肥後の守

三角にベースを結ぶ冬日向

この時期になると思い出す。

子供時代の遊びの数々を。
校庭の馬跳び、竹登り、相撲、山や川に行けば肥後の守や小刀を使っての玩具づくり、そして小さな空き地の三角ベース。数え上げれば切りがないほどほとんどが外の遊びである。
塾などもないし、家に帰っても寒いだけだから日がある内は外で遊んだものである。まさに子供は風の子と言っていい時代。
いっときローラースケートブームがきて競って興じたものだが、やはりすぐ飽きられたとみえてスケート場も長くは続かなかった。
今でも鉛筆削りはナイフである。削り器では芯が思うように研げないのである。今はもっぱら室内でその鉛筆を使って数独を解いている。

二個目もうありがたみ失せ寒卵

溶きながら目は鍋のなかをのぞいている。

すき焼きにはやはり卵がつきもの。
今が旬だという卵。
肉のうまみをうまく包み込んでくれてさらに甘味がます。
一個目があっという間になくなると、あとはいくら「たれ」をうまく調整しようとも卵のマジックにはまず勝てない。卵の虜になってしまっているのである。

台形の峰

寒晴やキックボードの姉弟あねおとと

寒晴と言うに相応しい今日。

はるか南、近畿の屋根と言われる大峯の嶺々の稜線がくっきりと見える。
そのなかでもやはり近畿最高峰八経ヶ岳の姿形は威厳がある。家からは単独峰のようで台形に見えて周りの山々を従えているようである。
雪は残っているはずだが、それほど白くは見えない。全山が遠目にも白く見えるには例年のごとくあとひと月くらい待たねばならないだろう。
そんな景色がよく見える坂道を、塾通いのリュックと思われるものを背負った姉弟が仲良くキックボードを蹴りながら降りてゆく。キックボードの下りは楽だろうが、昇りとなると大変なのではないかと思うのは子供たちにとっては余計な心配でもあろうか。

寒い朝

焼場へとつづく車列の雪時雨

朝のうちに珍しく雪が降った。

しっかりとした粒で帽子や衣服の肩を弾けながら落ちてゆく。見上げると一団の黒い雲が今しも頭上を覆っていて、おそらく30分ほどもたてば過ぎゆく時雨だと思える。
予報には雨も雪もなかったので、部屋からは山を越えてくる風花くらいに思っていたのだが、出かけるとなるとしだいに本格的な降りになる。
どうりで今朝は寒いはずだと首をすぼめるのであった。

豊穣の雨

しめやかに畑に雨降る寒九かな

寒の入りから九日目を寒九という。

この日の水は一年でもっとも澄んで、しかも体に力をもたらす滋養にあふれているという。
たしかに気温も一年でもっとも寒い時期で、菌の繁殖も抑えられ清酒に用いるには最適の時期と言えるのかも知れない。
また、この日に降る雨は豊穣を約束するといわれる、大変めでたい雨なのである。
昨夜からの雨に濡れて、心なしか下草が精気を取り戻したかのようにしっとり濡れているのが目に映った。
今年は意外に春の訪れが早いかもしれない。
正確には昨日が寒九になるわけだが、降り出したのが昨日だから寒九の雨と言っても問題なかろう。

春隣

満タンの給油ホースに日脚伸ぶ

毎日のように真っ白な朝。

盆地の底冷えがつづく。
しかし日が昇るとともに、穏やかな空気に一変する。高気圧が真上にある証拠である。
風もなく気温以上に暖かい日となった。
そんな天気に誘われて午後はガソリン給油に向かった。
これよりは三寒四温がつづくのだろうか。
日はまだ高く、暮れるには十分な時間がある。あと20日もすれば春が来る。

エアロバイク

着ぶくれて保母独り占めする子かな

綿入れ半纏にくるまっていると脱げないものである。

肩や胸回りなどゆったりしているので、綿入れでも肩に重く感じないのがいい。水仕事をはじめとした家事など、動きを要するものには不向きだがやってやれないことはない。
はやりの室内着はほとんど化学繊維でできているので、静電気に悩まされたり、擦りけれやすく長くは使えないのが欠点である。おまけに、市販のものはだいたいが若い人向きに作られているのでタイトなものが多く、肩が凝る。ダウンの製品は暖かくてよいが、部屋着としては傷つきやすく長くはもたない。
けっきょく床に寝そべったり、胡座かいたり、ゆるく過ごすにはやはりセーターの上などに綿入れ半纏がぴったりする。
こう寒い日がつづくととじこもりっきりで体もなまる。ときどきはインドアの自転車漕ぎなどするも体力は落ちるいっぽうである。