柚子の花言葉

棘あるを忘るるほどに柚子の花

柚子の木が今花の盛りである。

一つ一つは小さくてかわいいのだが、これが年数を経た木となると白い花が木全体を覆うように咲く。
可憐な花に比べて不釣り合いなほど強情なのが枝の棘だ。
葉の陰などに隠れて見えないこともあるのでご用心。

柚子の花言葉は「健康美」だそうだ。
日本の味には欠かせない食材であると同時に、柚湯として用いられるなど薬用効果も捨てがたい。

雨を待つのは

隠れてるつもりの葉陰雨蛙

雨蛙というのは周囲に合わせて体の色を変えるとか。

ここ2,3日、シンビジュームの葉に葉の色そっくりな雨蛙がじっと動かないでいる。
シンビジュームには2日に一度くらいのわりで水をやっているので、居心地がいいのだろう。
家の周りには池や田はおろか水のある場所はないので一体どうやってきたのか不思議でならないが、せっかくの客人である。明日はまたたっぷり水をプレゼントしてやろうと思う。そしたら歓喜の鳴き声を聞かせてくれるかもしれない。

対面販売

集落の産直小屋や莢豌豆

集落の アンテナショップ 莢豌豆

飛鳥の稲渕集落の入り口では地元野菜が並べられていた。

店番のご婦人と集落のあれこれの情報を仕入れつつ、一袋豌豆200円、莢豌豆200円、こごみ150円の袋が目にとまる。これは、スーパーのものより安いのではないかと直感し、帰りの荷のことなど忘れて買うこととなった。
その夜のメニューは無論、豆飯にこごみの天麩羅である。

このあとに苺もお土産に買ったのでリュックが久しぶりにパンパンになった。

業平道

この道は男の恋路業平忌

今日は業平忌。

奈良市内の不退寺では風雅を愛する人たちが集って遺徳をしのぶ。
多宝塔がこの日に限って特別公開される。
同寺は業平が祖父平城天皇をしのび創建したものとされる。廃仏毀釈など一時期は衰微したが紆余曲折を経て再興されて今日に至る。

奈良に住んでいる頃足繁く通ったとされる難波・十三峠茶屋への道が斑鳩を通り、平群経由で続いているが地元ではこれを「業平道」と呼んでいる。
マイファームへの行き来のルートの一部がこれにかかっており、昔ありける男の道を現代の自分も踏んでいることになる。

無人販売

二百円置いて持ち去る苺かな

昨日のコメントに書いたように、「飛鳥ルビー」は大和ブランドの苺だ。
大粒で、大変甘いのが特長。

飛鳥自転車コース沿い、橘寺近くのビニールハウス前を通りかかったときぷーんと甘い香りに思わず立ち止まった。苺狩りもできるのだが、無造作に並べられたパックにいかにも甘そうな苺が入って200円の掲示が。
旬の季節が終わったので大粒でもなく、形も不揃いだがそんなことはどうでもいい。とにかくこの甘い香りが買って帰れと言っている。
探したのだが店番は誰も居ない。どうしたものかと思案したが、よく見ると「お金」と書かれたコイン投入口が作ってある。あいにく百円玉の持ち合わせがないので、失礼して箱を開けるとどうだ。かなりの数の百円玉が貯まっている。
その中から500円玉と引き換えにおつり分をいただいて、苺1パックをリュックの一番上に入れて帰路についた。

注)「持ち去る」というのはどうかと思う表現だが、もともと「立ち去る」が先に浮かんだがそうするとまるまる「田一枚」の句のコピーになるので。

玉藻ゆれる

畦道に予感違わず蛇の這ふ

幅1メートルに満たない畦道をたどって河原に降りるとき、左右の田から今にも蛇が出てくるのではないかと思った。
実際に河原からの戻りに、縞蛇の若いのが畦道をわたっているのに遭遇した。
子供の頃の田舎というのは大抵はこんなものだったように思う。

今日は天気も上々なので飛鳥へ行くこととした。
目的地は「飛鳥川の石橋(いわばし)」(「飛鳥川の飛び石」ともいう)。

明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえむかも・・・・・作者不詳 巻11-2701

石舞台から栢の森方面、芋峠経由吉野へ抜ける道を行くと、風情ある棚田で知られる稲淵の集落に至る。
この集落の半ばあたりで飛鳥川に降りると「飛び石」がある。
冒頭の写真がそうだが、大水でも出ようものならたちまち流されてしまうような石橋だ。これが隠妻のもとに通うために作者がわたったあえかな証なのだが、こんな谷間にある何の変哲もない石橋を見ていると無性に古代へのロマンを誘われる。

同じ集落には、随・唐に渡り帰ってからは鎌足などに先進の学問・儒教を教えたとされる南淵請安の墓がある。

社の裏に小さな祠がありそこが南淵請安の墓だった。

なお、犬養孝の「万葉の旅(上)」明日香川(p86)の項前後がこのあたりのことについて触れている。

明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 情(こころ)は妹に 寄りにけるかも・・・・・作者不詳 巻13-3267 苑池遺跡のあたり。奥に見えるのが多武峰の山。

石舞台を過ぎるあたりから明日香川はさらに狭く深くさらに急流となってゆく。今も玉藻が生っているとしても少しもおかしくないくらいきれいな流れである。

握りしめた苺

幼子の摘みし苺の熟さざる

菜園で苺を摘む子らの生き生きとしていること。

ただ両手にあるのは青い部分が残る粒で、形も不揃いだった。
それでも「おいしい」といって頬張っている。

子供たちにとっては、親子農園で一緒に育てた苺というのは店頭に並ぶものとは別種のものだと思っているに違いない。