2DKの浴室で

まず嬰を先にあげたる初湯かな

若い父、あるいは母かもしれない。

指を固く握りしめた赤子も、やがて大きな欠伸もしてご機嫌のようす。
一方が赤子を風呂にいれ、他方がそれをバスタオルで受け取る役割。

まずは、平和な年明けである。

一日の一番美しい瞬間

元朝の曙光とあらば二礼して

今時分の曙光は高見山のシルエットをくっきり映し出して本当に美しい。

上空に絹雲がかかり、その底が金色にまぶしく輝いてくると、神々しいとまで思える朝もある。
そんなときは、まだ日が昇らぬうちから、やがて登ってくる日の神さまに向けて両手を合わしている。
遠く南嶺の吉野、大峯の稜線はまだ暗いが、それでも黒々とした山塊ははっきりと認められる。
あと数分ほどでそれらの峰にも赤い光がさす美しい瞬間があるのを知っているが、階下の猫たちが気配を察して騒がしいのでゆっくり眺めているゆとりはない。

去年今年猫の親子と起居ともに

明けましておめでとうございます。
皆さまにトリまして今年もよい年でありますように。

よいお年を

除夜の鐘誰か聞きつけ壁時計
救急のサイレン混じり除夜の鐘

この一年、おかげさまで休みなく来られました。

十数年ぶりに風邪で寝込んだ日もありましたが、重篤ということもなく乗り越えることができたのは、何よりだったと思います。
駄作を連ねるだけの毎日でしたが、みなさまの励ましがなければとても続けられるものではありません。
本当にありがとうございました。
五千句のうち三分の一くらいは刻んだことになりますが、古稀を迎える来年も頑張りますのでかわらずよろしくご声援ください。
野球選手のお立ち台インタビューみたいですが。

みなさまも、どうかよいお年を。

絮のほどけて

枯尾花ここださはさは空を掃く
暴れ川いま茫漠と枯尾花
暴れ川肥沃もたらし枯尾花
砂利採って尽きぬ中洲の枯尾花
州にダンプシャベルカー来て枯尾花
ここよりは車入れず枯尾花
下り来て大河デルタの枯尾花
舟下り芒枯るるを見るばかり
草として枯れ馴染みゆく芒かな
草として生きた証の枯芒
草として栄えある名負ひ枯尾花
背広着て芒枯れたるやうな背

ふんばって靡いているようでも今にも千切れそうである。

一面の芒原の穂はすっかり飛ばされて骨と皮だけなのだが、意外に弾力は残していて少しの風にも反応している。
春を前に焼け野となればまた新しい芽を伸ばしてくれるだろう。

睨まれる

出囃子や師匠いつもの咳ひとつ
かりんとう飴含みしままに咳きにせく
咳きにせく花梨の飴をしゃぶりつつ
指揮台に向きを直して咳払

昨日は「嚔」だったので、今日は「咳」で。

昨今は、何とか菌とかウィルスとか、アレルギー源とか、とかく気にしなければならない類いがはびこっているようで、風邪も引いてないのにマスクをする人が増えているらしい。街を観察していると、いかにマスクの人が多いかあらためて驚かされる。
潔癖症の人にとっては、人の触った手すり、吊革はおろか、空気さえ共有したくないらしい。そんな人のそばでくしゃみやせきをしようものなら、露骨に嫌な顔をされるんだろうなあ。
顔の大半はマスクに隠れているから、表情は読み取れないだろうが、きっと不快に思っているに違いない。「寛容と忍耐」がもはや美徳でもなんでもなくなって、「キレル」「ムカツク」が市民權を得る時代のようだし。

掲句に戻って。ホールでのクラシック演奏ともなると、指揮者がタクトを振り上げた瞬間咳やくしゃみは怺えるものと相場は決まっているが、その緊張感から解かれるせいか、楽章の合間となると会場のかしこから咳払いがわき上がるというのも定番の光景。
たとえ咳や嚔が止めようがなくても最低限に抑えることは可能だが、最悪なのが携帯電話の電源切り忘れだ。コンサートに限らず、人のことは言えない面があり心したいと思う。

猫の苦手なもの

断りて天下晴れての嚔かな
すれ違ひざまの嚔の漢かな
くしゃみして猫の不興を買ひにけり

くしゃみを怺えるのは難しい。

たまに、出そうでいて不発におわると周りのほっとした瞬間を感じるときもあれば、いきなり大きなくしゃみをして周りの顰蹙、不興を買うときもある。そういう場合はハンカチで抑えるとか、手で覆うというようないとまはまずなく、満員電車とか、喫茶店とか、閉所に人が詰まっているような場所なら間違いなく冷たい視線にさらされるし。
たしかに、逆の立場となってみれば、マスクくらいしてろよとか言いたくなるもの。
せめて、間が取れて周りに断ってからのくしゃみなら、後ろめたさも幾分はれて心置きなくぶっぱなすことができそうだ。
ただ、他人に向かっては間違ってもしてはいけないのは無論である。

先々代の猫は、家人の周波数の高そうなくしゃみが苦手で、必ず声をあげて抗議していたものだ。猫だって、耳障りになるようなくしゃみは苦手なのだ。

類句大量生産

出稼ぎの夫に代わりて冬田打つ
出稼ぎの列車貫き大冬田
出稼ぎの駅へ途中の冬田かな
整然と電柱影引き大冬田
石積の崩れてありぬ冬棚田
冬棚田巻いて葛城古道かな
杭跡の湿り残れる冬田かな

兼題句である。

米どころの田、兼業農家の田、三ちゃん農家の田、峡の田、それぞれ場面は考えられる。
大きく詠んだり、微細な点を詠んだり、見慣れた景色だからいろいろな句が生まれておかしくはないだろう。
ところが、いざやってみるとなかなか難しい。
締め切りまで数日あるから、もっと数詠まなくちゃ。