一陽来復

もうもうと五体薫きしむ柚子湯かな

香りだった湯気に全身が柚子の香りに薫きしめられるようだ。

今日は冬至。陰の極みに柚子風呂に入ったり南瓜を食べたりして邪悪を払う。
温められた柚子からはいっそう香りがたって、浴室はさながらアロマセラピーの施術を受けているようである。
今年もあとわずか。湯気に包まれて今年のあれこれをゆっくり味わうのもいいのではないか。

今朝は珍しく霧が濃い。起床してからさらに深くなったようだ。視程100メートル以下。10時になってもまだ霽れない。
気温が上がるという予報だが、お日様が顔を出してくれての話だ。
ドアを開けたら、玄関脇の南天にヒヨドリ君がいたとみえて驚かせてしまった。
風もまったくなく、あとは「一陽来復」を願うばかり。

遅れるまじく

遅参してまづは湯豆腐取り分ける

鍋シーズン。

目の前の湯豆腐くつくつ揺れるのをふうふうしながら舌の上。
部屋中に湯気も充満して体も暖まってくる。

湯豆腐鍋パーティに遅れたら、崩れて固くなってしまったのを掬うしかない。

冬模様

靴音を糧に街路の冬芽立つ

昨日から表紙の絵を替えた。

花蕎麦ではいかにも季節感がずれていて前から気になっていたので、ブログの意匠替えに合わせて冬ど真ん中のものとした。
表紙絵はこの時期の芽ではなく2月頃のものだが、注意しながら歩くと梅や辛夷などの樹木にはもうはっきりと芽が形成されていて、冬準備が整っているのが見えた。
寒いと言って前屈みにならないよう、胸をぴんとそらせて歩きたい。

寒空に

かたくなに散るをこばみて冬薔薇

最近の薔薇は冬にもなかなか強いようである。

そういう品種なのかもしれないが、公園の薔薇は12月も半ばというのにまだ多くの蕾を付けていた。
ただ、気温が低いためだろう、蕾のままでなかなか開きそうもなく、咲いたら咲いたでなかなか散りそうもなく枯れたまま枝にしがみついてもいるように見える。
室内に持ち込んだら蕾だってきっと早く開くにちがいない。

写真のバラの名前は「テキーラ」。なんだか南国めいてきたが。

浮いてこい

かいつぶりあらぬところにあらはるる

カイツブリの潜水時間は意外に長い。

感覚的には30秒くらい潜っているように思えるときもある。
そうなると、いくら目を凝らしていても、ここら辺りかと待ち受けているところには浮かばなくて、まったく予想もしないところにポッカリ出てきて驚かされる。
潜水が長いということは、それだけ餌を探している時間が長いわけで、カイツブリにとっては望むところではないだろう。
今度目撃したら、早く浮いてこいと声援を送ろうと思う。

冬の通り雨

登校の列の乱れて初時雨

朝起きたら、どうやら時雨が通り過ぎていくらしい。

登校の子供たちが、集合地点からまちまちに家へ戻るのは雨が降り出してきたらしいと分かる。やがてとりどりにカラフルな傘をさして戻ってきた。
目を盆地にやれば、中央部から東部にかけて時雨が通過しているようである。いわゆる冬の通り雨である。
関東にいるときはめったに時雨というものには遭うことはなかった。もし佐藤春夫が東男だったら「しぐれに寄せる抒情」も生まれなかったかもしれない。冬季からっと晴れることはまずない京都はじめ当地だからこそ珍しくなく見られる現象で、だからこそ歳時記にもとりあげられたと言っていいだろう。
いまだに、歳時記は京都を中心とした近畿の四季に応じた事物や行事などが多く、近代になって幅広い季語が採用されるにいたったが、歳時記の中に多く採用されているさまざまな年中行事がいまだに守られてきているのはやはり近畿だと思われる。長く関東に住んだ人間には、想像することさえ難しい季題というのはハードルが高いものだ。

野鳥の警告

水湛へ餌場となせる冬田かな

「冬期湛水」という。

冬から春にかけて田に水をはっておき、雑草を抑えたり、稲藁などを使った肥料、堆肥効果が期待でき、また春耕の手間を軽減するなどが期待できる。
水を張ったままの田を「冬水田んぼ」といい、開発によって失われた湿原の代替として渡り鳥などの餌場とする運動も行われている。
この農法を積極的に展開している例として、近畿では福井県若狭町の冬水田んぼ農法などがあるようだ。

昔から雁は「かりがね」とも呼ばれ、各地に飛来しては人々にも馴染みが深く和歌にも多く詠まれてきた。ところが、明治維新後、乱獲や経済活動の拡大による開発によって絶滅寸前にまで追い詰められ、今また地球温暖化によって生息環境も脅威にさらされようとしている。
雁が見られるのは北日本を除けば日本海側に多く、温暖化で中継地、越冬地とも北限が上がっているとも聞く。ただでさえ観察する機会が少ないのに、生息地がピンチとなれば淋しい話だ。