新樹光を浴ぶ

滝口の上の青空大いなる

今日は東吉野への吟行。

天気はまたとない5月の天気。
20メートルほどの高さから一本となって滝が落ちてくる。滝壺の上空は空がぬけて雲一つない真っ青な青空が透けて見える。水流は豊かで清らか、河鹿もときどき聞こえてきて吉野川源流は新樹の光に満ちていた。

国つ神のシンボル

両の杖突いて参道冴返る

二の鳥居をくぐった途端冷気が体を包む。

やはり鬱蒼とした神域の森の中に入ると自ずから霊気にみちた厳かな空気に包まれる。
鳥居からは緩い上り坂になっていて、近所の氏子らしき参拝客が絶え間なく拝殿にむかっていく。中にはもう足腰も覚束なくて2本の杖の助けがないと参拝もできないという高齢の信者もいて、ほんとにゆっくりゆっくり休み休みのぼっておられる。
こういうお姿を拝見すると、三輪さんが庶民の間に広く慕われていて今でも多くの人に信心されているのがよく分かるのである。お伊勢さん、あるいは同じ県内の春日さん、橿原神宮ではこうはいかないだろう。

やはり自然神の代表選手なのである。

大展望

三山を浮かべ大和の棚霞

今日は大神神社界隈の吟行。

朝は久しぶりに零度を割る寒さ。まさに「冴返る」がふさわしい日和かと思われた。
たしかに、その通りに気温もあまり上がらず二の鳥居をくぐって鬱蒼とした参道に入ると余寒が厳しい。
ただ、境内をぬけて国見の丘にのぼる頃にはいい具合に体も温まり、馬酔木の鈴、笹鳴きに初音や囀り、紅白の梅、犬ふぐり、至る所に句材だらけ。展望台に立つと今度は大和平野の大展望。金剛・葛城の裾は遠霞で稜線だけが浮いて見える。二上などは辛うじて双峰が望めるほどに霞だっている。手前の大和三山もぼんやり浮かんでいるように見える。

鰯の頭

柊を挿す家の札の篆書かな

戒壇堂近く、旧家とおぼしき家の立派な門に柊が吊られている。

鰯の頭こそ無いが今日はまさしく節分。
表札は真新しく篆書体で書かれているようで、下は「野」と読めたが上の字がどうしても読めない。

大仏殿まで行ったところでタイムアップ。後で聞いたが、二月堂に行けば節分会があったらしい。

後日談)漢和辞典「字源」をアマゾンで購入。旧仮名遣いだけど、よくできてる辞典です。家人の書道用にと買ったものですが、漢和辞典というのはほとんど使ったことがないので(部首索引とか苦手なんです)、辞典は古くてもなんだか新鮮な感じです。
それでも、隷書体はやっぱり読めません。

すこやけく

受付のテント真白し七五三

週末を前に祈祷受付テントの準備も整った。

純白のテントは清淨で厳粛な神社に相応しい。折り畳み椅子も並べられて、祈祷を受けに来るひとたちが多いことがしのばれる。
テントを間近に見てみると、昨夜の降り残しなのか、朝露の名残なのか、しっとり濡れていて境内のしめやかさが増すかのようである。