元興寺

凩の鰐口なぞる奏かな
萩枯るるままに僧房静まれる

元興寺極楽坊跡を訪れた。

凩ほども冷たくはない風が騒いだかと思うと、堂の正面の軒に吊した鰐口が微かに鳴った。
鰐口というのは神社などにお参りしたときに鳴らすあのジャラジャラである。
綱には長い五色の領巾がついており、これが風にあおられて綱を揺らし鰐口に撫でるような触れたのである。

もう一回聞きたいとしばらく佇んでみたが、音はそれっきりだった。
気を取り直して堂の周囲を見回してみると、大きく広がった萩がまさに枯れようとしている。
そう言えば、ここは萩の寺。
元興寺は元々法興寺(飛鳥寺)から平城京に移築されたもので、堂の瓦には当時のものがまだ使われている。時代を経て何度も修復されたのだろう、時代時代の瓦も混じってまだら模様になっているのがちょっと離れたところから眺めるよく分かる。

戦乱で焼けた跡は強力な後援者もないまま人々が住み着き奈良町の元になっている。

朱印所の小屋に覆いかぶさるような南京櫨はすっかり葉を落とし、小さくて白い実だけがはっきりと見えた。

得んとせば

奈良町の坂町と知り小六月
奈良町の坂慈しむ小春かな

毎月第一火曜日は定例の吟行。

12月は奈良町の歳晩風景、1月は東大寺・春日大社の新年風景と決まっている。
毎年のことなので句材も尽きるのではないかと思われるが、日付、曜日も違えば、天気も違うわでメンバーが拾い上げてくる句には新しい発見に満ちている。

たしかに、奈良町には坂が多いことをあらためて知ったのも今日のことで、なるほど句材というものは探せば何処でも幾らでも見つかるものなんだろう。
犬も歩けばではないが、兎に角外へ出さえすれば何かに突き当たるということか。これを敷衍すれば行くところすべてに句材があり、出たけど句材が何もなかったというのは単に観察が足りないか、あるいは臨む姿勢が問われていることを自ら晒しているにすぎないのかも。

つかの間の

欠伸する赤子の薄着小六月

立ち話の寒さも忘れるくらいだった。

気がついたらいつもとは違う南風だ。
赤ん坊も驚くくらい薄着だし、少し動けば汗ばむほどだ。

こういう陽気は当然長くは続かないが、それだけにありがたいと思う。

朝採り

裾分けの冬菜の函の抜けそうに

句友から野菜をよく貰う。

今度も白菜、キャベツ、レタスのほか大根、人参、薩摩芋などなど段ボール箱いっぱいに入った冬野菜を何人かで分けた。春には竹の子。退職後も田や畑の仕事だけで相当忙しく、顔もよく日焼けして健康そのものだ。

朝採ったばかりのものなので、段ボール箱の底がしっとり湿って気をつけないと底が抜けそうだ。

これもパノラマ

たくし上ぐ今朝のカーテン初時雨

目覚めの朝は暗かった。

ちょうど時雨が通り過ぎているようで、目と鼻の先の対岸を今にも覆おうとしている。
今日は珍しく北西から南東に向けて時雨が走っていく。ちょうど家の後ろから来て前へ去って行く感じの方向である。普通は西から東へ、盆地を横切るように過ぎていくのをパノラマのように見えるのだが

この冬ははたして何回パノラマを眺められるだろうか。

ほんとの冬到来

凩や幟はためくコンビニ店

景色が急に変わった。

昨夜来の凩が街路樹のハナミズキをすべて吹き払ったらしい。
市街地にまで木枯らしが迷い込むようになった。
今朝の気温は三度まで落ち込んだという。
これに盆地一号の木枯らしが加わって、寒いのなんの。

宇陀や飛鳥の南・高取では霙も降ったと。
一気に冬到来だ。

玻璃戸の向こうに

初霜となって温泉宿の遅発ちと
初霜や送迎バスを暖機して
初霜や送迎バスの定刻に
初霜となつて文遣る朝かな

起きてみたら霜が降りていた。

山深い湯宿なのでガラス窓も凍りつき、庭や露天風呂の周りもうっすらと白い世界。
この分では道路が凍ってるかもしれないし、朝日がすっかり昇って解かしてくれるまでは宿でゆっくりしていたい。

もう一回朝風呂にでも入ろうか。