語り継ぐ桜

初桜この地まで海溢れたと

大阪と並んで奈良にも開花宣言があった。

気象台は佐保川の北の丘にあるので、当町より寒いはずだが、気候には正直なものだ。
来月の吟行予定が佐保川だが、この分では堤防の桜も終わっているかもしれない。
雪柳も散り始めたし、すべての花だって予定より早く開花し始めている。
この分では、虫たちだってタイミングを見逃すかもしれない。
蜂が飛び回る前に花期が終わってはしまっては気の毒だと思うのだが。
それとも、賢い蜂のこと、ちゃんと蜜のある場所を確保するのかもしれない。

東北のある町では、津波到達線に沿って桜を2万本植えるプロジェクトがあると聞いた。
何年もかかる活動だが、これらの特別な桜を介して幾世代にも語り継がれんことを。

陰り

ものの芽を踏みゆくおむつ揺れにけり

全日空のダイヤが大変乱れているという。

そのせいか、先ほど夕刊を取りに外へ出たとき、今まで見たことのないほどの飛行機雲が東西に流れていて、ざっと数えても4本、そして東西を行き交う機影が各一機。さては、搭乗待ちだった便がどっと夕方になって繰り出して、遅れを取り戻そうとしているのではなかろうか。
いずれも高い位置だから近畿発着ではなく九州や四国など遠距離を行き交う便のようだ。
いつもならこの時間帯は大阪空港などに降りると思われる低空を飛ぶ便が、東からひっきりなしに飛んでくるのに、今日は見当たらない。

どこで聞いたか、飛行機雲が見られるのは天気が崩れる予兆だという。
空だけではなく、最近、陸のダイヤも乱れるトラブルが多いように思う。
日本の力に陰りが兆しているような気がして仕方がない。

満開いつ?

標準木あふぎ桜は開花すと

東京は今日開花宣言したようである。

九段の標準木の周りにはいつになく人があふれ、「お待たせしました。開花です。」の声にどっと歓声がわく様子が放映されていた。
週末にまた気温が下がると言うから花期は長いかもしれない。

開花すれば、次は満開便り。
次から次へ楽しみが広がっていく。

主なしとて

立ち退きは残り一軒黄水仙

住宅街の一画に日本料理店があった。

通るたびに、こんなところで商売になるのだろうかと不思議に思っていたが、いきなり取り壊し工事が始まって、あれよあれよいう間に更地になってしまった。
県道とはいっても大型が通行禁止になるくらい道幅が狭く、ここは拡幅工事が予定されているところ。
すでにかなりの家が立ち退いているようで、いずれ店じまいが余儀なくされていたのだろう。

なにもかもなくなった更地だが、玄関脇の植え込みが僅かに形をとどめていて、そこには黄水仙が肩を並べるように咲いていた。

都心から30分の秘境

杉を植う百年のちの児孫へと

葛城山の裏(奈良から見ればだが)は大阪とは思えない自然がよく残されていることをテレビで知った。

900メートル級の山々は急峻な渓谷をうがち、いたるところに滝が見られることから、都会に近い秘境とも言える。関東で言えば、新宿の高層ビルなどが望める高尾山みたいなものであろうか。
頂上が一面芒原である岩湧山は、ヘリからのテレビ中継でよく紹介されるところで、風に揺れる芒野は秋が深まったことをあらためては感じる映像である。
さらにまたここが、屋根材の茅の特産地で、材質が良質であることから全国からの注文が多いということも初めて知った。今でも機械に頼らず手刈りであることが品質のカギだということだが、アクセスの悪い山頂であることときつい傾斜によって機械化が阻まれた副産物と言えるかもしれない。

このほかにも、自生の黒文字に注目して楊枝の産地となったり、百年かけて目の詰まった杉をじっくり育てる林業など、地域の特性を活かした営みが、大阪から電車でわずか30分のところに今も受け継がれているのは驚きでもある。

鳥たちの銀座通り

をりふしに仰ぐ峰々鳥雲に

ここのところ、朝のうちはシルエットがクリアである。

高見山から西に振って二上山に達する山々である。
ところが、気温も上がってくると、さすが奥の八経ヶ岳あたりが霞んで隠れてしまうこともある。
奈良気象台では毎日「視程」を目視で観測しているが、かく言う小生も毎日のように「視程」を観測しておるようなものである。

北へ帰る鳥たちはあの峰々を越えていくのだろうが、同じように南からやって来た鳥たちの通過する山々である。おそらくは中央構造線沿いに行き来するのが最も最短で、かつ安全なのではなかろうかと推測できるがどうだろうか。

また渡っておいで

鴨引きしことを時候の便りかな

いつもの年に比べて早いかもしれない。

もともと飛来した鴨が少なかったのだが、それがまた去ってみるとさらに寂しいものがある。
遠く橋の上から見ていて、姿がよく見えなくても独特な笛が聞こえたりして、寒い時期の戦友のような親しみさえ感じていたのだから。
ここからシベリアへ向かうというのだから、途中の危険も考えれば命がけの旅であるのは間違いない。滞在中に伴侶となった道連れ、家族は頼もしい仲間だろう。無事帰還を祈る。