猛暑日

夕虹の立って飛鳥の明日は晴れ

夕方ふと窓の外を見ると、飛鳥の辺りに小さな虹が立っているのが見えた。

朝虹が立てば雨、夕虹が立てば晴れだと言われる。
果たしてその今日晴れに晴れて、そのうえに今年一番の暑さだという。
全国でも猛暑日となった地点が200くらいあるとかで、明日もなかなか油断できないらしい。

朝から水を一杯飲んで乗り切らなくちゃ。

六尺ふんどし

水練の海へ全校汽車に乗り

伊勢の小学校に3年生から5年生までいた。

この学校は市内でも最も古く、駅前の市外に位置するためかプールもなかった。
そこで、夏になると全校で参宮線に乗り二見の海岸まで行くのが恒例だった。
男子全員は赤いキャップをかぶり、白い六尺ふんどしを締めるのが何となくきまりが悪かったが、まさに水練の出で立ちである。

その前の学校は大阪で小さなプールはあったが、一学期が終わって二学期に転校していたので、ろくに泳ぎを覚えないまま3年生の夏を迎えたのである。
言ってみれば、本格的に泳ぎを練習したのがこの二見の海が初めてのようなもので、沖へ向かわないよう海岸と平行して泳ぐ練習をするわけだけど、手足をバタバタするだけでちっとも前に進まない。すると先生の手がするっと伸びてきてふんどしの腰の結びの部分をひょいと持ち上げてくれて指導に当たってくれる。
こういうときは六尺ふんどしというのは大変便利なもので、溺れかかった子でもひょいと拾える。今なら、海パンの上に腰巻きを巻いたようなものだろうか。

そうこうして、5年生にはまた夏休みに転校するのだが、転校先はあの荒波の洗う熊野である。児童の10%以上は漁師の子たちだから、海ではとても一緒には遊んでもらえない。
とうとう泳ぎができないまま、今度は中一の夏には津へ転校となった。

結局、泳ぎを覚えたのは大人になってからで、プールの水泳教室に何年か通い一通り形にはなった。
その後立派な市営プールができたというので、一時は一日1キロ泳ぐのを目標にするまでにはなったが、当地では公営プールが少なく、あってもすこぶる遠くて入場料も高くとても週に何回も通えない。
このあたり、海のない県だからもっと充実してくれたらいいのにと願わずにはいられない。

雲の峰いくつ崩れて月の山

雪渓の痩せて木石積み上ぐる

山は、登りが苦手が分あこがれの的だ。

だから、せめて山の番組をテレビで楽しむだけなのだが、とくに深田久弥の名著「日本百名山」を登る衛星放送はビデオにも撮っては時間があるときじっくり楽しませてもらっている。
よくもまあこんな恐いところをゆくもんだというシーンにはハラハラさせられるが、それを乗り越えての山頂ビューなどを見ると山男の気持ちも分かったような気分になるから不思議だ。

夏にも雪が残る月山に一泊したというが、当時の芭蕉一行は今の時代に比べると無防備に近い旅装だったはずで、そんなところにも死を覚悟して巡った旅だと知れてくる。

「登山」は夏の季語。
この夏の山の事故の少なからんことを祈る。

新しい命

裾分けの棘に驚く胡瓜かな

毎朝3本から5本ほどの胡瓜が成る。

菜園の収穫は今がピーク。
さすがに老夫婦だけでは食べきれず、お隣の若い所帯にお裾分けとなる。
畑からそのままなので、棘がつんつんと手のひらを刺激する。
しばらくは、その棘を話題にしての雑談が始まる。

そのお隣には来月新しい命が生まれる。

因習の呪縛

朝曇意を決したる第一歩

朝から風もなくどよーんとした薄曇り。

こうした日はいやな予感がする。「日照りの朝曇り」だ。
何をなすにもちょっとした気合いが必要で、思い切って踏み出す決心がないと乗り切れないのである。

就活に忙しい学生諸君はなおさら気の毒だ。普段着慣れぬリクルートスーツの呪縛から逃れきれず、おいそれとクールビズでとはいかないようだ。就職活動の解禁日をルール化するのはいいが、かえって学生を苦しめてはいまいか。

耳を涼しく

短冊の風にくるくる風鈴市

川崎大師の風鈴市が有名らしい。

厄除けともなるだるま風鈴などはいかにも大師さんらしい。
当地でもバラのお寺として知られる「おふさ観音」で近年風鈴まつりが開かれていて、これは7,8月の二ヶ月にわたって厄除け参拝客向けに聞かせるものだ。

雨が続いている頃は足が遠のいていたが、梅雨明けとなれば一度は2,500個の風鈴が一斉に鳴るさまを見に行かずばなるまい。

心地よい場所

傍らに猫の寝てをり昼寝覚

居間の温度は32度。

文字通り梅雨明けとあって、暑さは厳しい。
さいわい、湿度は低く風もいくらかあるので日中一番暑い時間帯は畳の上で昼寝だ。

目が覚めたら黒猫「響」が窓際に一文字になって寝ており、全然起きるふうはない。
猫はしのぎやすい場所をよく知っていると見える。