繕う

とろ舟の余り苗曳く田守かな

植えた苗がうまく根付いているかどうか調べているようだ。

紐の付いたとろ舟に余り苗を乗せ、田の泥の中を曳いている。機械ではうまく植えられなかったり、生育が思わしくないところを植え足しているのであろうか。

住めば都か

別荘地終の栖に薔薇の垣

こんな山奥に人が住むのかというような場所にその別荘地は開けていた。

別荘は大半が閉ざされているが、中にはどうやら定住していると思われる人たちもいるようだ。
先日吟行した室生・深野地区は三重県名張市と接する境にあり、一帯は日本の里百選(朝日新聞)にも選ばれているが、別荘地はそこからさらに山を登って一段と高いところにある。別荘地の名前も「峠」というくらいである。
しかも、町からは相当離れているし、交通の便だって車だけが頼りだが、その道路ときたら狭いうえに峠をいくつも越えていかなければならない。別荘地と言えば那須、清里高原、伊豆高原など観光名所としても名高いイメージがあるが、ここはおよそそのような華やかさからはかけ離れている。

長い期間都会生活に馴染んできたので当地でさえ不便この上ないが、日常の買い物や医療など、このような山に移り住む生活というのはとても我慢できそうもないように思われてくる。

そういう土地でも大変気に入って住んでおられるようで、周りをきれいに掃除され、庭の手入れも行き届いている家が見られた。四季咲きだと思うが、丹精込められたのであろういっぱいの薔薇がフェンスに沿って咲き、広い庭には菜園だろうかご夫婦が精を出して作業しておられる光景が目についた。

熊の好きな実

花房の小さきは山の栗にして

栽培用の栗の花はたいそう立派な花房をつけるものだ。

それに対し、山の雑木に混じって咲いている栗の花がずいぶん小ぶりなのには驚いた。
おそらく実だって丹波栗のような立派なものではなくごく可愛いサイズにしか育たないのではないか。
深い山で熊とか猿などが好んで食べるという山栗の仲間なんだろうと思った。

昼寝を邪魔する

散々に猫いたぶりて夏の蝶

家猫どもの大騒動である。

暑くなったので窓を開け放つ機会が増え、それにつれ猫どもも庭に近くて風の通りがいいところがお気に入りのようである。
昼寝をしているかと思うと、急に起き上がっては視線を右往左往させているのは蝶が舞い込んできたときだ。とりわけ、揚羽蝶のように大型でゆっくり翔ぶのが来ているときは、目が輝いてきて声まであげている。
蝶が窓をかすめようものなら大変である。今にも飛びかからんとするので、網戸が破れてしまうんではないかとハラハラさせられてしまう。
いっとき猫たちを興奮させた蝶が飛び去っていくと、いつのまにか元の場所で昼寝(仮眠?)している兄弟たちである。

秘伝のたれ

鰻屋の垂れを練るとて人寄せず
一徹の鰻の垂れを練りにけり
相伝の鰻の垂れも三代目
鰻の暖簾垂れを守継ぎ三代目

たいそう繁盛しているのに支店を出さない鰻屋がある。

なんでも「垂れ」の調合は一子相伝の秘伝らしく長男にしか受け継がれないため、兄弟や姉妹がたくさんいても暖簾分けをしないのだと言う。
おかげで店は厨房、フロア、通信販売、会計それぞれ兄弟や親戚一同の力で支えられ、結束力も高そうだ。

ただ、ここ数年の「垂れ」はやや濃いように感じて仕方がない。最初は夏だから塩分を濃いめにしているのだろうと思ったが、その後も同様なのでもしかしたら代替わりによって微妙に変化しているとしたら心配だ。
それとも、減塩食に馴染んだ舌のせいで、外で食べるものを濃く感じてしまうだけなのかもしれない。

恬淡と

夏至の日の腕に時計のなかりけり
ノー残業夏至の巷の火照りして
夏至の日や明日より残照惜しまんか
夏至の湯を日のあるうちに立てにけり
夏至の湯に浮かべるもののなかりけり
夏至の湯に白きブリキの船もがな

夏至の日を理由に時計を外したわけでもない。

俳句をやるおかげで、暦、二十四節気、七十二候など季節のものには心動かされることが多くなったが、通勤電車とも無縁だし時刻そのものに左右される機会は明らかに減っている。
外出するとき腕時計なるものを巻かなくなって久しい。必要ならば、どこに行くにも必ず持っているだろうから携帯電話で見ることができる。
第一、この暑さである。皮バンドなどとても不快な代物で、これを金属のものに替えたところで、手首の辺りがジャラジャラしてはかなわない。
この季節、適度に灼けた半袖の腕がむき出しになる。その腕には何もなにも身につけてないし、その手首にも時計の跡すらもない。この季節だからこそ見えるシーンではないだろうか。

歳をとっていいと思うことは、どこに行こうと身につけたり携帯したりするものが少なくて済むことである。その恩恵を最大限に活かさずして何の毎日であろうか。
腕時計にかぎらず、ものに頼らず、名からも己を解き放って恬淡とした日々を過ごすのが願いである。

夢の跡

一と目では墳墓と分かぬ茂かな

奈良盆地は墳墓だらけ。

王陵はもちろん、渡来人含めた大小の豪族の墳墓があまた点在する。
クルマで走っていても、こんもりした形をみると多分古墳だろうと思われる箇所が多いが、あまり解明されてない丘などは夏の木、夏草に覆われて果たして円なのか方なのかさえ見分けがつかないほである。
ほとんどの古墳では埋葬者さえ定かでなく、新しい発見や見解が出されるたび古代史ファンとしてはわくわくする。

古代といえば、最近大阪高槻のほうで、弥生前期の頃の水田の跡と墓が見つかったという。環濠が形成され定住がはじまった頃とされるが、それはまた収穫した作物を収奪しようとする集落の争いの歴史の始まりでもあった。幾度も争い、吸収し吸収される過程でユニットが大きくなり、やがてヤマト政権につながっていったのであろうか。
古墳を見るたびに、あたりに君臨した主を思い、従った民を感じるのである。