首が痛くなる

寒昴ひとはひとりでゆくものと

体が硬くなったものだ。

昴を探そうと空を仰いだら、相当身を反らさねば見えない。そのままの姿勢も長くはつづかず、何度もなんどもその在処を確かめた。
まず、オリオンを見つけ、左肩の延長線をたどってゆけわけだけど、ぼんやりあるのがようやくそれかと思うしかない。冬の空は澄んでいるのに、昴はぼんやりとした雲の塊のようにしか見えなくて、視力はなさけないくらい衰えたものだ。

地上駅

サブウェイの地上に出でて日脚伸ぶ
髪切に寄って帰ろう日脚伸ぶ

夕方は随分明るくなった。

日の出は相変わらず遅いが、入り日の時刻がずんずん速くなっているようだ。
考えてみれば、冬至から一ヶ月ちかく暦は進んでいるわけで、夏至に向かって北半球はまだ5か月くらい日脚が伸びていくわけだ。
木曜日が大寒というから寒さはこれからピークだけど、その一方で春に向かっていることが実感できる景色というものを考えてみたのが掲句である。いつも乗る地下鉄が、郊外に出ていつの間にか高架を走っている。入り日はすでに没したようだが空はまだ夕明かり。いつも利用する駅に着いてもまだ明るさは残っており、ちょっと本屋にでも寄っていこうかという気になった。

ネット検索でいいなと思ったのが、

鮒釣の竿の先まで日脚伸ぶ 吉江潤二

一月も半ばを過ぎるようになると、ふとした瞬間に日脚が伸びたなと思うことはどなたでもあるのではないだろうか。

円海山峰の灸

辿り来し峰の古刹の寒の灸

円海山護念寺。

横浜の外れにある「峰の灸」として知られる寺だ。
かつては横浜のなかでも陸の孤島といわれるような、磯子杉田の山奥にある。今はそのすぐ下に横横道路が開通して環境はおおいに変わったという話だが、それでも一般の人が通りがかりに通過するような場所ではない。
洋光台、港南台といった大団地ができる前には、麓を鎌倉街道が走り、そこから見上げると高圧線の鉄塔(調べたら、FM放送の送信塔でした)しか見えないような山だった。今でも稜線をたどっていけば鎌倉に通じるハイキングの人気コースとなっているはずだ。
寺へのアクセスはいまだに大変で、JR根岸線洋光台から近くまではバス便があるらしいが、車でたどってもなかなか難しいという話だ。

灸をしてもらうのにはるばると山道を登らなければならないというのは不思議な話で、それだけ体力があるなら必ずしも灸は必要がないんじゃないかとも思うが、登る苦労が十分報われるほどの効果が期待できるのだろう。

栄養価

糞つきし寒卵珠のごと籠に
本復が待たるる人へ寒卵
藁苞に提げて見舞の寒卵
白赤の混じる寒卵藁苞に
寒卵無病息災唱へつつ
小屋の戸をくぐり入りては寒卵
炊きたての飯の匂はし寒卵

寒卵というのは栄養価が高いそうである。

というのも、この時期繁殖期にあるからだそうで、この厳寒の時期人間はそのありがたいものをありがたくいただくことで「命」に感謝したのであろう。このところあまり生まなくなったが暑さのせいだろうか、それともどこか具合でも悪いのだろうかか、ときにはそんなことなども考えながら小屋にかがみこんで卵を取りに入ったことだろう。

現代はと振り返ってみれば、ケージのなかで毎日毎日人工飼料を与えられ、繁殖ではなく人間の食のためだけに卵を生ませられる鶏やその命に思いを馳せることはない。ただ物価の優等生とされる無精卵が大量に生産され消費されるだけである。
したがって、スーパーに並ぶ卵は冬だからといってとくに珍重されるわけでもなく、むしろ最近は「地卵」だの「ブランド卵」といった生産地や生産方法に拘ったものが差別化され喜ばれている。

掲句は昔を想像して詠んだものだが、現代に寒卵の句を求むるとすれば、それは鶏を自らが育て飼う人にしかできないものだろう。

雪催い

降るものを底に集めて沼涸るる

溜池の多い郡山を通った。

かなりの部分は金魚池であるわけだが、灌漑用とおもわれる用水池も多い。この時期はいくつかの池は涸れていて、擂り鉢状になった底にいくばくかの水を残している。さすがに涸れた池には越冬用の鴨もいないければ、カイツブリ君たちもいない。その分水を湛えた池には多くの冬鳥が集まってくるようで、冷たい風にかかわらず車を停めて眺めたりするのも楽しい。

今日は生駒や葛城など盆地の南北に時雨の雲が走っているようで、とくに暗峠は時雨銀座と言ってもいいくらい何本もの時雨の柱が大阪を越えて流れているのが顕著だった。雪催いの雲ともみえて風も冷たい。
週末の受験生には気の毒だが負けずにはね返してもらいたいものだ。

冬本番に

風花のひたに顔打つ風も刺す

この冬初めて風花らしきものが舞った。

「舞う」と言うよりは、横殴りに飛んできたという感じに近い。
冬晴れだが、西から東への雲の動きは速い。

いよいよ本格的な冬の到来と覚悟する一日である。

尊い行為

ご神水賜り登拝の明けの春
三輪山に登拝の鈴の響き冴ゆ

やはり正月だろうか、多くの人が三輪山を上ってゆく。

ここはご神水の湧く狭井神社で、御朱印所で襷、鈴を受け取り登拝するが、なかには白装束に身を固めた篤い信者もみられる。神社横の登拝口からいきなりの急斜面で、鈴の音がみるみる上の方へは遠ざかるいっぽうで、下山の鈴の音がぐんぐん近づいてくる。
登拝経験のある人に聞けば、途中そうとうの急登もあるようだが、登拝客は取り立ててそれを苦にもしてない風であるのは、参拝という尊い行為にあってはそれすらもありがたいことだとされているのかもしれない。
下山者の靴は、昨日の雨で登拝の道はぬかるみもあるようで泥まみれであるが、顔はうらはらに晴れ晴れとしているようである。