小流れのほとり添へたる薄紅葉
竹林園の小流れに沿ってイロハモミジがうっすらと紅葉している。
流れにかけた石橋を覆うような一本もあり、橋の下を流れる水面をも彩るのだった。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
小流れのほとり添へたる薄紅葉
竹林園の小流れに沿ってイロハモミジがうっすらと紅葉している。
流れにかけた石橋を覆うような一本もあり、橋の下を流れる水面をも彩るのだった。
街灯の届かぬ路地の虫浄土
涼夜である。
この住宅地はまだ空き地もあって、雑草も茂っているせいか、窓を開けたまま電気を消して目をつむっているといろいろな虫の声が聞こえてくる。たいがいはコオロギだろうが、馬追やキリギリスも。さすがに鈴虫、松虫は聞かれないが、夜気がもう十分涼しいのでこれら普通の虫の声だけで十分浄土に身を置いているような錯覚にとらわれる。
その浄土の中でいい句が授からないか、苦吟している時間は苦行とは感じないのである。
陵はねむり木の実を太らしむ
天武・持統天皇陵へのアプローチは畑である。
陵はこんもりした丘の上にあって、周囲を見渡しても同じような景色が広がっているだけの何の変哲もないような場所だ。周りには住宅が数戸だけという、本格的な中央政権を打ち立てたひとたちの陵にしてはすこぶる地味な感じである。
アプローチの両サイドには柿が青々として、斜面には大きな栗の木があり青い毬がもう随分大きくなってきている。
あと一月くらいすれば、秋の色に染まって幾らか彩りをますのだろうか。
お百度を踏むも巡るも今日の露
朝起きて初露かと思ったが、雨の跡だった。
ただ、そろそろ露が降りてもおかしくない時期だ。折からの長期予報では、来月上旬は気温も低いらしい。秋雨前線が居座っているあいだは露は見られないだろうが、そのうち一面の露景色に驚く朝もあろう。
露というのは歌にしても句にしても、題材として古今より数多く詠まれてきたものであり、想像もかきたてられるものがある。掲句にしても、もとより信心こころの薄い自分でも一応形にはして見せられるだろう。
ただ、それが詩心あふれ文学性が高いかどうかは全く別物ではある。
この秋は、何度か「露」にチャレンジしてみようと思う。
孕み穂のたちまち開き稲の花
稲の花の開花時間というのはごく短いそうである。
目に見える白い花のようなものは、たいがいは受精が終わったあと籾が閉じている状態で、雄しべが取り残された状態のことが多いという。
とは言え、数日かけて先端から開いていくので、うまくすると開花状態の稲を見ることができるかもしれない。
毎年のように異常高温が続いたり、今年などはカメムシが大発生するなど農家にとって障害は多いが、開花からしばらくの間の生育次第によって出来不出来が決まると言うから、一番の勝負時ということになる。
二上の裾野めぐらし葡萄棚
意外だが大阪は葡萄の産地である。
生駒山地系の南部の柏原から、金剛山地系の羽曳野方面にかけて、山の裾野には見事な葡萄棚が広がっており、早いものでは7月から出荷している。
とくに、竹内街道越えの道をたどり大阪に出る二上の裾野あたりから王陵の谷とよばれる一帯は、道路の至る所で直売もあってここが葡萄の産地であることを実感できる。
盆礼の口上教へられしまま
小さい頃、と言っても小学生高学年の頃だが、たまに一人で親戚に行かされることがあった。
大阪の北の方からバスに乗って九条新道まで。さいわい乗り継ぎはなく途中天満橋などを通って一本だったような記憶がある。
親から挨拶はこう言うんだよと言い含められ、盆暮れの中元や歳暮を持たされることもあった。商売をしているせいか、比較的口やかましい親戚だったので、そう言うときはちょっと緊張などもした。
この親戚はやはり熊野の出だったので、いなかの慣らい通り中元と言えば素麺とか砂糖とかが多かったように思う。子供にとってはそれなりの重さはあったのだろうか。今となっては記憶も遠い。
この親戚とは、いまでは代が変わったりして疎遠になってしまった。