ワン・ピース

すいすいとみんなどこかへ水馬

ある者は後期高齢者を待たず。

またある者はなった途端に。
長い人生において交差した人が亡くなる。
学校で、あるいは会社で、あるいは私的な交流の集まりなど、ひとときともに濃密な時間を過ごした人々である。友とも、よく知っている知人とも言える彼らはおそらく不本意な形で死を迎える。
ピースの一コマ一コマが欠けてゆくスピードがだんだん増してきた。自分もそのようにいい歳なのだ。

懸命

青鷺の子持烏に追はれけり

青鷺にしてみればいい迷惑だろう。

たまたま通りがかった森から烏が飛びだしてきて、身を賭して追いたてに駆られる。びっくりした青鷺は聞いたこともないようなけたたましい声を上げて一目散に高く舞い上がる。
自然界にはこうした子供を守ろうとする親の戦いがあちこちで繰り広げられているのであろう。
人間さまにはあれこれいたずら止まない烏だが、こうしてみてみると彼らも生きて子孫をつなぐのに懸命なのである。

侵入

荒南風の奥駆の道ひとつとび

カーテンをまくり上げて湿度80%の風が吹く。

どんよりとした大気が午後になって晴れてきても体にまといつくような湿度には閉口させられる。
これを黒南風というのだろう。風が強いので荒南風とも言える。
気温が30度を割っているので冷房を入れるほどではないが、それでも不快指数はマックス。
太平洋の湿った風が奥駆道の百キロ以上をわたって盆地に侵入してくる。

抱っこ

おぶ紐の赤子なでゆく植田風

前抱きしているからまだ赤子に近いのだろう。

歳もよく似た若いお母さんたちがたんぼ道を散歩している。
苗はまだ幼く、青田には少し早い。生まれたばかりの赤子もみるみる大きくなってくる夏である。

間引き

青柿のみな太るには枝細き

上へ上へ伸びた枝に青柿がよくついている。

今年は生り年のようで、花の落ちるのも少なく一枝に何個も実をつけている。
これらがこのまま全部大きくはならないにしても、かなりの数が残ると思われる。すると重量に耐えかねた枝がしなってますます場所を広げそうである。
あまり茂らせても光りが届かなければどれもうまく育たないだろうから、秋口には枝梳きをして実の間引きもやらねばなるまい。
二年続きで不作だったから、今年こそ大事にだいじに見守っていきたい。

かくれんぼ

去るとみて遁術つかふ蜥蜴かな

かくれんぼ遊びをしているようだった。

遁術の名人は角を曲がって逃げたかと思ったが、そっと覗いてみるとこちらを伺う目と目があった。
そのまましばらく睨めっこ。こちらが動けば敵も逃げる構えのようだ。
ただ、その目には警戒心を感じるものの、恐怖感はなさそうなあどけなさが見える。
人間と適当な距離をおくことを生まれながらに知っているようで、無碍に殺生もなるまい。
爬虫類は好きではないが、小さな蜥蜴ならばそれほどの嫌悪感は起きない。むしろかわいいとさえ思えるのが不思議である。

地中の営み

土竜さまお成りの径の梅雨茸

ピンポン玉より大きい。

円くて大きくて白い茸が土竜のトンネル線上に沿って点々と生えてきた。毎年ところどころ土が盛り上がり、土竜の通り道だとは分かっていたが、そのラインをなぞるように。
土竜のトンネルには茸を育てるような菌がきっとあるのにちがいない。適当な湿り気と空気があって茸のもととなる菌が生まれやすい環境がそこにあるのだから。
土竜いるところに蚯蚓あり。蚯蚓は土中の未分解な有機物を餌として、その糞が土を肥やす役割がある。蚯蚓によって生まれた肥えた土には多様な生物が生まれ、菌もそのうちのひとつ。その様々な菌のネットワークが植物の根とつながって地上の生態系も豊にする。腰を落として眺めていると、地中の中の営みが見えてくるような聞こえてくるような、そんな優しい気持ちに包まれる。