大修理終へし伽藍や風薫る
まさに堂々たる金堂である。
エンタシスの柱は接ぎ跡だらけだが、少しも古さを感じさせず、どっしりとした安定感は少しも損なわれることはない。
大修理というと、新しい姫路城が真っ白にお化粧直しされたように、ときに部材の新しさが目立ったりするものだが、ここ唐招提寺ではあたかも1,300年前のものがそのまま古びてそこにあるという印象だ。
まことに戒律道場に相応しい佇まいは大変好ましく思える。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
大修理終へし伽藍や風薫る
まさに堂々たる金堂である。
エンタシスの柱は接ぎ跡だらけだが、少しも古さを感じさせず、どっしりとした安定感は少しも損なわれることはない。
大修理というと、新しい姫路城が真っ白にお化粧直しされたように、ときに部材の新しさが目立ったりするものだが、ここ唐招提寺ではあたかも1,300年前のものがそのまま古びてそこにあるという印象だ。
まことに戒律道場に相応しい佇まいは大変好ましく思える。
身代わりの像の尊し青葉風
開山堂青葉映せる玻璃戸かな
今日6月6日は鑑真忌。
唐招提寺では「開山忌舎利会」と称して和上が請来した舎利を奉り、和上の徳を偲ぶ法要が営まれる。
この期間は3日間ほど国宝の鑑真和上像が公開されるが、普段は昨年完成した身代わり像を開山堂で拝顔することができる。
今年は句会があった日の翌日から特別公開だったようで、一日違いで残念なことであった。ただ、身代わり像は本物そっくりに模して造られており、袈裟の緋もいまだ鮮やかにのこっているのは驚きだった。開山堂ではガラス戸の向こうに全体がよく見えるようにお座りになっておられ、そのガラス戸には偏光フィルムを貼ってあるようで、外の眩しい光にもかかわらずクリアに見える。
供華台に位置定まりて花菖蒲
唐招提寺では、僧を除く職員のことをことさら特別な職名で呼ぶことはないそうである。
例えば、東大寺では二月堂修二会における童子などあるが、そういうことは一切ない。
このことは作句する場合にはちと厄介で、単なる「寺男」では勅願時レベルの大寺には何となく不向きだし、誰それがどうした、という類いの句は作りにくいかなと思う。
例えば、掲句だが、これは「唐招提寺」と染め抜いた法被を着た年かさの職員が、若い職員に指示しながら供華台に乗せる花瓶の位置や向きを細かに指示している様子をみたものだが、それをそのまま17文字に閉じこめるのはかなり窮屈になる。
一方で、各お堂への供花を準備しているのは作務衣を着た学僧、作務僧だったので、
作務僧の供華に切り詰む花菖蒲
と誰それがどうしたという風には詠むことはできる。
前者の場合こそ作句力が試されるケースだと言えようか。
一ㇳ筆の右往左往の蜷の道
秒速のミリにとどかず蜷の道
その歩みおほどかなりし蜷の道
来し方のかばかり著し蜷の道
その先へまだ伸びてをり蜷の道
蜷の道殻のわずかに震へつつ
先頭のわずかに震へ蜷の道
踏み固めらるることなく蜷の道
幾山を越えるにあらず蜷の道
塗り替へてまた塗り替へて蜷の道
朝にはまた新らしき蜷の道
道の上にそのまた上に蜷の道
へしあひて消し合ひ勝り蜷の道
今月の吟行句会は西の京。
近鉄西の京駅で降りるとさっそく紅萩に迎えられ、右に薬師寺に向かうグループ、左へ唐招提寺グループとめいめい好きなロケーションを選ぶ。
薬師寺を訪れた回数に比べ圧倒的に少ない唐招提寺に向かうことにした。緑も深く涼しかろうという下心もあったのだが、目論見はみごとにあたり、国宝の青葉若葉の盧舎那仏、十一面の千手観音さまに手を合わせたのち三々五々境内に散る。
句材は至る所にあり、掲句の田螺もその一つ。同じ池にはカワニナも点々としているし泥鰌もくねる。はっきりとそれと分かる杜若もあれば、花菖蒲、黄菖蒲、。。。。鑑真御廟の前庭の苔の花、池には牛蛙が鳴き、和上の故郷・揚州から送られた名花「瓊花(けいか)」の青葉。一歩お堂に入れば薫風が駆け抜け涼しいこと限りなし。
例によって出来は今一歩。時間をかけて醸成できればよしとしよう。
尋めて来し長谷の牡丹の裏切らず(とめてこしはせのぼたんのうらぎらず)牡丹のいづれ秀ととも言ひがたく(ぼうたんのいづれほとともいいがたく)一年を五ヶ日のために牡丹守
参道まで牡丹溢るる長谷の山
参道の鉢にも酔ひて牡丹寺
ようやく牡丹を句にすることができた。
花そのものを詠むというのはもともと苦手だが、やはり半日吟行に行ったのだから何とかものにしたいものだし、見たもの感じたものというのは一体何だったのか、一旦自分を突き放して思い起こしてみると見えてくるものがあるのではないか。そんなことから家に帰ってからも思考を巡らせてみて思ったことは、「たとえ即興で成らずとも、時間をかけて自分の言葉を探り当てる努力を惜しまないことが成句につながる」という、当たり前のことなんだが、意外に忘れがちなことでもある。
ところで、このように作句してみると、あれこれの思いを五七五におさめ発散させるには、やはり文語体に限ると思う。古典をもっと学ばねば。
老鶯の指呼の間とても舞ひ出らず
指呼の間の老鶯つひにまみゑえず
隠国の谷は深い。
先ほどから、長谷寺に対座するかたちになる寺領・与喜山から、鶯の声が引きも切らず谺するように聞こえてくる。近寄ってみようと、本山と与喜山の間を流れる初瀬川を渡って、見上げるような山の威容を前にすると、鶯の声はさらに大きく響く。すぐそこにいるはずなので、じっと目をこらすがなかなか姿は捉えられない。
鶯を諦めて、本居宣長が訪れたときあったという「玉鬘庵」跡が近いので行ってみると、そこは竹林になり果てて、ときどきの風にのって竹の葉が流れていくだけである。
玉鬘庵跡すさび竹の秋
胸つきの回廊すがし若葉風
長谷寺本堂へ行くには、大門から入ってすぐに登廊をたどることになる。
その両側に牡丹園が広がるわけだが、長い直線をしばらく登ると今度は各一回ずつ右に折れ左に折れして本堂に近づくことになる。その最後の廊ともなるとこの時期うっすらと汗ばんでくるほどである。まさに「薄暑」という言葉がぴったりする感じだが、そういうときに廊を横切るように風が吹いてくるとほっとする。
上へ行くほど視界が開けているので、見渡せば左右はいつの間にか若楓。本堂の舞台に登れば山全体が見渡せて新緑の中に堂宇の瓦がきらめくようにまぶしい。
もし、長谷寺に行くならこの時期が一番のお奨めになる。