露の世や憤怒悲しき持国天
憤怒の眼に悲しみを宿しているような像。
持国天さんは白鳳展に出展された當麻寺のものに限らず、東大寺戒壇院ほかどこのものも憤怒の表情が露わである。
邪鬼がいなければあのような激しい憎悪を浮かべることもないだろうに、いつの世も心配事が絶えないということか。
なかでも、人間はいつも愚かなものである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
露の世や憤怒悲しき持国天
憤怒の眼に悲しみを宿しているような像。
持国天さんは白鳳展に出展された當麻寺のものに限らず、東大寺戒壇院ほかどこのものも憤怒の表情が露わである。
邪鬼がいなければあのような激しい憎悪を浮かべることもないだろうに、いつの世も心配事が絶えないということか。
なかでも、人間はいつも愚かなものである。
放たれて稚魚の身を寄せ放生会
今日9月15日は石清水八幡の石清水祭がある日。
元は旧暦8月15日に行われた放生会で、仏教の殺生戒が神道にも取り入れられ魚や鳥などを自然に放つ行事である。
放生会は全国の八幡神社や寺社でも行われており、その時期も春であったり秋であったりする。
例えば興福寺の放生会は4月に行われ、鯉の稚魚が猿沢池に放される。
ただ、季語としては秋とされ、「石清水祭」が傍題となっているように収穫祭的性格を帯びた八幡行事としてのものをさすようである。
掲句は、放流された稚魚が猿沢池という大きな池にもかかわらず、身を寄せるように一カ所に固まっているさまを描いたもの。
彼岸花立行司には緋の衣装
彼岸花飢餓の記憶は遠くなり
二日連続して金星進上。
白鳳の連敗というのにびっくり。
話変わって、立行司の式守伊之助の衣装が全身緋でこれも秋のものだろうか。
今日も天気がいいので午後から五條の古い町並みをそぞろ歩きに出かけた。
途中、大和川や葛城・金剛山の麓の畦には曼珠沙華が満開。
彼岸花も今の飽食列島では救荒植物としての役割は終わり、もっぱら観賞用、観光用として目を楽しませてくれる存在になってしまった。
それもまたよきかなと思う。
水煙の天女舞ひ降り古都秋天
秋天下十二飛天の翻り
白鳳展は仏像以外の展示もある。
その白眉は現在解体工事中の薬師寺東塔の水煙であろう。
雲、飛天とその天衣を透かし彫りした四面に緑青がみごとに浮いている様も間近に見ることができた。工事が終わればまた100年あるいはそれ以上はこんなに身近に見るチャンスは巡ってこないと思うとよけいしみじみと眺め入るのだった。
外来種混じりて咲ける千種かな
外来種混じり咲くのも秋千種
草野からにょっきり可愛い萩が顔を出している。
よく見ると、盗人萩だ。例の三角形の種が服についてなかなか取れないしつこい奴だ。
季題「秋草」には相応しくない花だが、今や在来種だけの野原なんておそらく全国見つけるのは困難だろう。
「千草」は「色草」同様「秋草」の傍題で、四文字を下に用いるため「秋千種」として5文字に納めたもの。
このように、傍題をうまく組み合わせるのも字数調整する場合の便法だ。
補)添削が入り、シンプルで理屈っぽさが無くなりました。
露けしや頭部欠けたる白鳳仏
盗難の模造仏の秋思かな
久しぶりにいい天気。
秋空のもと、白鳳時代の仏さんを中心とした「白鳳展」に行ってきた。
人皆考えることは同じで、混雑するんではないかと思っていたら意外に空いている。
おかげで一点一点じっくり見学できたのには助かった。
もっとも印象的だったのは、法隆寺の夢違観音がごく間近にみられたこと。まさかこんな貴重な宝を、手を伸ばせば届くような距離に無防備に展示しているとは。ほかにも有名な仏像が数多く出展されていて、どれもがその息づかいが感じられるほど近い。
仏教伝来以来100年、一斉に花開いた白鳳文化の粋を集めたこの展示は文句なしに素晴らしい。
陸(おか)からの救助断たれて秋出水
4年前の光景がフラッシュバックした。
家人に知らされてテレビのスウィッチを入れたら、鬼怒川決壊の空からの生々しい映像を伝えている。
鬼怒川が利根川に合流する手前で、あたり一帯が水没している。
当地でも昭和57年に王寺駅一帯が水害に見舞われたことがあり、その原因も大和川の勢いがまさって流入がせき止められた支流から溢れたものだった。
午前中のニュースを聞いていてそんな話を思い出して、同じようなことが起こるのではないかと心配していたら果たしてその予感が当たってしまった。
利根川と言えば、いつもの散歩コースにしているキヨノリ君の方で被害がなければいいんだが。