要と言うことで人はあまり見ないが、季節には門前の池がこの半夏生で満たされる。
閑静なところに、ごく自然に見える手入れのされた池と半夏生。
いつまでも見ていて飽きない。

品の良さ

雨意はらみ花くちなしの香を増しぬ

湿度が急に上がってくると臭いがさらに増すような気がする。

雨を前にすると、気温は高いままに湿度が上昇するとそのような現象が起きるのだろうか。
山梔子の香りは自然の香りのなかでも上品な部類に属して好きな花である。
難点は病害虫に弱いこと。とくに虫には葉っぱと言わず蕾までも食われることが多い。
そのため、いい環境においてこまめに面倒見る必要があるようである。
今日は、町外へでたときに街路樹の下植えにみごとに咲いているのを見かけた。
わが家のは春に虫に食われて、ようやく葉っぱを回復したばかりで今年は諦めなければならないようだ。

鰓脚

植田はや澄んで豊年蝦おどる

名前がなかなか出てこない。

たしか、稲にちなむ名前で、どこか目出度い名前をもらっていたはずといろいろ検索はしてみるももどかしくも思い出せないでいた。
検索キーワードもうまい言葉が見つからず、「え〜と、え〜と」を頭の中で繰り返す。
すると、ふいに「豊年」という言葉が過ぎったことから、いっせいに脳細胞にフル活動を命じると「エビ」が思い当たる。組み合わせると「ホウネンエビ」になるではないか。
これで検索したら百発百中のドンピシャ。画像も実際に見たイメージのものだった。
「豊年蝦」。これが多い年は実りが約束されるといわれるも、近年はめっきり数を減らしているらしい。
水も不足なく田植がようやく一段落した盆地は植田一色。田水も澄んで小さな生きものがよく見える。
イトミミズ、小さな水中昆虫がときどき水面に頭を出しているのは空気を取り入れているのであろうか。
屈みこんでのぞいていたら、こんなに近寄って田んぼをのぞき込むなんて何年ぶりだろう、おお懐かしい「豊年蝦」を発見。
ふわふわと浮遊するように、そう浮遊という言葉が相応しい、そんな動きを見せながら、繊毛のようなたくさんの脚を小刻みに動かしている。これは「鰓脚」と呼ばれ、呼吸機能があるようだ。これでかき回して水中の植物プランクトンを摂る。
甲殻類だった。水中昆虫だとばかり思っていた。
なかなかヒットしないわけである。

三輪素麺

中元の届け届きて声若し

容貌は変わっても声は変わらないようだ。

だから、なまじテレビ電話などは使わないほうがいい。
声を聞くだけで一気に若かりし頃にワープし、他愛のない話にいつまでも尽きない。
人と人の結びつきみたいなものは儚げでいて、気心を許し合うというか、肝胆相照らすという仲のあいだは特別なものである。
とりとめもない話はいくらでも続けられるし、きっとこの時は特別なホルモンがいっぱい分泌されて心をリラックスしてくれているのではなかろうか。
地場の産物を中元とお歳暮というかたちで贈り贈られてもう何年になるだろう。
当地へ越してからは中元は三輪素麺が定番となった。

静かに回る

一台を分けたは昔扇風機
良く回る十年前の扇風機

エアコンを入れるほどではないが、風がほしい。

夜になって外が涼しくなっても家の中はまだ熱がこもっている。
できるだけ外の空気を穫り入れるため、窓際に扇風機を置けば気持ちのいい風が入ってくる。
あの首振りという機能は、元はみんなに平等に風を分け与えるのが目的だったはずだが、今の使い方はこういった涼しい風を隅々にまで届けるのがメインになったような気がする。
家には各部屋に一台ずつ全部で5台ほど扇風機があるが、子供たちが巣立って二人だけの暮らしとなると、一台を分け合うこともめっきり減ってほぼ個人専用だ。
昔に比べモーターやファンの音も静かだし、一部屋で二台の扇風機が回っていても気にはならない。
二台回してもエアコンよりは安いだろうし、エコだろうとは思う。