運転禁止の日

半日の眠り強いられ日短

目が覚めたら辺りはもう真っ暗。

ご飯だよーっと階下から声がかかるが食欲がもうひとつ。
それもそのはずである。
昼食のあと眠くて仕方がないから、家に帰るなりすぐに寝室に上がってしまったのだから。

今日は朝から胃カメラ検査で、睡眠剤で眠らされている間に気がつけばそのままの姿勢でベッドに寝ていた。結果を聞く間もなんとなくぼーっとしていて詳しい話は覚えてないが、「1年以内に命をなくすような兆候は何もありません」という言葉だけが聞こえてきた。
慢性胃炎らしいものがあるので、あとは紹介状を書いてくれたかかりつけ医に相談しろと言われる。
9月頃から胃もたれ感が続き厭な予感がしていたので、ほっとしたことは否めない。
やはり、この夏から踵の痛みで普段飲まない痛み止めを毎朝晩2回飲んでいたのが原因かも知れない。

今日一日は車も自転車も禁止なので、いくらかふらつきながらようやく自宅に辿り着いたら忽ち眠くなってきた。

冬準備

笹鳴や絶滅危惧種保護エリア

柵に沿って笹子が渡って行く。

ここ一画だけ絶滅危惧種の植物があるらしく、柵の中は立入禁止だ。

久しぶりに馬見丘陵公園を歩いてみたが、名残の紅葉が凄惨なほど鮮やかで晩秋から冬への境目にあるようだった。薔薇園がまだまだ健在の一方で、花壇ではチューリップの球根を植える準備に追われており冬準備も急ピッチ。
まだ少し秋の気配をあましながら、あたりは徐々に冬の景へと移ろってゆく。

石光寺の寒牡丹

藁苞を編むも住職寒牡丹

石光寺の寒牡丹が旬を迎えている。

中将姫の曼荼羅で知られる當麻寺近くにあり、最古の石仏、中将姫が蓮の糸を染めたという井戸でも知られるが、やはり花の札所としての顔、なかでも寒牡丹が有名であろう。

寒牡丹と言っても、寒の前の今がピークでさして広くない庭に36種300株が咲いている。
この時期なので霜や北風から守るために藁苞をすっぽり被っている姿には可憐な風情がある。

春の牡丹や芍薬など庭園ところ狭しと花が植えられているが、これらの手入れは住職手ずからのものだそうである。當麻寺に行くならこの石光寺もぜひ足を延ばしてみたい。

フラワーロードを行く

見慣れたる景の一変大黃葉

平群谷の雑木紅葉が今年はいつになく素晴らしい。

平群谷とは、南アルプスと日本アルプスにはさまれ天竜川流域を伊那谷と呼ぶように、生駒山地と矢田丘陵にはさまれた竜田川(実体は平群川と言ったほうが似合う)流域を筆者が勝手に名づけたものだ。
生駒へ用があって車で走らせたとき、左右の山があまりに見事な黃葉だったので、帰途は生駒山地の中腹を貫いているフラワーロードと呼ばれる農道へ遠回りしてもっと間近に見てみることにした。

生駒山地の稜線を見上げるようにして走るドライブは、まるで信州かどこかの山の中を行くような感覚だ。家から10分と行かない場所にこんなにスケールの大きい黄葉の景観が楽しめるとは。

このなまめかしい雑木黄葉はいわゆる冬紅葉ではない。雑木の黄葉とは今が盛りのようである。

ここだけ歳晩

がらり戸にリースの町家はや師走

洒落た町家があった。

見た目は町家だが、なかは建築事務所とある。
おそらく町の景観に溶け込むような意匠にした建築事務所兼自宅なのであろう。
通りに面した部分が車庫、その奥が前庭風、これを和風の格子戸風扉でカバーしている。日常の出入り口となっているのが脇のがらり戸らしい。
がらり戸とその奥はきれいに掃かれていて、住む人の感性を思わせる佇まいだ。

建物も町家風だが、がらり戸の格子にはクリスマス用とも思われるバラのリースが早くもかけられて、まだ師走の街騒が感じられない奈良町にあってここだけは歳晩風景を醸し出している。

廃家となって取り壊される町家も見られるが、旧の風情を残した新しい袋に新しい酒が醸されているのも奈良町の今日である。

歓迎すべきこと

奈良格子奥に小暗き冬座敷

奈良町を歩いていると「奈良格子の家」として公開されている家に出会った。

通りに面した部分は角を荒く削った太い格子によってめぐらされている。
建物との距離は10センチ以上はあろうか。
これは、かつて春日大社の神鹿が神域のみならず街中も徘徊していたので、建物も鹿も保護するのが目的で考案されたものだそうである。

この日は格子の内側の戸が開かれていて、通りから鰻の寝床のように奥行きのある町家の座敷の奥まで見通せるようになっていた。うす暗い三間くらいの続き間の先にははっきりと坪庭が見通せる。

外人観光客数人が訪れていて、このような古い町家にまで外国人が関心を寄せるようになったのに驚く。有名観光地一辺倒のサイトシーイングから地に着いた文化への関心へ。
インバウンド消費もいいが、文化を通しての日本理解が進むこともまた大歓迎である。

元興寺

凩の鰐口なぞる奏かな
萩枯るるままに僧房静まれる

元興寺極楽坊跡を訪れた。

凩ほども冷たくはない風が騒いだかと思うと、堂の正面の軒に吊した鰐口が微かに鳴った。
鰐口というのは神社などにお参りしたときに鳴らすあのジャラジャラである。
綱には長い五色の領巾がついており、これが風にあおられて綱を揺らし鰐口に撫でるような触れたのである。

もう一回聞きたいとしばらく佇んでみたが、音はそれっきりだった。
気を取り直して堂の周囲を見回してみると、大きく広がった萩がまさに枯れようとしている。
そう言えば、ここは萩の寺。
元興寺は元々法興寺(飛鳥寺)から平城京に移築されたもので、堂の瓦には当時のものがまだ使われている。時代を経て何度も修復されたのだろう、時代時代の瓦も混じってまだら模様になっているのがちょっと離れたところから眺めるよく分かる。

戦乱で焼けた跡は強力な後援者もないまま人々が住み着き奈良町の元になっている。

朱印所の小屋に覆いかぶさるような南京櫨はすっかり葉を落とし、小さくて白い実だけがはっきりと見えた。