レンタサイクル

自転車で巡る斑鳩柿若葉
柿若葉世界遺産の後背地

法隆寺自体には柿はないが、斑鳩の里を歩けば無花果や葡萄、柿の畑が多い。

ここの無花果の実のことは以前にも触れたが、この時期はばっさりと剪定した太い幹から若い枝が2,30センチほど伸びたばかりで、これで本当に実が成るのか不思議な光景だ。葡萄はまだ花は咲かないが、着実に花芽がのびて蕾を充実させつつある頃。

法起寺の国宝・三重塔

柿はと言えばご存じ柿若葉の候。花芽もすっかり形がわかるほどに成長しつつある。法輪寺や法起寺の裏手の丘は葉に照る光がまぶしくて、国宝の木造の塔とは好対照である。
飛鳥もそうだが、駅からはちょっと距離があり、各お寺も互いに離れているので、斑鳩はレンタルサイクルで巡るのに最適かもしれない。何より飛鳥に比べてフラットなのがいい。さらに足を伸ばせば茶道石洲派の祖・片桐石洲が作った名庭園「慈光院」にも近いし。

マイナスイオン

水分りの奥社はつかの河鹿かな
十尋の滝まっしぐら岩洗ふ
万緑や千年杉の神さびて

東吉野村の白馬水分神社奥に「投石(なげし)の滝」がある。

東吉野村・投石の滝

高さはおよそ20メートル弱といったところか。すぐそばまで行けるので、滝口から一気に滝壺に落ちてくるさまをあおぎみることができる。滝壺には樹齢千年の神杉が周囲の青葉若葉をしたがえてそびえている。
滝壺から流れる清流のどこかでは、河鹿がいるらしく鳥の囀りに混じってかすかにコロコロと鳴くのが聞こえてくる。

あふれるマイナスイオンを胸一杯吸い込んだせいか、頭もすっきり。これでいい句が授かれば言うことなしなんだが。

新樹光を浴ぶ

滝口の上の青空大いなる

今日は東吉野への吟行。

天気はまたとない5月の天気。
20メートルほどの高さから一本となって滝が落ちてくる。滝壺の上空は空がぬけて雲一つない真っ青な青空が透けて見える。水流は豊かで清らか、河鹿もときどき聞こえてきて吉野川源流は新樹の光に満ちていた。

対馬海流に乗って

対馬逐ひ隠岐ををひたる飛魚(あご)の皿

米子沖にはもう到達したのだろうか。

飛び魚は初夏から夏にかけて南から日本海流、対馬海流に沿って北上するらしいので、米子の友人・H君が今日食べたというアゴのカツカレーは旬のものだったにちがいない。飛び魚といえば、クサヤなど干物のイメージが強いが、生をすりつぶしてカツカレーにしたものとは一体どんな味がするのだろうか。
昔、塩焼きを食ったという記憶がおぼろにある。旬で新鮮なものならば刺身でもいけるのではないか。掲句はそんな期待から、対馬海流にのって日本海に顔を出した「飛魚の皿」をイメージしたもの。

虫にも負けず

胡瓜苗植えてよりのち憂ひあり

ゴールデンウィーク中はホームセンターの野菜苗、花苗コーナーが大賑わい。

胡瓜やシシトウガラシ、今年初めて満願寺唐辛子を買ってきて、さっそく庭やプランターに植えた。
瓜系は苗のとき瓜葉虫にやられやすいので、場合によっては虫除けの覆いが必要になるので毎日観察をおこたってはいけない。
収穫は楽しいものだが、それまでは虫の他に病気や天気にも気を配り、草取り、蔓の引結、水やり等々やるべきことは多い。素人菜園だから失敗してもどうということはないが、やるからには何とかちゃんと実がなるようにはしたいものだ。

竹の里で

小流れにかすかに揺るる白睡蓮

今月の吟行は6月にも行ったことのある生駒市の高山竹林園。

丘の斜面にもうけられた園には流れがしつらえられており、ところどころ流れをとめて池となっている。池には蜷がびっしり這っていたりして、季節には蛍が飛び交うのではないかとも思われる。
狭い池にはポツポツと睡蓮も咲いていて、開ききった花がその下を流れる水によってかすかに揺れていたりする。

数奇な

立退の決まりし垣の灸花

なんと可愛い花なんだろう。

ただ、その名を聞くだに目をそむけたくなるのが気の毒である。
「へくそかづら」。
枝や葉をさわると臭いからといって名付けられたそうだが、そういう性格だろうか、荒れ地に生いるイメージがあって俳徒からは数奇な目で見られる季題である。

平群町へ抜ける県道をよく使うのだが、大型は通行禁止の道路で両側には古い住宅地が迫っていて大変狭い。そのわりに交通量が多いので、随分長い時間をかけて拡幅される計画があるようで、ところどころ廃屋のまま、あるいは更地になったままで立ち退きを待つばかりの風情である。
そんな一区画の垣に白い花に紅い紅をさしたような灸花が垂れていたのであった。