男神らしさ

小春日の千木金色に布留の杜

石上神社はあまりにも由緒が古くて分からないことが多い。

かつて神社のあった辺りは武を司る物部氏の領地で、物部宗家が滅びたあとの大和政権時代の武器庫でもあったと言われている。本殿もかつてはなく神池を祀っていたというから相当古い神社であることは間違いない。
国宝の本殿の千木などはいかにも男子の神を祀っているという無骨なほどの感じがする。
千木や鰹木の両端は金箔でも施されているのだろうか、小春の太陽を浴びて眩しい。

留守番の鶏

宮鶏の声おほどかに神の留守

今日は石上神宮吟行。

乗り換えに行き違いがあってスタートからして大遅刻。30分足らずの吟行ではとてもじゃないが満足行くものが詠めるはずがない。
救いは、鳥居をくぐるとおびただしい神鶏たちが目につくことだった。どれも美しい鶏たちだったが、とりわけ東天紅という種類だろうか、尾の長くて砂地を引きずりそうな鶏が優美に何度も自慢の喉を聞かせてくれる。宝剣の七支刀が県立美術館に貸し出し中のうえ、主神以下全員出雲にお出かけの神無月、しかもこれぞ小春という日だからだろうか、みなのんびりと境内を行き来しながら、ひなたぼっこを楽しんでいるようかのようである。

当日の句会はさすがにこの神の鶏を詠んだ佳句が多い。多すぎて、どれを採っていいやら判断にも困ってしまうほどであった。

醉い醒めて

酔芙蓉紅の初めを手かざしに
酔芙蓉よべの名残を玉に巻き

再び酔芙蓉である。
八重咲の酔芙蓉
花のピークは9月中旬から10月初めころだろうか。彼岸花と重なるようだが、それよりは花の期間が長いようだ。

朝のうちはそれとは分かりにくいが、さすがに昼頃になると花弁のうらなど目立たない部分がうっすら紅をさしたようになっていて、醉いが回り始めていることが分かる。
花弁の裏から酔い始めた酔芙蓉
一日花と言われるがすぐに落花してしまうわけではないので、翌日はその名残も楽しむことができる。終わったものは花弁をねじるように巻き付け、最後は玉を結ぶように巻いてしまい、落ちるときのポトッという感じが椿の落花に似ているところだ。
名残の酔芙蓉

里の秋

竹林の高みに鵙の標を宣る

秋が来たんだとしみじみ思った。

稲淵の棚田を歩いていたら、突然鵙が鳴きだしたのだ。飛鳥川の縁にかかる竹林の一番高いところに止まって、高々と縄張り宣言しているようだ。
鵙の声というのは、ドラマでもそうだが里の秋を表現するには一番効果的のように思う。

鵙はひとしきり鳴いて、また縄張りのどこかに飛び去った。

独学の限界

藪騒の葉擦したがへ法師蟬

藪騒。やぶさいと読む。

俳句独特の用語らしく広辞苑にも掲載はない。
ちょうど「潮騒」で風や波が島の海岸や海辺の町を騒がせるのと同じように、竹林が風に揺れてサワサワしている様を言うようです。吟行時に教わったことです。
例として、

百幹の竹の春なる藪騒に(作者不詳)

「百幹」という言葉も初めて知りました。

で、さっそく使ってみたわけですが、やはり吟行や句会のいいところは先達の思いもよらない表現に刺激を受けることです。

なにごとも独学には限界があるのだろうと思います。特別な才能も備わってない身には。

竹の里で

小流れにかすかに揺るる白睡蓮

今月の吟行は6月にも行ったことのある生駒市の高山竹林園。

丘の斜面にもうけられた園には流れがしつらえられており、ところどころ流れをとめて池となっている。池には蜷がびっしり這っていたりして、季節には蛍が飛び交うのではないかとも思われる。
狭い池にはポツポツと睡蓮も咲いていて、開ききった花がその下を流れる水によってかすかに揺れていたりする。