掃くのが日課

沙羅落花朝な夕なの往き帰り

玄関の姫沙羅がまだ咲き続けている。

姫沙羅というのは一般の沙羅とはちがって一日花でもなく花も小さいが、数多く芽をつけて咲くようである。どちらかといえば地味な花で、花よりもむしろ幹の肌の色、滑らかさを愛でる木であるらしい。
いっぽう旧居では沙羅だったので、椿のような花が咲いてはすぐにぽろぽろ落ちて、玄関から道路にこぼれたりするのを眺めては毎日出勤し、帰宅したものである。

建前に振り回される

リクルートスーツ行き交ひ黒き夏

オワハラとか言うへんてこな言葉が喧伝されている。

表向きは今日の八月一日解禁のはずが実際には早くから内々定なるものが出されていて、学生を確保したい企業が別の企業を受けることを妨害するための言質をとろうとする行為である。
八月解禁というのは、学生の本分たる勉学に割く時間を確保するのが第一義であったのが、それがためにかえって学生を苦しめているという皮肉な結果を生んでいるわけだ。
どこよりも優秀な学生を確保しようとする企業の本音は時代が変わろうと不変で、就職協定というのは守られた試しがない申し合わせである。

こうして、建前に振り回された学生が酷暑の中を黒いスーツとネクタイに身を包んでビジネス街を行き交う始末となったのはなんとも気の毒である。

潮水で洗うだけ

業物は手包丁なり沖膾

夏休みに訪れた友人の親戚は漁師だった。

あさから舟を出しボート遊びに興じていたが、やがてそれにも飽きた友人は海に飛び込んだ。戻ってきた手には鮑が載っており、さっそく手でさばいたと見るとそれを海水で洗いそのまま口に運ぶ。お前も喰えとばかり囓りかけの鮑をもらったが、醤油も山葵もなにもつけない身は潮水との絶妙なマッチングで、こんな旨いものが世にあることを初めて知った。
以来、寿司屋に行けば鮑は必ず頼むが、さらにその腸がまた格別旨いものだと言うことも大人になって知った。
ただ、食い過ぎるのは尿酸値にはよくないと聞いてからもう随分長い間遠ざかっているのはちょっと寂しい気がしないでもない。

暑い花

百日紅軌道電車の百年に

百日紅と暑さとは切り離せないイメージがある。

3か月近くにわたって咲き続けるこの花の時期は、ちょうど暑さのピーク時とも重なるうえ、花の期間には葉がないので花がよけい燃えるように見えることもあいまって、まさに真夏の花の代表であろう。
公園などへ行くと高さが10メートルほどもあるような大木を見かけることがあるが、たいていはせいぜい3〜5メートル程度になるように手入れされている。とはいえ、この花を楽しむのはたいていは下からの眺めである。花の間からは灼けた青い空が広がるのが見え、じりじりと焼け付くような太陽ものぞかせて一層暑さを実感させる。

路面電車が一世紀にわたって走ってきた街、広島に間もなくあの日がやってくる。

涼み将棋

裳の裾の虫を扇子で払ひけり

机を整理していたら古い扇子が出てきた。

そういえば、扇子を使わなくなってずいぶん久しいように思う。ビジネスバッグもしまい込んだままで使われることはなくなったが、その中にも古い扇子が入っているはずだ。
探せばもっと出てくるだろう。
普通の生活では、家の中では団扇を使うことはあっても扇子を使うことはないだろう。扇風機が随分安くなったせいか一部屋に一台はあるのでその団扇だって使うことは稀で、庭でバーベキューするとき火おこしに使うくらいか。

蚊を追いながら涼み将棋を楽しんでる図を想像した。

至福の時間

托鉢の濁世の塵や髪洗ふ

雲水姿をしていても髪を洗うのだろうか。

網代笠の下はおそらく丸坊主で髪と言うよりは頭皮を洗うのだろうが、一日の托鉢を終えて宿坊に帰り着き、夜の修行が終わって一日の汗を流す時間が至福の功徳をいただく時間なのではないだろうかと想像してみる。

ちょっと動いただけでやれシャワーだ、ビールだと大騒ぎするのは凡俗の輩。
大した欲とてもうないのだし、それくらいは許されても言いように思うがどうだろう。

沸騰

冷房す我慢の限度ここまでと

ちょっと動いただけで汗が吹き出す。

一年で一番暑い時期というのは頭で理解していても、体が段々言うことを聞かなくなってきたらしい。おまけに、普通ならこの暑さはお盆の頃にはピークを過ぎるからもう少しと頑張れたのが、ここ最近もう何年もそんな経験則は通じないから、あと一月以上こんな暑さが続くと思うと気力的にもついて行けなくなる。

熱中症予防をと、今日は午後から早々とエアコンをいれた。
ただ、涼しいことをいいことに超上級レベルの数独にとりかかったら、たちまち脳みそが沸騰してしまうのだった。