持続可能社会

とんだものをいて凩去りにけり

いやな予感がする音がした。

風はさきほどよりひとしきり強くなっている。
案の定干しておいた猫トイレが飛ばされて、粉々に割れている。
欠けるたび接着剤で修復してはだましだましここまできたが、どうやらもはやこれまでらしい。
永年使って愛着があるので惜しいが、買い換えるしかあるまい。
プラスチックの経年劣化というのは避けがたく何年に一回かは交換となるが、持続可能社会に反するようなこといつまで続けられるのだろうか。
それにしても、木枯らしはいろんなものを置土産にするものだ。

インフォームドコンセント

術前のリスクつぶさに聞く小春

外はうららのいい天気。

来院者が引きも切らない地域病院の眼科で長く待たされた。
自分の手術ではないけれど家族にも事前説明の日である。待つ間の退屈な時間をつぶすべくスマホをいじったりするが、それもすぐに眼が疲れてしまう。そこに目に止まったのがセルフ血圧計。例の腕をわっかに突っ込むとぎゅっとしぼられて一分ほど、小さな紙に印字されて結果がでてくるやつ。家人はいつも普段より高めに出るとこぼしていたが、逆に低い数字が出た。
それではと家人も測ってみたが、案に反して今日は低く出て狐につままれた様子。
ややあって、お互い笑い合う、いい小春日和となった。
が、順番がきて、二回目の手術とあって気楽に望んだが今回の若い先生はやたら詳しく、これもインフォームドコンセントを得るためのものであろうことは容易に察し得るが、まれのケースを並べられるのも困惑するばかりである。

軽食

藷づくし膳にくちたる茶粥かな

昼食に藷天のうどん。

デザートは焼藷。
そりゃあ腹がいっぱいになるな。しかも藷は腹保ちがいいのでなかなか腹が空かない。
ということで、夜はあっさり系の茶粥となった。
水が大半を占めるから腹が重たくならない。茶漬けよりも軽いくらいで、疲れた胃には具合がいい。
畑で穫れたものの小鉢がいくつか並び、腹くちてる割には食がすすむ。いかん、いかん。

半減

じやがいものコロッケころころほくほくと

好物はと聞かれればいの一番のもの。

コロッケ、つぎはトンカツか。
コロッケの具はなんでもいいが、やはり基本はじゃがいもにビーフだろう。これに加えてコーン、ツナがベストスリー。
クリームコロッケもいい。
いろんな具のものがあっていいが、やっぱりこの三つに戻る。
コロッケが出る夜はご飯もよくすすむ。
ただ、かつては五つ、六つと食べられたのに最近はせいぜいが三つくらいというのがさびしい。
じやがいもこと馬鈴薯は秋の季語だが、秋の新じゃがはやはり初冬だろう。とくに近年は秋が暑いので植え付けもおそくなり、霜が降りるころ収穫となってしまうのは仕方がない。
季感とずれてきた季語の代表選手かもしれない。
補)北海道は年一回の収穫だから初秋。それが季語の元かもしれない。本州では年二回穫れるから季感のずれが生じる。

当て

葉の落ちて大層な柿の顕れり

毎年立派な柿を生らせる家がある。

年に何回か植木屋が入って手を入れているのだが、今年はおおきく茂った葉ばかりのようで、やはり干魃に近かった夏の暑さで実の入りが悪かったように見えた。
ところが、黄落が始まるとまもなくそれまで隠れていたいつもの立派な実が生っているではないか。
裏年とみえて去年の半分くらいの数しかなさそうだが、大きさでは決して引けをとらない。
老夫婦が協力し、昔ながらの先が二つに割れた竹竿を操りながら大きな籠に入れてゆく光景がまもなく見られるだろう。あれだけの数があると全部はとても取り切れそうもないが、何杯もの籠がいっぱいになるほどであるのは送る当てはあるのだろう。

寝床

めぐる季にそひしたがひて炬燵据う

もう戻らないと決めた。

数日前までの冬とも思えぬ異常にあたたかい、ときには暑いほどだったが、そんな日はもう帰ってこないだろうと。
とくにここのところ猫どもがうるさいので、今朝は朝の短い時間だけ床暖房を入れたらいっぺんにおとなしくなった。
ずっと曇、ときどき雨の寒い一日だったし、何より部屋の中も暗いのでよけい寒々しい一日である。今から暖房に頼ってしまうのは気が引けるが、思い切って連中のために床暖房の上に炬燵を置くことにした。設置している間にも炬燵布団にもぐり込んできて邪魔といったらないが、これで朝晩の喧噪はいくぶんか緩和することに期待したい。
ま、人間どもは毛布や蒲団を重ねたりしてぬくぬくとしているのだから、連中もあったかい寝床は必要だろう。
これより半年、居間の相当部分を猫どもしか利用しない炬燵がでんと中央に座るのである。

退散

短日の闇が山から足許に

日の入りが早くも午後5時より早くなっている。

すぐ西に山があるので実際の夜はもっと早く、暮れたかなと思うまもなくあっという間に足許が暗くなる。
うっかり立ち話などしてようものなら、やりかけもそのままに片付けの暇もあらばこそということになる。
暖かい日はそれでも余裕があったが、闇とともに寒さも降りてくるので慌ただしさといったらない。
脱いでいたものを再び着込んで退散だ。